知らざあ云つてきかせやせう
最近の映画やドラマには「名せりふ」があるのだらうか。
ふとそんなことを考へてみた。
たとへば「渡る世間は鬼ばかり」など、延々と続いてゐるが、このドラマの「名せりふ」といふことになるととんと耳にしない。
また以前NHKの朝の連続ドラマだつた「ちゆらさん」の三作目が放映されるのださうだが、これまたこのドラマに出てくる「名せりふ」があるといふ話は聞かない。
映画……古くは「Here's looking at you, kid.」とか、もつと下ると「スター・ウォーズ」の「May the Force be with you.」とか、いろいろ名せりふがあつたものだが、ここのところきかないよなあ。
もう「名せりふ」といふのは古いのだらうか。
だれも「このせりふが いいねと君が云つたけど 六月十日は時の記念日」とか思つたりしないのだらうか。
……しないのかもしれないなあ。
このあたり、昨日のエントリと重なるのだが、さういふ風にことばに無頓着な人が増えてゐるからああいふわけわかんない略語が出てきてもみんな平気でゐられるのかもしれない、と思つたりもする。
ところで「あのせりふが聞きたいから」といふので行く芝居といふのがある。
助六とか切られ与三とか勧進帳とか御浜御殿とか浜松屋とか稲瀬川勢ぞろひの場とか三人吉三とか、せりふぢやない場合もあるけど寺子屋とか、絶対せりふぢやないけど忍夜恋曲者とか……
もともと視力の悪いせゐか、せりふまはしは気にかかる。
などと書くと、なんだかまるで「ヲレはことばに敏感なんだぜ」と自慢してゐるやうに受け取られる向きもあるかと思ふ。
だがさにあらず。やつがれは、おそらく周囲の人間よりことばに対して鈍感である。まはりの人々の方がよほど敏感、ある時には「過敏」とさへ思へる時があるほどである。
それは多分、今の世の中「名せりふ」が必要とされてゐないことと無関係ではないやうに思はれるのだつた。
« 神も仏もないものか | Main | Tinker, Tailor, Soldier, Spy »
Comments