遅刻是か非か
遅刻は仕方のないことだと思つてゐる。
ずつと「バスまかせ」暮らしである。
最寄駅に出るにはいづれに行くにしてもバスを利用するしかない。
バスに乗らずに自転車やスクータで行く手もある。だが毎日のこととなると、自転車やスクータは必ずこはされたり盗まれたりする。それを考へると、やはりバスに乗つた方がいい。
歩くといふ手もある。だが、歩いて行くほど早く起きるのだつたら、同じ時間に起きてバスに乗つた方が幾分かましであらう。
子供のころからバスに依存した暮らしをしてゐると、「少し早めに家を出る」やうになる。今も順調に行けば四十分くらゐ早めにつくやうな時間に出かけてゐる。
今の職場にうつつてもうすぐ三ヶ月だが、今のところ毎朝同じ時間に出る(はずの)バスに乗つてゐる。一度だけためしに一本前のバスに乗つたことがあるが、職場に着く時間は大してかはらなかつた。それ以外はほかのバスに乗つたことはない。
バスは絶対時間とほりに来るといふものではない。
また、時間とほりに来ても途中の道が混んでゐる場合もある。
ゆゑに「早めに家を出る」のである。
だから、遅刻してもこれはもう仕方のないことなのだ、と思ふ。
かつて、とあるホテルでなんらかの国際会議が開かれたことがあつた。
ところが当日はひどい天気。
これでは通訳が来られないのではないか、と、主催者が気をもんでゐたところ、件の通訳はごく普通に会場にあらはれたといふ。
なんでも天候が悪さうなので昨日から来てゐたのだ、といふ。
この人はおそらく「遅刻は仕方のないこと」とは思つてゐないのだらう。
それでは、毎日前の日に出勤することが可能か、といふと……
不可能とはいはないが、現実的ではない。
不慮の遅刻をふせぐには、職場のすぐそばに居を定めるしかない。
それができないからには、やはり毎日「少し早めに家を出る」くらゐしか防御策はないのである。
「遅刻は仕方のないこと」にはもうひとつの面がある。
学校や職場でいろんな人を見てきたが、遅刻する人は遅刻する。
なんのこつちや、と思ふ向きもあるかもしれない。
時間ギリギリに登校する人は、いつでもさうである。従つて遅刻の憂き目にあふことも多い。教師が注意すると、直後はあらたまるがまたいつのまにか遅れてくるやうになる。
職場でもさうである。鐘の鳴るのと同時に来るやうな人は毎朝さうである。遅刻が多くて上司に怒られると、やはりその直後は少し早めに来たりもするが、やがて元に戻つてしまふ。
「遅刻は仕方のないこと」といふ所以である。
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