« やつてもーた | Main | ある時気がつくいい役者 »

Friday, 19 November 2004

手足を断ち酒瓶の中に捉ふ

資治通鑑の巻第二百はいきなりすごい展開からはじまる。
唐の高宗の時代、と書けばお察しのとほり、武則天の話だ。
武則天の話ですごいとくれば、例のアレである。
高宗の寵姫ふたりの手足を切り、酒の瓶に入れて殺したつてアレ。
映画「西太后」では西太后が同じことをやつてゐるが、確か西太后はそこまでひどいことはしてゐないことになつてゐる。

武則天といふとこの話ばかりが有名だが、やつがれにとつては、
「字を作つた人」
といふイメージが大きい。

武則天がゐなかつたら、黄門様や瀧夜叉姫を退治する人の名前はかはつてゐたはずだ。
徳川光圀や大宅光圀の「圀」の字を作つたのが武則天だからである。
ほかにも自分の名前である「照」といふ字を下のやうな字に変へたりしてゐる。
 日月
 空
つてこの二つくらゐしか知らないんですけどね。

さらに、本国では案外評価が高いらしい。政治手腕がすぐれてゐた、といふのである。
実際、貴族たちが叛乱を起こしても国民は「まー生活は楽だから」つてーんで熱心に取り組まなかつたらしい。
中国唯一の女帝である。それだけの能力がなければ帝位にはつけなかつたらう。

必要とあれば子供も殺す残虐なだけの人といふ印象は、おそらく儒教にしばられた当時や後世の歴史家たちが作り上げたものだと思はれる。少し前までは「則天武后」と呼ばれてゐたことが多く、「なーんで皇帝になつたのに「后」なんだらう」とふしぎだつたものだが、このあたりも近年はあらたまりつつあるらしい。

それにしてもこのFEP、ダメだね。「武則天」も「西太后」も出やしない。なぜか「則天武后」は一発で出るといふのは、儒教に侵されてゐる証拠。

ところで高宗、自分の后がどんな性格かはよくわかつてゐただらうと思ふのに、そんなに王さんと蕭さんがよかつたのかねえ。実は嫌つてゐたんぢやなからうか。もう愛想がつきてゐた、とか。でも自分からは手を下したくないから、んぢやあ后にやらせてしまへ、と考へた、と。
だつて資治通鑑のこのくだりを読んでゐて思ふことといつたら、「高宗ががまんしてりやあ二人ともこんなひどい死に方はしなくても済んだだらうに」といふことなのだから。

しかし、がまんしてゐてもいづれは四肢を切られて瓶に入れられるやうな目にあふことにかはりはなかつたのかも、とも思ふ。
さうすると高宗の行動も、まあうなづけないこともない。
どうせ変はらぬ末路なら、せめても一度やさしいことばの一つもかけて。
そんな風に考へたのかもしれない。

といふわけで。
この weblog のエントリも今回で二百回。
司馬光先生の褌で相撲を取つてお茶を濁すナリ。

|

« やつてもーた | Main | ある時気がつくいい役者 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35084/2009073

Listed below are links to weblogs that reference 手足を断ち酒瓶の中に捉ふ:

« やつてもーた | Main | ある時気がつくいい役者 »