せりふ・せりふ・せりふ
鴻上尚史の「名セリフ!」を読んでゐる。
著者が英国留学をした際、彼の国には「名ゼリフ集」なるものがあつて、俳優はその中から好きなセリフを選んでオーディションに臨むのだとか。
本邦にもそんなものがあればなあ、といふのがこの本を作るきつかけになつたといふ。
しかし。
残念ながら、この本だけでは本邦における名セリフ集は完結しない。
著者は古今東西から「これは」と思はれるセリフを選んだ、と書いてゐる。
だが、まつたくすつぽり抜けてしまつてゐるものがある。
それは、古典のセリフだ。
「名セリフ!」の中にはギリシャ悲喜劇やシェークスピアからの引用ももちろんある。
それぢやあ何が足りないのか、といふと、本邦の古典、すなはち「しがねえ恋の情が仇」とか「せまじきものは宮仕へ」とか「今ごろは半七さん」とか「そりや聞こえませぬ伝兵衛さん」とか、とにかくその類がごつそり抜けてゐるのである。長谷川伸もないし、眞山青果もない。「別れろ切れろは」もないし、「赤城の山も今宵を限り」もない。
鴻上尚史の頭の中に、「俳優がオーディションで使へるやうなもの」といふ考へがあつたのだとしたら、一面、これは正しからう。
今更どのオーディションで切られ与三のせりふを云ふものがあらうか。「別れろ切れろは芸者の時に云ふことば」なんて、新派のオーディションでなければ通用しないのかもしれないし。
また、著者は歌舞伎や文楽のセリフ(文楽は「セリフ」とは云はないが)は、戯曲ではない、と、考へてゐるのかもしれない。
だが、かうしたセリフがない以上、物足りない感は否めない。
といふわけで、これを補完するものとして、「おうむ石」や演劇出版社から出てゐる「名せりふ集」を併読するといいだらう。最新の「名せりふ集」には文楽・歌舞伎だけでなく新派や新国劇系の芝居のせりふも網羅されてゐる。
そして、「名セリフ!」と「名せりふ集」、それぞれに掲載されてゐる名せりふを実際声に出して読んでみるといい。
おそらく、口に出して気持ちがいいのは「名せりふ集」に取り上げられてゐるせりふの方なのではないかと思ふが如何に。
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