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Monday, 01 November 2004

云ふべきか云はざるべきか

タキシーは苦手だ。

まづあれは密室だ。
大抵の密室殺人はまつたく密室ではない。本来なら「密室に見せかけた殺人」と呼ぶべきものである。
しかるにタキシーは密室だ。
運転手と客とが狭い空間に閉じ込められてゐる。
なんとも息苦しい。

また自分の行き先を告げなければならないのもつらい。
バスや電車なら自分が行き先を知つてゐればいい。
別段運転手や周囲の客に「どこに行くんですよ」と云つてまはる必要はない。
逆に迷惑がられるだらう、そんなことをしたら。

さらに、要所要所で方向指示を出さなければならない時がある。
現在通勤に使つてゐる駅は我が家からもつとも近い駅である。普段はバスで通つてゐるが、タキシーに乗る場合はバス通りではなく、俗に「裏」といふ道を使ふ。
試しにタキシーに乗つて我が家の方角を告げると、必ず運転手が訊いてくる。
「どちらから行きますか?」
と。

この時に「裏から」といへばちやんと「裏」から行つてくれる。ちなみに「裏」の反対は「バス通り」である。

裏から行けば千円とちよいで済むのだが、しかし、この時きちんと曲がる場所を告げないと大回りされてしまふことがある。
それがイヤなのと面倒くさいのとで「バス通り」を使ふ時もある。バス通りを使ふとどんなに安くても千六百円はかかる。せこい話かもしれないが、それだけ時間もかかるわけなので、慎重にならざるを得ない。

といふわけで、今宵は「裏」からと頼み、きちんと曲がる場所を伝へた。

だが。

心の中はなんとも複雑だつた。

なぜわざわざ曲がる場所まで伝へなければならないのか、と。

学生時代、とある店員の応対に憤つてゐる友人がゐた。
話を聞くだに店員の態度が悪いので、「さう云へばよかつたのだ」と云ふと、件の友人、

「だつてさう云つたらますますイヤな気分になるぢやないか」

と憤懣やるかたないといつた調子で答へた。

世の人は「これからの国際化時代、我々日本人も自分の思つてゐることをはつきり発言する必要がある」といふ。
だが、さうするといふことは、「云ふことによつてますますイヤな気分になる」ことを引き受けることでもある。
おそらく、「自分の思つてゐることをはつきり発言する」文化の人々はさういふ気分になることはないのだらう。あるのかもしれないが、「さうしたものだ」とわりきつてゐるか、わりきれない人は病にかかるのかもしれない。

口をつぐむかあるいはイヤな気分になつても口に出すか。

もしくはイヤな気分にならないやうにことばにする術を学ぶか。

いづれにしてもやつがれには今からそれを身につける猶予はなささうな気がしてゐる。

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