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Friday, 31 December 2004

今年の目標来年の目標

今年の目標は「編込み模様が編めるやうになること」だつたりしたのだが。

去年は「くつ下編みになる」といふ目標をたてて、これは達成できたと思つてゐる。今年もそれなりにくつ下を編んでゐる。なぜかくつ下編みは楽しい。どうも細い糸を細い針で編むのが性にあつてゐるやうだし、また、手元だけでちよこちよこ編めるところがいい。

そんなわけで、まづは編込み模様の入つたくつ下を編んでみたりしたのだが。
その後が続かなかつた。

やはり苦手なのである。編込み模様が。
どうにも裏に渡す糸がつつたり緩みすぎたりしていけない。

そんなわけで、今年はどうも目標を達成できなかつた。
この目標は来年に持ち越す予定。

だが、このままは終はれないといふわけで、編込み模様の入つた帽子を仕上げてみた。パターンは「おしゃれ工房」今年の十二月号に出てゐるものである。
knit_20041231
手持ちの毛糸(でもシェットランドヤーン)で編んだので、色合ひがなんとも田舎臭い。これを「ジャージ・カラー」と呼んでゐる。体操着のジャージにありさうな色合ひだからだ。

輪針を使つてみたところ、今までのやうに裏に渡した糸がつつたり緩んだりしないやうになつた。まあまだ手加減はよくわかつてゐないといふのがほんたうだが、しかし、五本針・四本針で編んでゐた時よりずつとましである。どうやら針と針のあひだをわたる糸がかなり悪さをしてゐたやうなんだなあ。

ま、それもわかつたので、来年はも少しまともになるのではないか、と。

今年もいろいろ編んではきたが、大物を仕上げるには至らなかつた。
もう大物はよさうかな、とも思ふのだが、やはりあみものをするものとしては手編みのセーターとか編みたい気がするんだよね。
ま、そのあたりのことについては来年はもうチト真面目に取り組みたい。
さうでないと手持ちの糸が一向に減らないからだ。

折しも外は雪。
あたたまつた室内で、針を動かすもまた一興。

Thursday, 30 December 2004

つまらない写真

日曜日に歌舞伎座とその周辺で撮つた写真を少し整理してみた。
盲長屋梅加賀鳶の大道具その一
歌舞伎座上手側を歩いてみたら、長谷川勘兵衛さんの会社の前にこんなものがおいてあつた。
来月かかる芝居の大道具である。見ると、中には「昭和五十何年」なんぞと記してあるものもあつて、「どうやつてとつておくんだ、こんな大きなもの」と悩むことしきり。
この芝居はもう何度か見てゐるが、あまりおもしろいと思つたことがない。最初に加賀鳶がたくさん出てきてつらねをする場面はそれなりに好きだし、強請りの場面もおもしろいのだらうとは思ふけれど。それほど好きではないといふだけなのかもしれないが。
盲長屋梅加賀鳶の大道具その二
こちらがそのつらねの場面で使用するものではないかと思ふ。
かういふのも千秋楽ならではの光景なのだらうか。
考へてみたら長いこと芝居見物をしてゐるけれども、こんなところを見たのははじめてかもしれない。
それにしても見渡す限りこの演目の道具しか見当たらなかつたのはなぜだらう。
終演後に搬出入の稽古でもする予定があつたのだらうか。

見上げて御覧
こちらが夜の部の座席に座つて上を見上げた時のやうす。提灯で区切られた天井の感じがなんとなくおもしろくて撮つた。これは一階一等席どぶ外最後列一等下手側の席のやうす。でも来月から座席が多少変はるやうなので、このアングルが見られる席はもう存在しないかもしれない。

少し遅れてしまつたが、今月十日南座に行つた時にこんな写真を撮つてゐた。
見上げて御覧 南座版
どうも見上げた時視界に入るものを撮るのが好きである。普段下ばかり見て暮らしてゐるせゐかもしれない。

Wednesday, 29 December 2004

萬年筆いろいろ

やつてもーた。
萬年筆を買つてしまつた。

ものはファーバーカステルのペルナンブコ・プラチナコーティング。
「清水の舞台から飛び降りる」心地といふのはかういふ時に使ふものなのだらうなあ。

まづ店頭で手に取つてみた時にずしりと重たい。実際に試し書きさせてもらふと、書き味の滑らかさにほとんど陶然とするばかり。

ちよつと試し書きさせてもらふつもりが、気がついたら購入することに……。とほほ。

ちなみに今回試し書きに使用したのは、縦書きに「いろはに」「色は匂へと」。それと自分の名前の一部分。横書きに「二都物語」の最後のせりふから前半部分。"It is a far, far better thing that I do than I have ever done"、ですな。

ファーバーカステルといふと、昔から色鉛筆が好きで、でも子供にはそれなりの価格なので気に入つた色を一本ずつ何かの機会に購入してゐた。色鉛筆も紙に描いた時のなめらかさが好きだつた。

実は今回上京するといふので、それでは丸善の丸の内本店に行つてみやうと思つた。
現在愛用してゐるモンブランは日本橋本店で購入したものである。
この時は最初から「今日は買ふぜ」といふ心構へで店に赴いた。
だが今回は……まああはよくば、といふ考へはあつたものの、音に聞く丸善の萬年筆売り場を見に行きたいといふのが発端であつた。
萬年筆好きもさうでなくても、一度行つてみるといい。

今回も丁寧に萬年筆の手入れの仕方などを教へてもらつた。
また、カートリッジインキもあるにはあるが、おそらく地元で入手するのは困難であらうと判断し、ボトルインキを購入した。色はブルーブラックに決めてゐたが、どのメーカのものにするか悩んだ。結局靴型のインキ壷にした。

そんなわけで、現在手持ちの萬年筆で同じ文字を書いて並べてみた。
萬年筆とそれで書いてみた文字
右からターコイズブルーのペリカーノジュニア、紫のペリカーノフューチャー、ブルーブラックのウォーターマンクルトゥール、ブルーブラックのモンブラン マイスターシュテック・オマージュ・ア・フレデリック・ショパン、ブルーブラックのファーバーカステル ペルナンブコ・プラチナコーティング。
左の二つは両方ともインキはモンブランだが、カートリッジとボトルでまたかなり色合ひが異なる。ボトルの方が若干青味が強いか。

この中ではペリカーノフューチャーの書き心地が一番かたい感じがする。細字といふこともあるし、個体差もあるだらうとは思ふが。
一番日常的に使用してゐるのはウォーターマンかもしれない。モンブランだと少しかまへてしまふやうな時でも気楽に使へるからだらう。
モンブランは自席でまたは家で使用することが多い。なんとなく人前で使ふのは気恥づかしいからだらう。

さて、今回のファーバーカステルはどのやうに使はうか。
今思案の最中である。

Tuesday, 28 December 2004

仕事納め

日々仕事に追はれてゐるとものを考へるのが億劫になつてくる。

ひよつとしたら会社はそれを狙つて仕事を増やしてゐるんぢやないかといふ気がするほどだ。
その一方で会社は社員に考へろといふ。
矛盾してゐるやうだがさにあらず。

えうは、会社に関係のないことは考へるな、といふことだらう。
On Off にかかはらず、だ。

だが、Off 時に何も考へないのは、本人の勝手といふ話もある。
仕事仕事と追ひまくられてものを考へないのは自分のせゐだといふことだ。

去年の十二月半ばから今年の五月にかけて、毎日睡眠時間三時間ていどの生活を送つてゐた。いはゆる「月月火水木金金」状態で、である。さすがに土日は四時間から五時間寝てゐたが、「焼け石に水」状態であつた。
三月に二週間ほど調子を崩して休んだが、この時も「明日は職場に行かう」と毎日思つてゐたので、それほど睡眠時間が増えることはなかつた。
当然徹夜もあつたし、そんな時は月〜金でトータル十時間寝てゐないこともあつた。
世の中には二種類の人間がゐる。睡眠時間が少なくても大丈夫な人と大丈夫ぢやない人である。やつがれは圧倒的に後者である。学生時代も試験前夜はたつぷり寝た。あ、まあ具合が悪くて眠れないなんてな時もあつたが、それ以外の場合は寝てゐないとは全く点が取れなかつた。

多分、さういふ仕事をしてゐる人はたくさんゐるのだらうと思ふ。表に出てこないだけで。そして、さういふ状態を楽しめる人・あたりまへだと思へるやうな人は仕事で成功できるのだらうな、と思ひはした。或はかういふ状況でも「働かされてゐる」と思はない人もさうかもしれない。

