愚直なまでに真面目
先日ぼんやりとTVを見てゐたら、林家こぶ平がそのうち正蔵を継ぐといふ話が出てきた。
こぶ平は不器用なので、それを補ふために「愚直なまでの努力」をみづからに課してきた、といふやうなナレーションがあつた。
このあたりは記憶に基づいて書いてゐるので、まちがつてゐたら申し訳ない。
何をかくさうやつがれも、学校に通つてゐたころは「愚直なまでに真面目」でなんとか過ごしてきたくちであつた。
とくに体育・図画工作・技術家庭などといつた教科は運動音痴で手の指が全部親指なやつがれにとつてはどうにもし難いものであり、とにかくひたすらまじめなふりをするしかなかつた。
……と書いて何か違和感を感じた。
どうやらやつがれ、別段意図的に「愚直なまでに真面目」にしてゐたわけではないやうだ。
それしか知らなかつたのかもしれない。
さういへば長じて楽隊の一員であつた時や自動車教習所に通つてゐた時も、みなから恐れられた教師・教官に妙に好かれたことがあつた。
木管だつたやつがれが、ある時突然金管の飲み会に呼び出されたことがあつた。金管を教へにきてくれてゐた先生といふのが実に怖い先生で、その日はたまたまその先生に管分奏を見ていただいた後だつた。
練習後の飲み会は金管の集まりといふこともあり、元々群れるのは好かないやつがれは(だつたらなんで楽隊なんぞにゐたのだ、といふ疑問もあらう。やつがれもさう思ふ)、当然のやうに帰宅した。
家に着いてしばらくすると、電話がかかつてきた。
件の先生が、なんでやつがれが飲み会の場にゐないのか、と云つてゐるといふ。
呼び出されるままに呑み屋に行くと、先生だいぶきこしめしてゐて、分奏中のやつがれの姿勢がめうにいい、といふ話をされた。
えうは、他のパートが注意を受けてゐる時も真摯に話を聞き、うなづき、メモを取つてゐるのが好ましい、といふ話だつた。
やつがれにとつては別段特別なことではなかつた。ほかの先生に指導をあふぐ時も、同じやうにしてゐた。至極当然のことであつた。
さらに長じて、「愚直なまでに真面目」なんて社会に出たらなんにも役に立たないことを知つた。
世の中、何もかも結果がすべてである。
もしかしたら芸人の世界はちがふのかもしれない。また、芸人の世界だけでなく、ほかにもそれでとほる世界があるのかもしれない。
だが残念ながらやつがれはさういふ世界の住人ではない。
こんなことなら体育・図画工作・技術家庭で中途半端な成績を取らなければよかつた。徹底的に最低点を取つてゐればよかつたのだ。さうすれば世間といふものが早くからわかつたのに。
今でもやつがれは「愚直なまでに真面目」を演じてしまふ。
演じてゐるのならまだ救ひがあるのかもしれない。
習ひ性になつてしまつたらおしまひである。
……終はつたな。
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