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Saturday, 31 July 2004

SHOCK, SHOCK, SHOCK

衝撃的な出来事。

まづは奇跡ともいへる事柄だ
いい意味で「ショック」だつた。
云ふまでもない、蹴球亜細亜杯の準々決勝である。
いやはや、あんな勝ち方もあるのだなあ。
以前も書いたが、やつがれはどちらかといふと楢崎派である。
だが、川口にはこれがあるんだよなあ、と今回見てゐてしみじみしてしまつた。
これ、すなはち、神がかり的防衛である。
アトランタオリンピックの伯剌西爾戦でもあつたあれだ。
Fマリノスを捨てていつたといふ感があるので、川口についてはあまりいい印象がないといふのがほんたうのところだつたりするのだが、それでも一度はFマリノスの選手だつたわけだしなあ。松永との交代劇も劇的だつたし。ソラリ監督、えらかつたよなあ。

囲碁将棋チャンネルは銀河戦で羽生善治王座対中原誠永世十段戦。
ええのか、こんなに早く終はつて。
TV棋戦の上、ブロック決勝戦である。
二人とも考慮時間を一分残し、さらに放映時間が四十分弱あまつてゐる。
をいをい。
しかし一番衝撃的だつたのは、羽生対中原戦は木曜日だと思つてゐたこと(/_;)。
ぢやあ木曜日はなんだつたの……気になつて気になつて。

アニマックスで「ドラゴンボールZ」の放映がない。
いや、そんなことは早くからわかつてゐてしかるべきだつたのだ。
もうだいぶ前から七月三十一日から八月一日は三十時間にわたつてロボットアニメ特集がある、と番組宣伝があつたからである。
だが今日がその日であるといふことをすつかり失念してゐた。
うーん、我ながら見られないことがこんなにこたへるとは思つてゐなくて。
ヲレ、ばか?

……今更か。

Friday, 30 July 2004

これつて「ハムレット」?

「恋恋蓮歩の演習」読了。

今回もだいたい読んでゐて謎の答へはわかつてゐて、でも「これこれかうだから」とはいへない自分が情けない。
しかし、答へはわかつてゐてもいいのである。
だつてみんなわかつてゐて「水戸黄門」を見るのだし。

それに、謎の答へがわかつてゐても、物語を読むのになんの支障もない。
そんなにつまらない本だつたら最初から手にするわけがない。

といふわけで、解説の書きつぷりにはチト首をかしげる。
ほんたうに「やられた~」と思つたのだらうか?
「ああ、やつぱりね。かうのうてはかなはぬかなはぬ」と思ひながら読み進んだのではなからうか?
さういふ本だと思ふけどな。

Thursday, 29 July 2004

淫すれば鈍す

キーボードから文字を打ち込むやうになつてかなりたつ。
受験が終はつて暇な時にはじめたので、かな入力である。
その前から英文タイプの真似事みたやうなことをやつてゐたので、大抵の人より英文を打つのは速い。
従つてローマ字入力を学べばよかつたのかもしれないが、一々頭の中で文章をローマ字に展開していくのが面倒だつた。さらに生半可に英文タイプなんぞをやつてゐたので、外来語(特に英語から派生したもの)をローマ字入力で打ちこめないといふのが致命的で、自然とかなで入力するやうになつてゐた。

時々、ローマ字入力絶対主義な人とかゐて「どーしたもんだろ」と思つたりするが、それに反論するかな入力絶対主義者の主張にもくびをかしげることしばし。
ただ、かな入力つて圧倒的に立場が弱いんだよね。だからどうしても反応が過激になつてしまふのだと思ふ。
そこんとこ、ローマ字入力の人にもわかつてほしいな、と無理を承知で思つたり。

さて、キーボードで文字を打ち込むやうになつて、文章もどきを書くのは好きだがみづからの書く文字の汚さにほとほと嫌気がさしてゐたやつがれは「これこそが求めてゐたものかもしれない」と思つたりした。
生まれて初めて Newton MessagePad (120でした) に触れた時、みづからの書き散らした汚い筆記体の文字がみるみるうちに美しいフォントに書き変はつていく様にうつとり見惚れたことがあつたが、そんな状態に近い。