ここで、労働基準法がどうかうと述べるつもりはまつたくない。
この時期、やつがれはずつと「働かされてゐる」と思ひながら仕事をしてゐた。
まつたく自分の意志で仕事をしてゐなかつた。

自分の意志で毎日三時間睡眠の生活を送るやうにしてゐたら、もつと仕事も順調に進んだだらうか。
とてもさうは思へないところがやつがれの問題なのかもしれない。

ひとまづ今日で仕事納めといふことになつた。今年後半、特に九月以降はよいお客様にめぐまれて、自分でも少し前向きに仕事をするやうになつたと思ふ。
小人閑居して不善を為すのたとへとほり、やつがれ風情がものを考へてもろくなことにはならない。
来年も精々仕事に精を出すことにしやう、と、心にもないことを書いてみる。

Monday, 27 December 2004

二人大和屋

昨日は中村屋のことで終始してしまつたが。

その他の芝居についても一言二言。
と思つたが、その時見た感想は速報で sotto voce に載せてしまつてゐる。

あへて書きたいことといへば、やはり大和屋のことだらうか。

大和屋坂東玉三郎は、「ナルシスト」といふ評判もあつて、今回のやうに新作舞踊なんぞをやると特にそのあたりが鼻につく向きもあるかと思ふ。
しかし、決まつた時、またそこに至るまでの動きに目を奪はれることが多い。自分にうつとりすることがあつても仕方ないよなあ、と思つたりもする。
一般的に、役者といふものは振りが大変にすばらしくて、たとへば今月「SHIROH」を見に行つて思つたことは、「りお」はもつと動きがなめらかでうつくしかつたらもつとそれらしくなつていいのに、といふことだつたりするのだが、おそらく「りお」役の人の動きはそれなりによかつたのだと思ふのである。だが、芝居を見たりすると、なんかそんな水準ぢやないやうな振りを見せられて、「ああ、やつぱり人ならぬものの動きつてこんなだよな」と感じ入ることしきり。
たとへば、役者の中ではさほどでもないんぢやないかと思ふやうな市川段治郎やあるいはついつい父親と比べてしまふ成駒屋中村福助は、今月すつぽんから引つ込む場面があつたのだが、この時の降り方なんぞは実に「人ならぬもの」感あふるるもので、大変よかつたりした。
つまらぬ新作舞踊を出すくらゐなら藤娘とか見たいんだけど……と思ひつつ書ける。
♯ま、藤娘ぢや、澤潟屋一門を出すわけには行かないからねえ。

また大和屋はお染ちやんなどの町娘などでちよつとうつむいた時のさみしげな感じが大変よいのだが、今回見てゐて、紅絹を袖もとから出して涙を拭ふ時のよさなんかは無類だなあ、と思つた。

大和屋坂東三津五郎は、何事につけ万事ほどがよい。
「身替座禅」の奥方役は大和屋か播磨屋がいいなあ、と常々思ふのだが、どちらが演じてもまづ品が良い。そして、見てゐるうちにだんだんかあいらしい感じがしてくる。
特に「品の良さ」はこの役には不可欠だ。
大和屋も播磨屋も、この役をやる時、まづ聲に品がある。せりふに品がある。
それ故だらうか、やきもちの焼き方にかあいらしさが滲んでみえる。

また「たぬき」。
これはあまり期待しないで見たのだが、よかつたんだなあ。
大和屋はせりふに力があつていい。せりふぢやなくて、ほんたうにしやべつてゐるとしか思へないのである。芝居中のせりふぢやないが、常には泣かぬやつがれも最後はなんだかしんみりしてしまつたことであるよ。

あ、「たぬき」は加賀屋もよかつたなあ。

「今昔桃太郎」なんぞでも、三のセンもいける、聲もいい、振りもいい、姿もいいところが出てゐて、「これでも少し出番があつたらば」と欲張りたくなるほどの出来である。

大和屋〜。
と、心中かけ声をかけるやつがれであつた。

Sunday, 26 December 2004

さよなら勘九郎

観客総立ち。
歌舞伎座でははじめて体験したかもしれない。

今、歌舞伎界で勘九郎に意見する人はほぼゐないのだらう。
渡辺えり子が演出すると聞いて、最初に思つたのはそんなことだつた。

野田秀樹に続いて渡辺えり子。松尾スズキが出る日もさう遠いことではないかもしれない。

それはさておき。

過去の日誌なんぞをご覧いただけるとおわかりになると思ふのだが、中村屋に対してかなり辛辣な方である。
中村屋には役者に必要な「バランス感覚」に欠けるところがある。「ガラスの仮面」ではさういふ役者のことを「舞台荒らし」と呼んでゐる。
中村屋の場合、荒らすのは他の役者が主役をつとめる舞台だけではない。みづからの舞台すら荒らしてしまふ。おそらく、歯止めのきかない性分なのであらう。走り出したらだーっっと行かないと気が済まない性質と見ゆる。

だが、抑制のきいてゐる時の中村屋のすばらしさは……かういふことを書いてはいけないのかもしれないが……筆舌に尽くし難い。
これが同じ役者とは思へないほどの変貌ぶりだ。
そして、これがあるから中村屋を見ずにはゐられないのである。

えうするに、中村屋が好きなわけだ。

とはいふものの、どうやら中村屋の贔屓は、中村屋のバランス感覚のなさを愛してゐるやうに見受けられる。あるいは真の中村屋贔屓とはさうした人々のことを云ふのかもしれない。
つまりやつがれは中村屋贔屓としては邪道といふことだ。うむ。さうだらうな。

ところで、「野田版・研ぎ辰の討たれ」については初演当時かなり酷評が多かつた。特にいはゆる歌舞伎好きからは「あんなの歌舞伎ぢやないよ」といふ意見が圧倒的だつたやうに思ふ。
だが、やつがれはさうは思はなかつた。
かつて、本家本元木村錦花の「研ぎ辰の討たれ」を中村屋がやつた時は「バランス感覚のなさ」が表に出てしまつてとても見られたものではなかつた。
だが「野田版」はどうだらう。確かに中村屋も年を経て本家本元当時よりはよくなつたのかもしれない(しかし「バランス感覚のなさ」といふものは往々にして年を経るにつれてひどくなるもののやうな気もする)。
「野田版」は中村屋のさうした欠点が魅力にかはるやうな出来だつたと思ふ。さう、「バランス感覚のなさ」は一方でまた中村屋の魅力でもあるわけだ。

演出家にはわかつてゐる。

さう思ひながら「今昔桃太郎」を見た。

まづ中村屋の衣装に目を引かれる。パッチワークのやうなかわいい衣装だ。色合ひもカントリーな感じで、だが数多のカントリー風パッチワークのやうな「田舎臭さ」はみじんもない。これがまた中村屋に似合ふのである。
そして、物語半ばの踊り。まさか中村屋で「連獅子」の子獅子をまた見られることがあらうとは思つてもみなかつた。

勘三朗を襲名すると、ますます向かふところ敵無しといつた状態になるだらう。
そんな時、たまに演出家を起用してみるといいのかもしれない。
中村屋のすることだ。たれも文句など云はぬにちがひない。

ほぼ日手帳の使ひ道 その二

あひかはらずほぼ日手帳の使ひ道を考へてゐるところだが。
今日ふとこんな写真を撮つてみた。
ほぼ日手帳 with タティングレース
上にのつてゐるのはやつがれの作つたタティングレースのドイリーである。隅にドロップビーズをあしらつたのはやつがれの idea。これがなんだかとてもよいものにうつつた。

前に「ほんたうは革のカヴァのほぼ日手帳がほしかつた」と書いたが、ナイロンのものにして正解だつたかもしれないと、この時初めて思つた。
ナイロンのカヴァには「カヴァ・オン・カヴァ」がつくからだ。
カヴァ・オン・カヴァといふのは、この写真で光を反射しちまつてるアレである。昔よく教科書にかけてる同級生がゐたなあ、かういふ透明のブックカヴァ。
特に使ひ道も考へず、箱に入つてきたからといふのでとりあへずつけてゐたが、これ、使へるよ、といふので、あちこちから自分で作つた小さなモチーフをかきあつめてきた。
それで撮つたのがこんな写真である。
ほぼ日手帳 with タティングレースのモチーフ三点
どうだらう。いきなり「やつがれのもの」感が高まつたのは気のせゐではあるまい。
今までモチーフは一つ作つたところで使ひ道がないからとあまり作らずに来たが、これでできた。これからは作つたらかたつぱしからほぼ日手帳のカヴァに入れればいいのだ。

