好きな役者の話をしやう
もうせん書いてゐるので、やつがれが播磨屋好きなのはよくご存知のことと思ふ。
といふわけで、今回は当代の三津五郎について書くことにしたい。
この世で一番肝心なのは素敵なバランス、とやつがれは思つてゐる。
古くは「中庸」といつたかもしれない。
「史上最強」を謳ひながら今一つ成績ののびないどこぞの職業運動団体は何が悪いつてバランスが悪いのだと、その運動のことなどよく知らないくせにさう思つてゐる。
逆に今のところ一位を維持してゐる団体についてはとある解説者が「どこがいいといふわけではないのだが、バランスがいい」と云つてゐた。さもありなんさもさうず。
現在一番バランスのいい役者、それが当代の三津五郎だとやつがれは信じてやまない。
劇団育ちの行儀のよさのためかと思ふ。
そのためか聊か地味な時もある。しかし、それがまたよい。
三津五郎をいいと思ふやうになつたのはいつからか。
まづそのせりふから云ふと、「忠直卿行状記」で忠直卿を演じた時のことだと思ふ。
冒頭の剣術試合が終はつて落ち着いた場面にうつたところで、三津五郎扮する忠直卿が愛妾にむかつて一言、
「あれを見よ」
といふ。
この時忠直卿は客席を見てゐるのだが、はつと気がつくと、自分も忠直卿が見てゐる方向に視線を向けてゐるではないか。だがそこにあるのは客席。我ながら驚いた。芝居の中の人物のせりふとほりに動いてしまふなんて、初めての経験だつたからである。
その後、三津五郎ではもう一度同じやうなことがあつた。
ほかの役者ではまづないことである。
せりふもいいが踊りもいい。
はつきり云ふと、やつがれ、踊りは苦手である。よくわからない。
澤瀉屋の「流星」などは、澤瀉屋が出てくる前に退屈で夢の世界に入つてしまふこと一度ならずといつたところだ。
まあ牽牛織女を演じる俳優がいけないんだとは思ふがね。
ところで大和屋の踊りだが、いつ見てもいい。踊りには不案内のやつがれが、いつしか惹き込まれてゐる。
いろいろ記憶に残つてゐるのだが、最近では襲名披露の時の越後獅子が無類であつた。
この若さであの浜踊りである。春風駘蕩とでもいはうか、悠揚迫らぬゆつたりとした踊りつぷりで、もういつまでも見てゐたいやうなすばらしさであつた。ああ、また見たいなあ。
最後に。
あまりかういふ話をきかないので敢えて書く。
三津五郎は、十次郎や三浦之助、「檀特山」の敦盛がいい。
とにかくさはやかなのである。
同じ役を中村屋だと誉めて書くものがある。
だが中村屋はかういふ役をやるとどうも口跡が幼くてよろしくない。なんだかべたべたするのである。
それが大和屋だと実に口跡さはやかで、いかにも武家の若君といつた趣きがする。
一度、三浦之助を演じた時に、舞台姿そのままで年末助け合ひ運動に参加してゐたことがあつたが、この時のうつくしさといつたら隣にゐた時姫を完全にくつてゐたほどであつた。
ああ、なぜみな大和屋のかういふ役を誉めぬのだ。
而して思ふ。
久我之助なんぞもよいのではないか、と。
……まああれか、大和屋はどちらかといふと荒事の役者なのであまりかうした役をやらないのかもしれないなあ。仕方ないか。
その他、老けをやらせてもいいし、女方で出てきてもいい。
踊りももつと見たいし、さうさう、荒事や江戸の生世話ものなんかもいい。
以前見た樋口や熊谷といつた時代物の役もいい。
ああ、いいなあ、大和屋。
なんとかして大和屋で、「義経千本桜」の三役を見られないものか。
当代随一なのではないかと愚考するが如何に。
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