ところが。
困つたことにやつがれは、紙にペンや鉛筆で文字を書くのも好きなのである。
嗚呼。
何の因果であらうかな。

特に大して覚えてもゐない唐詩や漢文の類を書き散らすのが好きである。
職場で眠気覚ましの徒然に杜子美や李太白、白楽天に李長吉、孟浩然等等思ひつく限りの漢字を心の赴くままに書き連ねる。

ああ、なんて楽しいのだらう。

これで紙の上の字がうつくしかつたらもう云ふことはないのに。

だがほとんど漢字を書くことに淫してしまつてゐる自分には、文字の美醜を判断する冷静さがない。
昔の人も云つた。
淫すれば鈍す、と。

……さて、どこから嘘がはじまつたでせう?

Wednesday, 28 July 2004

今日の手芸

タティングレース
あひかはらず Masquerade を作つてゐる。
現在六枚つないだ。
レース糸次第だがあと三枚はつなぎたい。

あみもの
久しぶりにドミノ編み。
Rowan Denim でかばんを編んでゐて、今日は四角を三つ。
最初心落ち着かなかつたが、編んでゐるうちに段々平静な気分に。

やはりあみものやタティングレースはやめられない。

Tuesday, 27 July 2004

極楽がやつてくる

くじ運はあまりよい方ではない。
しかし悪いばかりといふこともない。
まああたつたりはづれたりの人生だ。

といふわけで、ネオブライスの「パラディバイモノコムサ」の抽選にあたつた。
う、うれしいよーう(/_;)。

我が家には都合三人のブライスがゐる。
ロージーレッドと、ネオブライスのパウワウ・ポンチョとアイラヴユー・イッツトゥルー。
いづれ劣らぬ長髪の持ち主である。まあロージーレッドはそれほどでもないかも。
ところで「パラディバイモノコムサ」は短髪だ。
ブライスをカスタマイズする人は結構多くて、髪の毛なんかも自身で刈り込んでゐる向きも多いやうだが、「不器用大王」のやつがれとしては、チトおそろしい。
実は最近我が家のスーパードルフィー楓(里からの使者とは別もの。着物めぐである)に姫子カットの鬘をあつらへたいと思つてゐるのだが、どうやらさういふ鬘は市販されてゐないもやう。
といふことは、黒(又は「ナチュラル」とか「ダークブラウン」とかそんなやうな色)のストレートの鬘を買つてきて自分で切るしかないのだらうとは思ふのだが……
うーん、なんだかこはくて(^_^;)。

そんなわけで、最初から短髪の子つていいかも。

今から楽しみで仕方がないが、やつてくるのは来月末らしい。
ああ、待ち遠しい。

ちなみに「パラディ……」の写真はこちらで見られる。
但し、Flash Plug-in 要。

Monday, 26 July 2004

Elegance の神様

世の中にはたくさんの「神様」がゐる。
本邦では「八百万」といふくらゐなので、あらためて書くほどのことでもないのだが。

しかしたとへば籠球の神様がマイケル・ジョーダンであり、Palm界の神様が山田達治であり、そして役者の神様が六世中村歌右衛門であるやうに、この世には Elegance の神様がゐる。
いや、ゐた。
あるいは銀幕の中には今もゐる。

かくして。

買ひも買つたり、BOX の中身も含め DVD を八枚。うち一枚は MGM ミュージカルものだが、残りはすべて、

フレッド・アステア主演作品

である。

BOX はアステア・ロジャーズものが五本。それと「恋愛準決勝戦」と「踊るニュウヨーク」。
アステア・ロジャーズものについては題名見るだけで歌が出てくるほど。でも映像はほとんど見たことがない。
もともと映画はあまり見ない方である。
映画より芝居の方が好きだからだらう、おそらく。

しかしアステアは別。
全身映しノーカットの踊りは圧巻といふほかない。
たまたまTVで放映してゐるのを見てしまふと、そのあひだ中なにもできない。
歌の文句ではないが、まさに I just can't take my eyes off of him. である。
試験中等に幾度ひどいめにあつたことか。
しかし見てゐる最中は至福の時である。なにものにも変へ難い。