ああ、こんなことなら紺とか赤とか黒とか淡い色の糸がはえる色のカヴァにするんだつたかなあ、と、一瞬思つたが。
写真だとよくわからないかもしれないが、ブルーベリークリームに白や生成りといふのも案外いいものなのだ。
それに、色とりどりの糸を持つやつがれである。これから華やかなものを増やして行くといふのも手だ。
ほぼ日手帳 with タティングレースのモチーフ

肝心のほぼ日手帳の使ひ道についてはまだ考へてゐる最中だが、これで持ち歩くことが楽しみになつたのは云ふまでもない。ああ、人に見せびらかしたい気分でいつぱいだ。

Saturday, 25 December 2004

萬年筆物語

丸善のメモ用紙 萬年筆物語とモンブラン
なぜか京都店でしか見かけたことがないので、京都へ行くとつい買つてしまふ。
萬年筆向きのメモ帳としてはロディアといふむきもあるが、このメモ帳もなんとなく捨て難い。二十字×十行といふのも適当だ。毎日一ページ日記代はりにしてもいい。はがきサイズで100ページ、かなり書きでもある。

表紙も裏の厚紙もぺらりとしてゐて持ち歩くのにはチト注意が必要だが、書き心地は悪くない。できれば常に卓上において思ひついた時に思ひついたことを書き留めるといいのかもしれない。心にうつりゆくよしなしごとなんぞを書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ、といつた心境に近づけさうな気もする。
セピア色の表紙にセピア色の罫線もよい。特に罫線の色合ひはブルーブラックのインキに似つかはしい。

やはり萬年筆にはたて書きの原稿用紙が似合ふ。
そんな諸兄に是非。
丸善のメモ用紙 萬年筆物語の中身

Friday, 24 December 2004

God Rest Ye, Merry Gentlemen -- Reprise

自分でも「偏屈が服着て歩いてゐる」といふ自覚はあるのだが。
「クリスマスが好きぢやない」つてどーよ、と思つたりはする。
積極的に嫌いなわけぢやない。クリスマスソングは好きである。今日も「Adeste Fidelis」や「The Little Drummer Boy」、「The First Day of Christmas」や「God Rest Ye, Merry Gentlemen」を歌つてゐるくらゐだからまつたく嫌いといふわけではないのだ。

思ふに、浮かれた状況が苦手なのである。浮かれた結果、足下をすくはれるのが怖いのだ。

今年の夏のエントリにもあるとほり、「世の中が浮かれてゐる時ほど、悪い輩が暗躍してゐる」といふ困つた妄想にとりつかれてゐるからだらう。だつて自分がさういふ輩だつたら絶対世の中が浮かれてゐる時にお膳立てするよなあ。絶好の機会なわけだし。

しかし、海の向かうにも同好の士(?)がゐると思ふと、なんだか心強い。またこのエントリに対して同意のメイルがあつたといふ話もいい。

さうだよな、好きな人がゐる分、嫌いな人がゐてもなんのふしぎもないよな。

そんなわけで、世の中の人々が、せめて今宵ばかりは心安らかに休めるやう、願つてみたりするわけである。
これぞ困つた時の神頼み、なのだつた。

Thursday, 23 December 2004

編みたさ見たさはとびたつばかり

といふわけで、今編みたくて編みたくて仕方がない。
バスや電車も確実に座れるのを待つ。そして編む。
以前、電車やバスの中で編む自分が浅ましいと書いたことがあつたが、そんな悠長なことを云つてゐられなくなつた。
とにかく編みたい。狂ほしいほど編みたい。

そんなわけで。

出かけやうと思つてちやんと朝は早くに目を覚ましたのだが、起き上がつた途端、
「……今日出かけたらヲレの年末年始はない」
といつた状況だつたので、家でおとなしく過ごす。

一応少し寝なほして、それから起き上がつて編み編み編んだ。
それにしても編みたいものが多くてな。
昨日、帰り際に手芸屋に寄つたらなんと閉店セイルだといふ。確かに前々から客はそんなに多くはないなと思つてゐたが、最近近所に新たな手芸屋ができた。そちらに客をとられてしまつたのかもしれない。
新しい店の方が少しばかり安売りしてゐるし、店舗も少しばかり広い。すなはち品数も豊富である。
閉店する店にはここでしか売つてゐないアンカーの糸とかDMCの糸とかあつたんだがなあ。チト残念。

そんなわけで、二割引だといふのでついついパピーのミラノツイードなんぞを買ひこんでしまふ。高くて今まで買へずにゐたんだよね。手触りからいつてもすごく好きな糸なんだけど。多分今年のパピーの新作の中では一番好きだと思ふ。

嗚呼、だがその糸をなににするかなんて考へてゐる暇もない。
希望としてはマフラと帽子のセットなんかどうだらうといつたところなのだが。縄編みなんか入つてるといいな、とか。

そんなことを云つてゐる暇があつたら編む、といふくらゐ編みたい。

ちなみに今編んでゐるのは
 かのこ編みのカーディガン
 Regia でくつ下
 プリンセスアニーでくつ下
 中細毛糸で かくし絵ショール
 Rowan Wool Cotton でかくし絵マフラ
である。目についたものから編み、飽きるとほかのものを編む。そのくりかへし。
この他にも途中になつてゐるものが……(/_;)。
ひとまづ年内にくつ下二足はなんとかしたいなあ。
つてもういくつ寝るとお正月なんだ?

Wednesday, 22 December 2004

God Rest Ye, Merry Gentlemen

世はクリスマス一色とおぼしいが、我が家はまつたくそんなことはない。
家の中はあひかはらず強盗でも入つたのかといふくらゐごつた返してゐるし、クリスマスらしい飾りなどひとつもない。
たまにやつがれの聞く Die Prinzen の歌がそれらしいくらゐで、あとはふだんと何もかはらない。

今年は鄙びた地で働いてゐることと、それゆゑ街中にあまり出ないことからか、あまりクリスマスソングを耳にしない。チト悲しい。
お気に入りといふと、"The Little Drummer Boy" とか "I Saw Mammy Kissing Santa Clause" とか、歌詞の増えてく "The First Day of Christmas" とか、数々ある。讃美歌では "Adeste Fidelis" が好きだ。"O Come All Ye Faithful" ともいふな。

クリスマスは家族で過ごすもの、といふ考への持ち主なので、たまに「ホームアローン」なんぞを見ると涙腺を刺激されて仕方なかつたりする。続篇もあはせてあの映画は、「家族とともに過ごすはずのクリスマスに、ひよんなことから一人取り残されてしまつた少年と、なんらかの理由で家族と一緒にゐられないさみしい人との交流を描いた作品」だと思つてゐる。世の中ではおそらく「小生意気な少年が悪漢をやつつける痛快な作品」といふ受け取り方なのではないか。そして、隠し味として「その少年とさみしい人との交流」もちよこつと出てくる、くらゐの感じなんぢやないか、と、さう思つてゐる。

しかし、「小生意気な少年が悪漢をやつつける痛快な作品」だつたらなにも時期をクリスマスに限定することはない。夏休みだつていいし、ひよつとしたらハロウィーンなんか結構おあつらへむきなんぢやないかといふ気がする。
それをわざわざクリスマスとかぎつてゐるのだから、なにを描きたいのかは明瞭だ。

寒くて暗くて人恋しい季節である。そんな季節は家族とともに過ごす。
だがなんらかの手違ひで、あるいは意地を張つてしまつてひとりになつてしまふ。
そのさみしさせつなさたるや、如何ばかりだらう。

そこらへんの心の機微を理解できないと、「ホームアローン」を真夏のさなかに上映するやうなことになつてしまふのである。
ま、その国では夏は夏でお盆などとて家族と一緒に過ごす風習があるらしいがね。

Tuesday, 21 December 2004

思ひついたら書く weblog

この weblog は weblog にしてはひとつのひとつのエントリが長すぎるし、内容もあまりにもいろいろありすぎるよなあ、と、いつも思つてはゐる。
たとへば「芝居」weblog だとか「あみもの」weblog だとかにしぼれればいいのだが、これがむづかしい。
それに、元々つけてゐた日誌かはりなので、まあかうなつてもむべなるかな、といつたところではある。

