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Monday, 27 December 2004

二人大和屋

昨日は中村屋のことで終始してしまつたが。

その他の芝居についても一言二言。
と思つたが、その時見た感想は速報で sotto voce に載せてしまつてゐる。

あへて書きたいことといへば、やはり大和屋のことだらうか。

大和屋坂東玉三郎は、「ナルシスト」といふ評判もあつて、今回のやうに新作舞踊なんぞをやると特にそのあたりが鼻につく向きもあるかと思ふ。
しかし、決まつた時、またそこに至るまでの動きに目を奪はれることが多い。自分にうつとりすることがあつても仕方ないよなあ、と思つたりもする。
一般的に、役者といふものは振りが大変にすばらしくて、たとへば今月「SHIROH」を見に行つて思つたことは、「りお」はもつと動きがなめらかでうつくしかつたらもつとそれらしくなつていいのに、といふことだつたりするのだが、おそらく「りお」役の人の動きはそれなりによかつたのだと思ふのである。だが、芝居を見たりすると、なんかそんな水準ぢやないやうな振りを見せられて、「ああ、やつぱり人ならぬものの動きつてこんなだよな」と感じ入ることしきり。
たとへば、役者の中ではさほどでもないんぢやないかと思ふやうな市川段治郎やあるいはついつい父親と比べてしまふ成駒屋中村福助は、今月すつぽんから引つ込む場面があつたのだが、この時の降り方なんぞは実に「人ならぬもの」感あふるるもので、大変よかつたりした。
つまらぬ新作舞踊を出すくらゐなら藤娘とか見たいんだけど……と思ひつつ書ける。
♯ま、藤娘ぢや、澤潟屋一門を出すわけには行かないからねえ。

また大和屋はお染ちやんなどの町娘などでちよつとうつむいた時のさみしげな感じが大変よいのだが、今回見てゐて、紅絹を袖もとから出して涙を拭ふ時のよさなんかは無類だなあ、と思つた。

大和屋坂東三津五郎は、何事につけ万事ほどがよい。
「身替座禅」の奥方役は大和屋か播磨屋がいいなあ、と常々思ふのだが、どちらが演じてもまづ品が良い。そして、見てゐるうちにだんだんかあいらしい感じがしてくる。
特に「品の良さ」はこの役には不可欠だ。
大和屋も播磨屋も、この役をやる時、まづ聲に品がある。せりふに品がある。
それ故だらうか、やきもちの焼き方にかあいらしさが滲んでみえる。

また「たぬき」。
これはあまり期待しないで見たのだが、よかつたんだなあ。
大和屋はせりふに力があつていい。せりふぢやなくて、ほんたうにしやべつてゐるとしか思へないのである。芝居中のせりふぢやないが、常には泣かぬやつがれも最後はなんだかしんみりしてしまつたことであるよ。

あ、「たぬき」は加賀屋もよかつたなあ。

「今昔桃太郎」なんぞでも、三のセンもいける、聲もいい、振りもいい、姿もいいところが出てゐて、「これでも少し出番があつたらば」と欲張りたくなるほどの出来である。

大和屋〜。
と、心中かけ声をかけるやつがれであつた。

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