今更ですが Tungsten C
なぜか PalmOS 機以外の PDA に興味がわかない。
いや、正確にいふと、リナザウこと現在の Zaurus はちよつとほしいやうな気がするし、Psion とか Newton MessagePad とかは持つてゐるし、ちよつと別格だつたりする。また Newton MessagePad や Psion の新機種が出るんだつたらまちがひなく買ふと思ふ。
だが、今回 Mobile PRESS を読んでつくづくその他の PDA に関する記事はそんなに一生懸命読んでゐないことに気がつくのであつた。
なぜだらう。
不思議である。
とはいふものの、CLIE の VZ90 はほしいとは思はないんだよなあ。
去年の暮れぐらゐからずつと一番ほしい PDA は Tungsten C だつたりする。
踏みとどまつてゐるわけは、
- 実機をさはつたことがない
- 実機をさはれるところに行けない
- キーボードが打ちやすいとは聞いてはゐても所詮ローマ字入力だらう
といつたところだらうか。
もう何度も書いてゐてくどいが、やつがれはかな入力派である。
愛機 Treo 90 を使つてゐてある時、なにがなんだかわからない文章を打ち込んでると思つたらいつのまにかかな入力のつもりでキーボードを打つてゐた、といふくらゐ、筋金入りのかな入力派である。
Jornada 720 とシグマリオン II のどちらを選ぶか迷つた時も、よりかな入力向きのキーボードだつたといふ理由で Jornada 720 を選んだやつがれだ。
これまた何度も書いてゐてくどいが、世の中、ローマ字入力の人の方が圧倒的に多い。だから PalmOS機 ではいつまでたつてもかな入力ができるやうにならないのだらう、多分。実際、どこだつたか失念したが、Palm系のサイトで「かな入力は遠からずなくなる」といふやうな論調を見たこともある。そして、それに反論したかな入力派の人の意見をこれまたばつさり切り捨ててゐたのも読んだことがある。
かな入力派が一見意固地で頑なな感じがするのは、さういふ「ほろびゆく種族」であり「虐げられてゐる(と本人たちが感じてゐる)種族」だからである。
おそらく、世の少数民族と呼ばれ、超大国からつまはじきにされてゐる人々が暴力に走つたりなんだりするのと同じ mentality なのだと思はれる。
大国や majority の側にゐる人々は、相手の窮状にまつたく関心がない。よつて平気で弾圧したり「いづれはなくなるんだよ」なんてなことを云つたりできる。相手の必死さに気がつくことはない。そして、「なんでこちら側に来ないんだ」なんてなことをさらりと云つてのける。さらには「いづれはなくなるつていふ現実を教へてやつてゐるのに」と、あたかも親切でやつてゐるかのやうなことまで口にする。
ことがかな入力でなければ、やつがれもまたさうである。
それにしても Tungsten C。今手に入れないと逃してしまふだらうか。
さう思ふとほしいやうな気も……。とほほ。
Recent Comments