そんなわけで、一ヶ月ほど前から「思ひついたら書く weblog」をはじめてみた。
それが sotto voce である。
名前だけはなんだかかはいいが、えうはやつがれの喋りがぼそぼそ系である、といふだけのことだ。
願はくは藤井猛九段みたやうなぼそぼそ系でありたいのだが、やつぱりああは喋れないのだつた。とほほ。

もとい。

この「思ひついたら書く weblog」は、主に芝居見物の時に効力を発揮してゐる。
たつた今見た芝居や客席のやうすを京ポンこと AH-K3001V に打ち込んで upload する。
そんなやうなことを先月してみた。
まああるわあるわ、各幕ごとに書きたいことがあれこれ出てくる。
歌舞伎座の場合、客席の電波状況がかなり悪いので、幕間のたびにロビィなりなんなりに出る必要があるのだ

が、これがかへつて外の空気を吸ふことにもなり、なんだかいいやうである。
さすがに南座では狭くて出入りが不自由なためあきらめたが、来週千秋楽でまたやるつもり。

AH-K3001V による更新で問題になるのはやはりこのかな遣ひか。なかなかこのやうに打てるものではないからだ。それもまあ慣れかな、といふ気もしないではない。
基本的に一行から数行のエントリばかりなので、なんとかなつてゐるといふ話もある。

そして、かうした小ネタをこの weblog でまとめたりもしてゐる。

まあ芝居ネタ目当てでここに来る人も稀なやうなのでそんなことどうでもいいのかもしれない。
……そもそも芝居ネタ目当てで Web を閲覧する人が稀なのかな。

Monday, 20 December 2004

ほぼ日手帳の使ひ道

ほぼ日手帳がきてしばらくたつ。追加注文で頼んだものだ。
来年用なので、まだ何も書き入れてゐないが。
そもそも来年の予定できちんと決まつてるのつて芝居見物と演奏会だけだしな。

さう、数年ぶりに演奏会に行く予定である。
ブロムシュテットの「英雄」を聴きにいく。
最後に行つた演奏会はなんであつたかもう記憶が定かではないが、とにかくかなり久しぶりのことだ。
かつては、年に最低でも一回は演奏会に行き、オペラも見てゐたのだが、田舎に引つ込むにあたり、そのあたりの自由がきかなくなつてしまつた。
なんぞと云ひながら芝居だけはきちんと見てゐるので、云ひ訳である。

ブロムシュテットの来日はこれで最後かもしれないといふので、重い腰をあげることにした、と、かういふわけだ。

芸術音痴である人間が行くのはとてももつたいないことのやうに思ふし、ほかにもつと客たるにふさはしい人がゐるのではないかといふ気がとてもする。
これはいつもさうである。
そのくせ、顔見世の席を取る時のやうに「やつがれのやうに芝居さんを愛してゐる人間が席を取れないなんて」と嘆いたりする。
まつたくもつて矛盾してゐる。

ただいまほぼ日手帳をどう使ふか思案中。
ほんたうは革のものがほしかつたのだけれど、あれよあれよといふ間に売り切れてしまつて買へなかつた。そこでブルーベリークリームを買ふことにしたのだが、実物を見てみたら案外よい。
問題は結構大きいことかな。

来年の話をすると鬼が笑ふといふがそろそろいいのぢやないかといふ気もする。

Sunday, 19 December 2004

大河ドラマのない日曜日

去年の今頃配役を見て「源さん、イメージぴつたりつつ」と思はなければ、まづ見ることのなかつただらう大河ドラマだが、結局源さんにひかされて最後まで見てしまつた。実は源さんが死んだら見ないだらうな、と思つてゐたのだけれども、野田秀樹の勝海舟、古田新太の有馬藤太にひつぱられるままに見続けてしまつた。とどめは粟根まことだらう、やはり。頭金くらつて「負けました」といつた気分だつたものな。

いろいろ批判も多かつたし、古くからの新選組好きには何かと文句をつけたくなるやうなドラマだつたかもしれないが、それでもこれだけは云へる。
「ある隊士の死」は大河ドラマ史上に残るエピソードだ、といふこと。

おそらく、主役がほとんど話に絡まないといふのが成功の一因だと思はれる。舞台出身の役者が主にたちまはつたのが功を奏したのだらう。三谷幸喜らしい一作といへる。

この回はほんたうに引き込まれるやうに見た。

また山南敬助と明里の別れもよかつた。
明里といふと、やつがれのイメージでは薄幸の美女なのだが、大河ドラマでは学のない少しガサツな感じの女性に描かれてゐて、最初は違和感があつたのだが、これが大変に効果的であつたことが後にわかる、といふやうになつてゐた。

そんなに熱狂的に見てゐたわけではない(とか云ひながら野田秀樹の勝海舟と古田新太の有馬藤太にはもうほとんど降参状態だつた)が、やはり一年間見続けたドラマが終はるのはなんとはなしにさみしい気がする。

ちなみにやつがれ的に一番イメージぴつたりだつたのは源さんではなく新見錦だつた。最後はちよこつとセコい感じだつたが、初登場の時のあやしげ〜な感じとかまさに「新見だよ」といつたところ。

伊藤俊人が生きてゐたら何役で出てたのかなあ。

Saturday, 18 December 2004

昨今のミュージカル

昨今のミュージカルつてみんなこんななんだらうか。

「SHIROH」を見てきての感想である。
なんていふの、合唱部分つてーの、が、どのミュージカルでも同じやうに聞こえるのはこちらの耳が悪いせゐだらうかねえ。
「花の紅天狗」はパロディだからそれでもよかつたのかもしれないが、本式にそれやられるとつらいねえ。
なんてつたつてこちとらミュージカルは西側物語でとまつてるからねえ。

さう、えうはやつがれが悪いのである。

大変重苦しい芝居であつた。

ところで、我が心の知恵伊豆といへばこれはもう山形勲だつたりするのだが。
これからは江守徹と半々になるかもしれないなあ。
そんな気がする秋のゆふぐれ。

Friday, 17 December 2004

復旧と連想ゲーム

なんとか復旧。

急いでゐたのにはもうひとつ訳があつて、世が年末だからである。
なんだかよくわからないけれども重症な場合、どこかに問ひ合はせる必要がある。
だが悠長なことをしてゐると正月休みに入つてしまふ。
それでなくてもこの時期はどこもかしこもなぜだか忙しい。そのため早めに見当をつけておきたかつたのだ。

年の瀬で押し迫つてゐて、といふと思ひ出すのは「女殺油地獄」だつたりするあたり、今のやつがれはほんたうに余裕がないのかもしれない。
「不義になつても貸してくだされ」なんぞと河与のやうに云つてみたいもんだ。あれはやはり若くてすてきな奥さんと同じく若くてええ男とのあひだでないと成立しないよなあ。いや、まあ男の方はええ男でなくてもいいのかもしれないなあ。それはそれで。

「不義」といふことばも聞かなくなつて久しい。昔は「よろめき」なんぞともいつたな。昨今ではすつかり「不倫」で統一されてしまつた感がある。
「不倫」といふのは重たいことばである。
辞書を見ると「人倫に反する」とか「人道から外れる」とある。「てめぇら人間ぢやあねえや」つてなもんだらうか。
なのに世間では安売り出血サーヴィス並の扱ひなのはなぜだらう。「ふりん」といふ、どこか軽い音の響きのせゐだらうか。あるいは「そもそも不倫しないことの方が人間の本性に反するから」とかいふ理由でもあるのだらうか。

「不義密通」といへば昔は「姦夫姦婦を重ねて四つに斬る」といふのが刑罰としてあつたと思ふ。これを聞くたびに「二つ胴の刀が必要だよな」と、一気に発想が「石切梶原」にとんでしまふのがやつがれの弱点であらうか。

へろへろでわれながら何書いてるかよくわかんないや。とほほ。
とにかく復旧。めでたい。

Thursday, 16 December 2004

ネットワーク切断とあみもの

あひかはらず外との接続は断たれてゐる。

まあこんな時も AH-K3001V があるのでまつたくの孤島といふわけでないのがありがたいやらうれしいやら。

しかし。
ひとつ困つたことがある。

それは、自宅にゐる時間、あみものができないといふことである。

これ、結構切実(>_<)。
必要最小限以外のことでやつてゐるのは接続の復旧なわけで、当然そのほかのことはお留守になる。
まあね、テレビ番組くらゐは見られますよ。もとから「ながら見」しかしないので、それで十分といふ話もあるくらゐで。
音楽も聞ける。聞きながら作業すればいいのだから。

