生半可な讀者
柴田くんが好きである。
柴田くん、などと気安い呼び方だが、柴田元幸のことだ。
書店などで著作を見つけると、「あ、柴田くんの本だ」と思ふし、たまたま年度始めに上京して東京堂なんぞに立ち寄つた折、「東京大学 柴田先生 ゼミ」と付箋の貼られたペイパーバックなんぞに出会はうものなら、
「こ、これはもしかして、柴田くんのゼミで使ふ教材っっ」
と、思はず手に取りさうになつてしまふくらゐである。
手にとればいいではないか、といふ向きもあらうが、はづかしながら文学にはとんと縁がないもので、おそらく読んでもおもしろいとは思はない可能性大なのだ。
……こんなんで「柴田くんが好き」とか云つてゐていいのだらうか……。
あー、いいなー、東大の学生は。柴田くんの授業が受けられるなんて……。うらやましー。これは本気でうらやましい。
はじめて柴田くんの本を読んだのは新潮文庫版の「佐藤君と柴田君」だつたと思ふ。
この本が大層気に入つたので、_Universe of English_ シリーズを「読む」やうになつた。
本格的に好きだ~、と思ふやうになつたのは、やつがれにしては苦労して探した「生半可な學者」と、そして「死んでいるかしら」を読んでからである。
なんたつて「死んでいるかしら」だよ。
「うをー、かういふ風に感じてる人つてちやんとゐるんだ」
といふのが最初の感想。
さう、何をかくさうやつがれも「死んでいるかしら」な感じで日々暮らしてゐるからである。
でも、さうは云ひつつも、柴田くんは全然「生半可」なんかぢやないし、「死んでいるかしら」でもないんぢやないか、と思つてはゐるが。
「愛の見切り発車」も好きだなあ。東大の職員紹介Webページを見たら著作欄に「愛の見切り発車」とか書いてあつて笑ふの笑はないのつて。
さて、ではやつがれがどのくらゐ「生半可な讀者」かといふと、柴田くんの本を読んで「うをー、この小説、おもしろさう」と思つてアメリカ文学なんぞを購入したりすると、大抵肩透かしを食らふ、といふあたりである。
ああ、ヲレつてとことん文学に向かないんだなあ。
でもまあおかげで _Catcher in the Rye_も読めたからいいか。天邪鬼なので結局原書で読んでしまつた。まちがつても野崎孝訳や、ましてや村上春樹訳の本は読まないんだよな。世界をせばめてる? さうかなさうかも。
それでも自分にしてはずいぶん読んだ方だと思ふ。
オースターはもちろん、エリクソンやミルハウザー、チトちがふかもしれないがバーセルミ……
オースターなんか原書まで買つちまつたくらゐである。嗚呼。
すべて柴田くんのせゐ、柴田くんのおかげだ。
ありがたう、柴田くん。
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