わたしの論語
善は急げといふわけで。
「論語」を入手した。岩波文庫版である。
カヴァはご存知 BRAJACKET。
帰りの電車の中で早速読み始めてみたのだが。
これが案に相違のおもしろさなのである。
いや、仲尼さんが如何にえらい人なのか、なんてな話にはまあそんなに興味ないけれど(^_^;)、でも、
賢哉囘也 一箪食 一瓢飲 在陋巷
とか、
吾日三省吾身 為人謀而不忠乎 與朋友交言而不信乎 傳不習乎
とか、
通勤帰りできこしめしてゐるオヂや若人の中にありながら、読んでゐて思はずしみじみしてしまつた。
並行して米原万里の「真夜中の太陽」を読んでゐる。この本の冒頭にこんな話がある。
紐育でロシア人の夫婦とアメリカ人のロシア文学者と一緒にロシア人夫婦の家に向かふことにした。夫婦の家は高層マンションの百階にある。生憎とエレヴェータがこはれてゐて、四人は階段を上ることになつた。ただのぼるのはつらいからと、各階ごとに一人ずつ何か小咄をすることにした。
ぜいはあいひながらのぼりにのぼり、あと一階でたどりつくといふところで、その階の小咄担当である夫がかういつた。
「一階に鍵を忘れてきた」
そこで作者は書いてゐる。Turn of the century にあつて、我々も何か忘れ物をしてきたのではなからうか、と。それは何年前のことだらうか、と。
さて、もうやつがれが何を書きたいのかおわかりであらう。
我々が忘れてきたもの。それはおそらくたくさんあるのだらうが、その中のひとつは絶対「論語」である。
先日も五十九歳の小学校教諭が「肝試し」と称して被爆者の写真を児童に見せてゐたといふ話があつた。
被爆者の写真を子供に見せるのは悪いことだとは思はない。「肝試し」とはなにごとだ。
また、報道番組の受け売りなのでほんたうかどうかよくわからないが、万引きで捕まる五十代の人が増えてゐると聞く。
多分彼らは最初の「論語を忘れた世代」だ。
そして我々はさうした親たちに育てられた世代である。さらに孫の世代になつたらどうなるのだらう。
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