問題はあみものと読書だ。

最近家ではほとんど本を読まないやうになつたが、それでも読みたいあるいは見たい本もある。ここのところまたぞろあみものの本など買つてしまつてゆつくりのんびり眺めたい。そんな気がする。

だが、今はダメだ。
ネットワークの復旧が急務だからである。

とはいふものの。
このまま一週間くらゐつながらなくてもかまはないぢやないか、といふ気もしてゐる。
ものごとに執着しがちなたちである。その執着から解放される、これはよい機会なのではないか。

などと思ひつつも、ひたすらあれこれ試してみるやつがれなのであつた。

Wednesday, 15 December 2004

ネットワークがつながらない

夕べ更新しやうとしたら自宅のネットワークが死んでゐる。
新マシン iBook だけでなく、ThinkPad も、家族の使つてゐる Moebius もつながらない。

ネットワーク死、である。

いろいろ手は入れてみたのだが、うんともすんとも云はない。
そんなわけで、とりあへず更新内容をかうして打ちためてゐるのだが。

思へば、はじめて LC575 を買つた時に一緒にモデムも入手した。すなはち PC と通信とが切り離された状態にあることはなかつた。
そらあまあ LC575 のころは常時接続といふわけにはいかなかつたけれども、それでもつながうと思へばつなげたのである。

すなはち、はじめて外との接続を断たれた状態にゐる、といふわけだ。

かうなると如何に外との接続に依存してゐたかがわかる。
かと思ひきや。

なななんと、やつがれには京ぽんこと AH-K3001V があるのだつた。
これでメイルの送受信はほとんど問題ないし(まあ長い文章は送らないにしても)、Web の閲覧だつてできてしまふのである。Weblog だつたら更新もできる。

なんだ、特に困りはしないではないか。

だが、ネットワークの復旧には必死になつた。
なんといつても時間がない。
平日のことである。勤務先から帰つてきて日常のさまざまな用事を済ませた後、作業をしなければならない。しかも明日はまた出勤せねばならぬ。寒い時期だ。睡眠不足はすぐ風邪に直結する。

そんなわけであれこれやつてみたのだが。
復旧ならず。

これを更新できるのもいつのことかのう。

Tuesday, 14 December 2004

ただ見てゐただけなのに

討ち入りの今日、詰将棋の本を買つた。二冊目である。

一冊目は子供向きの本で、一手詰めからはじまり七手詰めまで載つてゐる。買つたのは将棋にはまつた直後だつたと思ふので、一昨年だらうか。
まはりに一緒に指してくれる人がゐるわけでもなし、自分ひとりでなんとかするには詰将棋をするくらゐしか思ひつかなかつたのである。

まつたく将棋を指したことのない人間にはときに一手詰めでさへどうにもならないことも多い。三手詰めになるともうお手上げだ。

そんなわけで、一冊目ははふりだしてしまつた。

今回また突然詰将棋を解くつもりになつて、その時の本をひつぱりだしてこやうかとも思つたのだが、つい新しい本を買つてしまつた。「内藤國雄 著」とあるのに惹かれたからである。

世の中の詰将棋の本には大きくわけて三通りあると思ふ。
ひとつはいはゆる詰将棋作家やその団体が出した本。
プロの将棋指しが問題をみつくろつた(ことになつてゐる)本。
そして、プロの将棋指しが問題を作つた本。

「著」とあるからは内藤國雄九段が作つた問題が出てゐるのであらう。

プロの将棋指しにも二通りあるやうだ。
ひとつは詰将棋を作る人。
もうひとつは詰将棋は作らない人。

おそらく詰将棋を解かない(あるいは解いたことのない)プロ棋士はゐないだらうと思ふので(昨今はさうでもないのだらうか)、かういふくくりになる。

内藤九段は前者の代表といつたところか。

詰将棋をまた解かうと思つたきつかけは、この内藤九段と米永邦雄永世棋聖の対談集「勝負師」を読んだからだつた。
中に、「将棋はダメ。詰将棋になるともつとダメ」といふやうな発言があつて、さみしくなつたのである。
先生方、頼みますよ、冗談でも「将棋はダメ」なんておつしやらないでくださいまし。
そんな気持ちもあつた。

だがそれだけで新たな本を買ひ求めやうとは思はなかつた。
最初の問題が解けたら買ふことにしてゐた。
こども向けの問題でさへ歯が立たなかつたやつがれである。将棋を指したことすらないやつがれである。
それが級位者向けとはいへ段に手がとどかうかといふ人向けの詰将棋が解けるものなのかどうか。
自信がなかつた。

店頭で一問目を見て、これが解けてしまつた。
なるほど、かうやつて客を呼ぶのか。
さう思つて、買ふことにした。
ちなみに一問目は数問は一手詰め、そのあと三手詰め、五手詰めと続き、最後は十余手詰めまで出てゐる。

解いてゐて、びつくりしたことがある。
なんと、三手詰めも半分くらゐは解けるのだつた。
そして、かつてはまつたく歯の立たなかつた五手詰めにも解けるものがあつたのである。
これにはわれながら驚いた。

くどいやうだが、やつがれ、将棋は指したことがない。チェスも同様。
なにかしてゐることがあるとすれば、精々テレビで対局のやうすを見るくらゐである。
Treo に 棋譜 for Palm が入つてゐて自分でおこした棋譜が数点入つてゐたりするが、これを見たからといつて指したことのない人間にはどうもぴんとこないといふのが正直なところだつたりする。とはいふものの、それはそれで楽しいんだけれどね。

すなはち、普段ぼんやり見てゐる対局とその解説が身になつてゐるとしか考へられないのである。

さらに、ある発見をした。
指したことがないからだらう、大駒を捨てるのに抵抗がない。もう飛車だらうが角だらうがばんばん捨て駒にしてしまへる。
実際に指すやうになつたらかうはいかないんだらうなあ。

今あの時はふりだした本を見たら、結構解ける問題があるのかもしれない。探してみやうかな。

そんなわけで、将棋は、さらにいへば詰将棋は、全然ダメぢやあないんですよ。
多分ね。

Monday, 13 December 2004

新感線のメガネくん

あ、あ、あ、あはあはあは、粟根まことっっっっ。

夕べ、なんとか衛星放送の大河ドラマに間に合つたやつがれの第一声はこれだつた。

メガネはかけてゐないものの、あれはまさしく粟根まこと。
をいをい、最終回でいきなりこの展開はなにごとっっ???

といふわけで。
至福の四十五分間であつた。

古田新太、あひかはらずいいしなあ。野田勝っっ。この勝海舟を厭ふやつがれにここまで入れ揚げさせるとは、憎しも憎しされど会ひたし。つてそれぢやあ碁敵だよ。

それにもう登場をあきらめてゐた栗塚旭は出るし。
なんだか今年の大河ドラマ、異様に視聴者サーヴィスがいいぞ。例年、こんなにサーヴィスよくないぞ。
うーん、余は満足ぢや。

既に書いたが、今回の大河ドラマに対しては妙に「史実とちがふ」「史実無視」といふ批判が多かつたやうに思ふ。
しかし、史実なんぞはどうでもいい。TVドラマなんだぜ。エンターテインメントだよ。史実史実といふのなら、なぜたれも来年の大河ドラマに弁慶が出ることを云々しない。をかしいぢやあないか。

どちらかといへば、たとへば小さい子供が見てゐるやうなら、その親が責任をもつて「これはTVドラマだからね。信じちやいけないよ」くらゐの教育をすべきなのである。史実を知りたければ、あとから学べばよい。

そんなわけで、まあ主役まはりがぬるいのは大河ドラマのお約束、とこれまた既に書いたとほり、そのあたりがダレてしまふのは致し方のないこと。また、おそらくどこぞの上層部がねじこんだのであらう配役にも目をつぶるとして、そのほかについてはやつがれは特に云ふことはない。視聴率? くだらんね。民放ぢやあるまいし。

最終回としては、結構いい出来だつたのではないだらうか。

さて、来年の大河ドラマを見るべきかはたまた見ぬべきか。

Sunday, 12 December 2004

帰宅

京都から戻つた。
また来年、だらうか。

今日は天気が悪くなるといはれたので早め早めに移動を開始した。
まづは東寺さんへ。ここでは頼まれもののお線香を購入。この時期、ブツは拝めないのでさらつと見て去る。
壬生寺界隈は……悩んだんだよ。中坊ん時から行つてるからね。八木邸が公開された時にも驚いたが、去年はもつと驚いた。今まで何もなかつた壬生寺のある箇所に立派なプレハブみたやうな建物が建つてゐて、そこから先は別料金、といふのである。
それまで隊士のお墓には特に何もなくても行けたはず。
世知辛い世の中になつたものよ、と、嘆くことひとたびならず。

