足柄山の金太郎
紅旗征戎は我が事に非ず。
といふわけで、「トリヴィアの泉(正確には「トリビア」かもしれないが……許してたべ)」である。
今回気になつたのは「金太郎」についての話である。
世の中、「金太郎」の話をきちんと話せる人が少ないやうである。ついては日本で「金太郎」の内容をきちんと説明できるのは何パーセントか調べてみやう。
番組では百人に二人とゐない、といふ風に落ち着いてゐた。
まあね、あれですよ、TVなんぞにインタヴューされたらはづかしがつて知つてゐても答へない人も絶対ゐると思ひます。
とくに老人層。そして、さういふ mentality は大変好ましい。
もとい。
「きちんと説明できる」の判断基準は、四つの要素をもれなく話すことができること、であつた。
四つの要素とは以下のとほりである。
一 足柄山にゐたこと
二 熊退治をしたこと
三 源頼光の家来になること
四 大江山の鬼退治に参加したこと
……一番に「山姥の息子である」つてのも入れてほしかつたと思ふのはやつがれだけだらうか。
それはさておき。
番組を見てゐた感じでは、一番二番は結構話せるやうだ。問題は三番以降である。
考へてみれば、幼い頃読んだ「金太郎」の話は、大抵熊退治で終はつてゐた。その後、金太郎が坂田金時になり、坂田金平といふ息子をまうける、なんぞといふ話はいつさいでてこなかつたやうに思ふ。
多分、我が家には二冊ほど「金太郎」の載つてゐる絵本があつたやうに思ふが、どちらも金太郎が元服した後の話は出てこなかつた。
ではなぜ金太郎が源頼光の家来になつて大江山に鬼退治に行つたことを知つてゐるのか、といふと、それは我が家にそのものずばり、「大江山の鬼」といふ本があつたからである。おそらく小学校の低学年用とおぼしきその本は、まづ金太郎の話からはじまつて、その後頼光と四天王が大江山に鬼退治に行く物語へと続いてゐた。確か渡辺綱と茨木童子の話も載つてゐたと思ふ。
すなはち、やつがれはたまたま(さう、ほんたうに「たまたま」)幸運だつたのだ。
うーん、まづは世の中の「金太郎」絵本を集めて分析するところからはじめるべきだつたんぢやないのかなあ。
それとも、我が家にあつた「金太郎」の本が特殊で、世の「金太郎」絵本には元服後の金太郎(金時)の話まできちんと載せてゐるものなのだらうか。
え、自分で調査しろ?
うーむー。
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