すつかりかはりつつあるあの界隈に赴くのも気が引けたが、「それ系のお嬢さんたち watching」の誘惑には勝てなかつた。
何をかくさう三年ほど前にも「それ系のお嬢さんたち watching」と称して晴明社に行つたやつがれである。
案の定、それ系のお嬢さんたちでにぎはつてゐたが……それよりも多かつたのはそれ系のおじさまおばさま連であつた。
いやはや、偉大なり大河ドラマ。

そんなわけで、東寺から四条大宮、壬生寺、と来て、京福電車に乗り込む。
京福電車、好きなんだよね。
はじめて乗つたのは高校生の時だつたらうか。以来京都に来れば乗らない時はないといふくらゐ、必ず乗る電車である。
何がいいつて……何がいいんだらうねえ。
とりあへずマイ・ハニー鏡容池に会ひに行くのに適した電車であるといふことは確かだ。

マイ・ハニーはあひかはらずの佇まいであつた。例年この時期にしか会ひにきたことはないが、花の時期もさぞかしよからうなあ。

鏡容池の何がいいかといふと……うーん、何がいいのだらう。一目惚れだつたのだが。
竜安寺といふとまづ石庭なのかもしれない。そして竜安寺の石庭も好きで、おそらく半日座つてゐても飽きないとは思ふのだけれども、それよりも鏡容池である。はつきり云つてそこにゐるあひだ、鏡容池はやつがれの庭だ。悪いね、みんな、ここはヲレのもんなんだよ。だつてヲレのハニーなんだもの。

つてなわけで、やつがれが如何に鏡容池に惚れてゐるかについては……うーん、こちらを御覧いただければわかることと思ふ。

マイ・ハニーとの別れを惜しみつつ、帰宅の途に。途中、高島屋で未練たらしく都羽根の絹穴糸を追加購入するのも忘れないあたりなんといはうや。

Saturday, 11 December 2004

旅の空の下

といふわけで京都にゐるわけだが。

しかし、これだけは書かせてくれたまひ。

横浜F・マリノス、優勝おめでたうっっっ!!

いやはや、これでまたF・マリノス優勝記念しをりを作らなければ。
既に京都タワーの地下でそれ用の絹穴糸は購入してあるやつがれである。

実は京都に着いて一番最初に行つたのがタワーの地下にある手芸屋であつた。
……いつたい京都くんだりまで何をしに来たのだ、といふ話もあるが、まあそれはそれ、旅の空の下、手芸屋に寄るのもまた楽しからずやである。

ちなみに今年は都羽根の絹穴糸も入手した。ところは四条河原町の高島屋で。都羽根はなかなか近所では手に入らないのでとても貴重な気分。ただ、廃色も多くてチト残念。

今日は久しぶりに東福寺から「京阪乗る人おけいはん」になつて三条京阪まで出、地下鉄に乗つて南禅寺、永観堂、哲学の道といふコースをたどつた。最初から東山方面をまはる予定でゐたが、なぜか毎年清水寺とか八坂神社はコースに入らない。どちらかといふと三十三間堂とか六波羅蜜寺に行つてしまふ。別に清水寺などが嫌いなわけぢやないんだが……むう。我ながら不思議ではある。

紅葉の盛りはすぎてはゐたものの、それはそれなりに趣のあつてよいものだつた、と書いておくかな。特に永観堂ではゆつくりのんびりできてよかつた。あと哲学の道にはあひかはらず猫がゐてにこにこしてしまつた。

それにしても歩き煙草が多くて辟易すること一度ならず。寺社では吸へぬだらうから仕方のないことなのかもしれないが、なんだかなあ。

明日は京福に乗つてマイ・ハニー鏡容池に会ひに行く予定である。
その前に壬生寺界隈に行つたものかどうか、悩んでゐる。

Friday, 10 December 2004

まねきが私を呼んでゐる

梶原景時が出てきただけでゾクゾクするやうな今年の顔見世。
松嶋屋つてこんなによかつたか知らんと、思つたほどだ。
なにしろ聲がいい。姿がいい。振りは今ひとつわからないけれど、とにかく絶品である。
やはり松嶋屋はかういふ生締の役がいい。

また来月正月にはこれを播磨屋で見られるのかと思ふとますますわくわくしてしまふ。

思へば、はじめて「石切梶原」を見たのも京都はこの南座で、平三景時はやはり松嶋屋だつた。この時は「切り手も切り手」「剣も剣」のあとに「役者も役者」と聲がかかつてゐたが、今回はなかつた。まああまりいいものといふ話もないが、ぴたりと決まると絶妙である。
さはさりながらこの期に及んでも澤瀉屋はせりふが入つてゐなかつた。もう十日過ぎてゐるといふのに。むむむ。

口上については特にいふこともない。やはり昔話は前の仁左衛門がうまかつたなあ。

「隅田川」。なぜこれを今、しかもこの配役で。
どうも成駒屋は高砂屋と一緒に所作をやりたがるきらいがある。高砂屋には所作はあまりむかないと思ふがなあ。しかも成駒屋と高砂屋であつてゐるかといふと……むむむむむ。あまり名前にはこだはらない方がいいのではないかと思ふ。

「助六」。白玉のやうな揚巻。とはいへ妙に貫禄のあるところもあつて驚く。たれに教はつたのだらうか。通人里暁のネタは大方の予想とほり「冬のソナタ」「ギター侍」「マツケンサンバ」と、あとは「伊藤園のおーいお茶」だつた。松助急病で亀蔵が代役。

こんな感じで今年の顔見世もおはり。
……なんだか妙に薄味な気がするのは気のせゐだらうか。去年よりはましだけどさ。なんだか年々薄味になつてゐるやうな気がする。
もうこれぞ顔見世っっってなこつてりした演目を見たいと思ふのは我儘なのかな。
さもありなんさもさうず。

Thursday, 09 December 2004

萬年筆でなにを書く? ~購入前篇

萬年筆を買ふ時は、大抵お店の人がためし書きを勧めてくれる。
高価なものだし、また personal なものだからだらう。

だから、萬年筆にかぎつては贈り物にするよりも贈る相手に一緒に文房具屋までつきあつてもらつた方がいいやうな気がしてゐる。
高価だからといつて書き味がよいとは限らないし、また、人によつて好みのあらうからだ。

ところでためし書きには何を書くべきか。
このあひだ読んだ本には「恥づかしがらずに自分の名前を書くといい」とあつた。自分の名前は一番よく書くもののひとつだから、といふのである。

これも個人差があらう。萬年筆で何を書くか。自分の名前などほとんど書かない人も多いのではないか。ちなみにやつがれは自分の萬年筆で名前を書くことはほとんどない。現在客先が外資系なので勤務表にサインする必要があるのだが、この時書くくらゐで、あとのほとんどの場合はまつたくちがふことを書いてゐる。

また、縦書き横書きの頻度も考へた方がいい。やつがれの好みからいふと、萬年筆は縦書きに向くと思ふのだが、仕事で使ふ場合は横書きの方が多いこともあらう。ためし書きするのだつたら両方ともやつておくにこしたことはない。

えうは自分が一番書きさうなことを書くのが一番、といふことになる。
さうすると店側が勧めるものとしては「名前」といふのが一番無難なのだらう。

かくいふやつがれは何を書くかといふと、大抵は縦書きで漢詩の一部分、横書きでいろはなどを書く。店員さんの見てゐる前では漢詩はやらないこともある。
これは明らかに一種の見得だ。普段、詩なんぞといふ風流なものを読む習慣のないやつがれである。それを敢て書くといふのは、これはもう見得以外のなにものでもない。

だがものは萬年筆だ。それくらゐの気合をもつて買つてもいいんぢやないか。

Wednesday, 08 December 2004

iBook がやつてきた

久方ぶりに Mac User に返り咲いた。

……つて咲いたかどうだか食べてみよ、といつた感じだが、ほんたうに久しぶりに新しい Macintosh を購入した。
ものは iBook の 12 inch。とりあへずメモリだけは目一杯乗せて、ハードディスクも少しばかり多めのものを選び、さらには US キーボード仕様にしてみた。

昔は Macintosh といへば ASCII 配列のキーボードだつたのだよ。

それがなつかしくてつい、 US キーボードにしてしまつた。別段、カナ文字が刻印してないからとかさういふ理由で選んだわけではない。
そもそも、カナ文字なんか刻印してなくてもかな入力できるしな、やつがれ。

つてなわけで、なつかしくシフトキーを押しながら「ろ」を打つたり、「-」を打つたりしてゐる。楽しいのう。

一つだけ困つたことは、MS-IME にはある動詞の登録が「ことえり」ではできないこと、だらうか。実は MS-IME には「ゐる」といふ動詞を登録してゐる。だから「ゐない」とか「ゐません」とか「ゐて」とか、普通に入力変換できるやうになつてゐる。
一方「ことえり」では動詞の登録ができない。
ひよつとしたらできるのかもしれないが、今のところわからない。
そんなわけで、ひとまづ「い」と入れたら「ゐ」に変換されるやうにはしてみた。

も一つ困つたことには、MacOS X では bash を使ふ、といふことである。
ああ、こんなことなら bash、学んでおけばよかつたな。とりあへず csh ならすこしは使へるのだが、それでは話にならない部分が結構あることに気がついた。

しかし、なんだか新しいことを学ぶつていい感じなんだな。
それで極めればもつといいのかもしれないが、生憎とやつがれにはそんな根気はない。とほほ。

あとはひとまづ emacs を落としてこないとな。

Tuesday, 07 December 2004

史実史実とたくさんさうに

来週で大河ドラマ「新選組!」も最終回を迎へる。
今年は例年になく「史実とちがふ」といふ点が取り沙汰されたやうに思ふ。これも原作がないゆゑか。原作があれば「原作に忠実に作つたから」といふ云ひ逃れもできる。今回はその逃げ道がなかつたから詰まされてしまつた、といつたところなのかもしれない。

その一方で、原作がなかつたからよかつた点もあるのではないかと思つたりもする。
たとへば登場人物だが、芹沢鴨や沖田総司は皆無とはいはないが今まであまりないやうな人物に描かれてゐて新鮮味があつた。
#沖田総司については、大河ドラマをくさしてゐたまんが家の描くそれよりずつとよかつたやうに思ふ。
#「風光る」に出てくる沖田総司には同形がそこらへんにごろごろしてゐてまつたくおもしろみも新味もない。
#まあ「お約束」が好きな向きにはそれでもいいのかもしれないな、とは思ふ。
あんなに魅力的な勝海舟なんて見たことなかつたしなあ。あと佐々木只三郎っっ。よかつたよなあ。実によかつた。竜馬暗殺のくだりなんて「うをー、只三郎さま~っっ」、だつたよ。あの回がよかつたとしたらそれはもう一重に伊原剛司演じる佐々木只三郎の気迫ゆゑであらう。ああ、只三郎さまがこんなにいいのに、殺される竜馬の情けなさよ……、とはいはない約束だらうか。

また、「ある隊士の死」なんて大河ドラマ史上に残るくらゐおもしろい回だつたと思ふのだがどうだらう。山南敬助と明里の別れの場面なんかも(ありきたりといはばいへ)実によかつた。

個人的には小劇団系の役者が多くて楽しく見られたし(その他の配役で一部「…………」と思ふ向きはあるものの)、栗塚旭・島田順司とオールド・ファン(わら)にはなつかしい俳優の出演もあつて、例年になくサーヴィスよかつたしな。

主役まはりがぬるいのは大河ドラマのお約束だからまあそこはそれ。

だいたい「史実が」「史実が」なんていふ輩にろくな奴ぁゐねえよ。
佐久間象山を演じた石坂浩二の水戸黄門をひきあひに出すまでもない。
#石坂浩二が留めだなんてっっ(>_<)と、嘆いたこともありましたな。

物語と史実はちがつて当然。鍵屋の辻において一人で三十六人を斬つた人がゐるといつてたれが信じますか。「髑髏城の七人」ぢやああるめえし。
#……実は信じる人もゐる。さういふ人はすくはれる。足元を。

だけどそれをもつて「史実とちがふ」といふ人はない。多分。
いいんだよ、別に一人で三十六人斬りをしたつてさ。その方がもりあがるぢやんよ。
といふことがわからない類が多いんだらうなあ。住みにくい世の中である。

今回は比較的近い時代のことをやつてゐたからよけいに「史実とちがふ」「史実とちがふ」とお念仏を唱へる唐変木が多かつたのだらう。これはこれで致し方ないか。

来年は……さすがに「弁慶なんてゐたかゐなかつたかわかんないのに出すんぢやねえよ」とかわけわかんないことを云ひ出す人は減るだらう。皆無とはいへないが。
主役がほとんど伝説の人物だからね。その点、今年よりは楽だらうと思はれる。

まあ見ない可能性も高いんだがね。

Monday, 06 December 2004

浮かれた気分

ものすごく浮かれてゐる。

まづは横浜Fマリノスが勝つた。
日産時代から応援してゐるとかいひながら(でもこれはほんたう)、今回ばかりは浦和にもつていかれるのではないかと思つてゐた。
浦和の方が勢ひがあるし若いしいいかなといふ気がした。

だが蓋をあけてみたらどうだらう。

うーん、ごめんなさい。そしてありがたう。

さらには大河ドラマである。
まづは留めが野田勝すなはち野田秀樹の勝海舟であること。
今回の大河ドラマは留めに納得のいかないこと甚だしかつたが(石坂浩二とか江口洋介とか)、なんかやつと留めたるにふさはしい留めがやつてきた感じがした。
前回の勝海舟はすばらしかつたものなあ。正直云ふと勝海舟は好かん。どちらかといへば小栗上野や川路聖詮謨とかの方が好きかも。
#ところで川路聖謨つて佐藤慶に似てるよね。つてこれが書きたかつたんだな。

しかし、野田勝である。うーん、見てゐて思はず引き込まれちやつたよ。いかんいかん。

そして今週は古田新太だ。
まづ後姿で登場して元 NOVA の鈴木さんに呼ばれて振り返るあたりからもう古田新太の魅力の虜である。
しかもあの悪役面していい人っっ。とつてもいい人っっ。
#いや、有馬藤太だからね。いい人であたりまへなのだが。
主役そつちのけで有馬さんばかり追つてしまつた。あーあ。これで出番が二回だけとは如何にももつたいないよ。もつたいなさすぎる。もつたいないお化けが出てしまふくらゐの勢ひだ。

なーんかこの伝で来年の大河ドラマも見てゐさうな予感がする。

それから。
なんか今更ながらに「ヲレ、「天守物語」をこんなに好きだつんだ」といふことがあつた。
泉鏡花のアレである。
なんかの拍子にもりあがつてしまつて人に説明しやうとしたらなんだかすごい熱弁になつてしまつたのである。
以前、これと同じやうな経験をしたことがある。
あれは、めりけんの人に「東海道四谷怪談」の説明をした時だ。しどろもどろの英語で、しかし、忠臣蔵にまつはる話から四谷怪談の話まで、一生懸命に話をした。
この時「あなたがそんなに話す人だとは思はなかつた」と云はれた。
この頃まだやつがれは芝居を見に行つたことはなくて、でも見に行きたくて仕方がないやうな状態だった。
人間、自分の好きなことなら喋れるといふことだらう。

その後、今度はおろしあの人に「源平布引滝」の「義賢最期」と「実盛物語」を説明する機会があつた。
このおろしあの人は歌舞伎座で澤瀉屋の実盛と右近の義賢を見てきたといふのだが、話が全然わからなかつた、といふのである。
この時もどうにもならない英語で、それでも一生懸命二つの話のつながりと、あらすじを語つた。
社交辞令だつたのかもしれないが、とても喜んでもらへた。後に、お国に戻つたあと絵葉書までくれた。

なんだ、ヲレにもできるんぢやん。

そんなことを思ひ出す週末だつた。

Sunday, 05 December 2004

フェアぢやないアイルニット

生まれて初めてシェットランドヤーンを使つてみた。

買つたのは六月頃だつたらうか。
ミトンを編むつもりだつたのだが、はつきりいつてミトンを編むどころの騒ぎの量ではない。
ひとまづ、今月号の「おしゃれ工房」に出てゐた帽子を編むことにした。

ところでもう既に何度も書いてゐるが、編込み模様が苦手である。
今年は編込み模様に精進する予定だつたが、もう十二月になつてしまつた。

今までのところ完成したのはくつ下 Canada だけで、あとはミトンを編んでみてはゐるものの、完成してゐない。既に二度ほどいてあみなほしてゐるが、今編んでゐるのもほどく予定。

なんだか知らないけれども、とにかくうまく編めないのである。裏にわたる糸がゆるすぎたりきつすぎたりしてしまふ。

しかし、どうやらそれは五本針とか四本針で編んでゐるためらしい。針と針との境目がうまく編めないのである。
今回は帽子といふことで、輪針で編んでみたが……
確かにまだまだ裏にわたる糸の調子は均一とはいへないが、しかし、ダメ、といふほどでもないのである。
だがやつがれが編むと「フェアアイル」ぢやなくて「アンフェアアイル」になつてしまふのはなぜ……。しかも色合ひがなんだかジャージみたやうな感じでとほほである。

うーん、最初は小ものから、と考えたのがまちがひだつたのかもしれない。とりあへず最初は輪針で。これがよかったのかも。

糸は配色糸を左、地糸を右に持つて編んでゐる。これもいいのかも。アメリカ式の編み方もそれなりに身についてきたしな。まあこれは人によりけりなのかもしれないが。おそらく配色糸も地糸も同じ手にかけた方が編みやすいといふ向きもあらう。

それにしても話には聞いてゐたが、シェットランドヤーンは実に軽い。時に指にかけてゐるのを忘れるほどである。

うーん、なんかもつと編みたいぞー。
ひとまづ今年の目標をクリアするためにも編みたいところである。

Saturday, 04 December 2004

一億冊

神奈川県は三浦半島の突端へ赴く。

誘はれた時、マグロでも食べに行くのかと思つた。
さう云つたらえらく笑はれたが、家族に行き先を告げたら「カマ焼きを食べに行くのか」と云はれたので、普通の反応だと思ふ。

幼いころ神奈川県に住んでゐたことがあるので、油壺マリンパークに遠足で行つた記憶がある。ここの水族館と江ノ島のそれとが記憶の中でごつちやになつてゐる。

んでまあ何をしてきたかといふと、高校を出て以来久しぶりに籠球なんぞに触れてみた、といふわけなのだが。正確には、おそらく高校二年の時に授業でやつたのが最後だつたと思ふ。

正式にやつたことがあるわけではないので、もうすつかり身体が忘れてゐた。
実は高校生くらゐのころはいはゆる 3on3 といふか、ストリートバスケみたやうなことをやつてゐたこともあるのだつた。今思ひ出した。
当時、バスケットゴールに比較的恵まれた環境にゐたのである。さういふ環境にゐると、自然とやるやうになる。しかも、同じころ大学バスケに入れ揚げてゐたことがあつて、さらに熱は昂じた。

うーん、今まであまり思ひ出さなかつたことが次から次へと出てくるな。

ここをお読みくだすつてゐる方々には、「え、なんでこんな話題?」と思はれる向きもあらう。
当の本人がさう思つてゐるのだからそれもまた当然といへる。
久しぶりにやるとやつぱり楽しくて、これならたまにできるといいなあと思つたりもするのだが、おそらく地域のチームといふのは勝利を目指したものであらう。勝ち負けに興味はないので、さういふところには向かない。残念ながら。
いや、勝ち負けにこだはりすぎるから興味のないことにしてゐる、といつた方が正確か。
いづれにしても、元々体育会系の魂を持ち合はせてゐないし、体育の成績はいつでも最低だつたので、勝利を目指すやうな人々に混じることは不可能だ。

そんなわけで楽しかつたのだが、同時に少しさみしかつたことも事実。
それは、行つた先で見た絵のせゐだけれども。
ああ、もうこれで終はりなんだな、この続きはないんだな、と感じたからだ。
きつと第二部は読者の心の中にあるのだらう。
仕方がないが、現実は受け入れねばならない。

Friday, 03 December 2004

はまりさう

直感ヒトフデはおもしろい。

昨日突然 Nintendo DS を買ふと決めた時に、決め手になつたのは直感ヒトフデだつた。
なんとなくよささうな感じがした。

ほかの人々はマリオや「君のためなら死ねる」を手にしてゐたやうに思ふ。やつがれはほとんど迷はず、パッケージを手に取つた。

思へばワンダースワンもグンペイ専用機だつた。

いやになるほど頭が悪いので、かういふパズル系は苦手である。テトリスもぷよぷよも全然ダメ。ダメだけど持つてるけどな。フリーセルもダメだなあ。
実は将棋・囲碁をやらないのも、かういふ原因があるのかもしれない。

とはいひながら、遊んでしまふわけだけどね。

直感ヒトフデはタッチパネルをもつ Nintendo DS ならではのゲームだと思ふ。
詳しくは……TVコマーシャルなどでもやつてゐるのでそちらを御覧いただきたい。
かんたんにいふと方眼のマス目に図が表示される、それを一筆書きするとマスが消へる、といつたところだらうか。
マスが上から落ちてくるいはゆる「落ちものゲーム」つぽいモードあり、一つ一つ問題を解いていくゲームあり、またハードとソフトを揃へれば対戦もできる。
対戦はおそらくやらないな。

ところで Nintendo DS に関する情報は何もないままに入手したのだが。
専用のゲームソフトとゲームボーイアドバンス用のゲームソフトと両方挿しておけるところがいい。
「知らなかつたんかい」といふ突つ込みには「はい」と答へるしかないのだが。

今までのゲームの仕方からいふと、まづは時間をかけてじつくりやるロールプレイングゲームやシミュレーションゲームが一つあつて、でもそれで遊ぶ前にシューティングやアクション系のすぐ終はるゲーム(下手だからである)をひとつかふたつやるのが常である。これはスーパーファミコンのころからずつとさう。別に理由はないのだが、なんとなくさういふ流儀なのだ。

この場合、一回一回カートリッジなりCD-ROMなりをさしかへなければならないのだが、Nintendo DS はゲームさへうまく選択すればそれをしなくてもすむのである。

うーん、いいぢやあないか。

といふわけで、とりあへず GBA 用にはファイアーエムブレム烈火の剣をさしてみた。

Thursday, 02 December 2004

なんで買ふかなあ

といふわけで。
NINTENDO DS を買つてしまつた。
全然買ふ気なかつたのに。

一緒に「直感ヒトフデ」も入手した。
はまるで。

……この伝でPSPも買つてたらどーしよー。
#大丈夫。PSPは売り切れてるから。きつと。

Wednesday, 01 December 2004

Mac 讃歌

iBook を買ふことにした。

もうせん Mac 派だつた。
多分、学生時代とある省庁系の研究所でアルバイトした時からのことだ。
当時はわからなかつたが、今思へばこの研究所にはものすごい「Mac ヲタク」な所員がゐたのである。
んで頼みもしないのに、各所員の Mac にさまざまなアプリケーションをインストールしてまはり、「ちよつと Mac の調子が悪いんだけど」といふと二つ返事で見てくれたりしたのだつた。

まあやつがれはその所員さんとはほとんど話したことはなかつたのだが。

当時はまだ計算用の汎用機も現役でばりばり動いてゐたし、新たに買つたスーパコンピュータもあつた。所員一人一人に Unix マシンもあつたし、公式の書類は一太郎で書かないといけないといふので Windows マシンもあつた。
#なぜ Mac に一太郎が入つてなかつたのか。
#きつと件の所員さんの趣味にあはなかつたのだらう。

その中で一番使ひやすかつたのが Macintosh だつた。

アルバイトなので住所録なんぞを作つたりもしたのだが、この時に FileMaker をはじめて使つて別段苦もなく作成でき、しかも宛名印字もかんたんにできてしまつた。
また、今でも Visio などで文書を作る時に妙に手馴れてゐるといはれることが、これは MacPaint と HyperCard でつちかつた技だつたりする。画像を扱ふアプリケーションの基礎は(よつぽど妙なアプリケーションでないかぎり)MacPaint や HyperCard とほぼ同じ操作方法でなんとかなるものだからだ。

実は、アルバイトをしてゐたころ、Macintosh でかなりあそばせてもらつた。MacPaint もその一つ。楽しかつたなあ。マウスで絵を描くのは難儀だつたが、でもそれを上回る楽しさがあつた。

楽しんで覚えたことは忘れない。

みなさんも仕事で使ふ前に Visio で遊んでみたらいかが?
などと、云ひたくても云へない、ちよつと恥づかしがりやさんなやつがれであつた。
つてーか Visio で遊びたいと思ふ?

ちなみに iBook のキーボードは US 仕様にしてみた。
アルバイトしてゐたころ、すべての Mac は ASCII 配列のキーボードだつたからである。

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