今回特に楽しみなのは「恋愛準決勝戦」と「踊るニュウヨーク」。
「恋愛準決勝戦」はアステアが天井で踊る場面が有名だが、帽子かけと踊る場面も捨て難い。
ステッキといい、この帽子かけといい、アステアの相手はまるで生きてゐるもののやうに踊る。
ジンジャー・ロジャーズと別れた後のアステアにはこれといつた相手役がゐない(「踊るニュウヨーク」で一緒だつたエレノア・パウエルなんかはよかつたかもしれないが)。
だが、ステッキ、コート、帽子かけといつた生物に非ざるものが best partners だつたのかもしれない。

「踊るニュウヨーク」は上にも書いたとほり、エレノア・パウエルとの「Begin the Beguine」だらう。
かつては「ザッツ・エンタテインメント」でしか拝めなかつた「Begin the Beguine」が見られるとはなあ(T-T)。
これについてはコニー・ウィリスの「リメイク」に詳しい。
#そしてこの本にはなぜジーン・ケリーではダメなのか、がちや~んと書いてある

アステアは自身にクラシックバレエの素養がないことを気にしてゐたといふが、そこからあの優雅さが生まれてきたのでは、と邪推する。
アステアはこの世の重力・引力を自由自在に操れるのではないかとさへ思へる。
まさに神がかつてゐる。

ディートリヒやヌレエフのことばを待つまでもなく、また「のっぽさん」こと高見映の著作にあるが如く、
アステアほどの踊り手はゐない。アステアを見た眼には彼以外の人間の踊るタップダンスは「タップダンス」ではない。

ああ、早く見たいよ~う。
しかし落ち着いて見られるのは早くてこの週末だらうか。とほほ。

Sunday, 25 July 2004

暑い時の手芸

あみものもちよこちよこしてはゐるのだが。
かう暑いと毛糸を扱ふのは躊躇してしまふ。

そんなわけで、なんだかひたすらタティングレースばかり作つてゐる。
先日 DMC は Cebelia の 20番を使つてよかつた、といふ話をしたが、この週末は同じく 10番を使つたりしてゐた。色は紫。
なんで突然そんな糸を使つたりしてゐるのだ、とお尋ねの向きもあらう。
あ、わかつた、stash の整理をしてるんでせう、とすぐにおわかりになる向きもあらう。
さう、とにかく糸が(毛糸もレース糸も)増えすぎてしまつてどうにもならなくなつてゐるのである。
そんなわけで片付けるつもりがあつちにもこつちにも手を出す結果に……とほほ。

紫の糸では _Tatting with Visual Patterns_ から Black Magic といふ作品を作つてゐる。
現在進行形なそのわけは、長いものを作つてゐるからである。
まだまだたいして出来てゐないが、ちよつと見た感じは amethyst とでも呼びたいやうな感じだ。
これなら完成することも可能……かな?
しかし、普段オリムパスの40番使用の身には DMC の10番はなんだかロープのやうに思へる。糸が太いと目をそろへるのも結構大変。糸が太い分、目立つんだよな、不ぞろひだと。

ところで、こんなにいろんな糸に手を出せるのには理由がある。
それはボビンを使ふシャトルを使つてゐるからだ、と、自分では思つてゐる。
今までは一作品に必要な数だけシャトルを用意する必要があるのだが、ボビン使用のシャトルなら作品から作品を渡り歩くのにボビンをとりかへればいい。

……これつてひよつして UFO(しつこいやうだが UnFinished Object)を増やすだけ?

といふわけで、一応 Masquerade はこんな感じ。

Masquerade 4枚つなぎ

モチーフつなぎはつないだ結果、別な模様がうかびあがつてくるのが楽しい。
これはかぎ針編みでもさうだなあ。

次回手芸ネタの時は今毛糸で編んでるものを紹介できたら、と思つてゐるが……
この暑さではどうかのう……

Saturday, 24 July 2004

二週間の囲碁・将棋を一日で

囲碁・将棋ジャーナルを見たり「ヒカルの碁」を見たり銀河戦を見たり早碁(女流篇)を見たり。

囲碁・将棋ジャーナルは来週もお休みなのださうな(/_;)。
ところで、王位戦でインタヴュを受けてゐる羽生善治王座を見て愕然。
何云つてるかさつぱりわからないではないか。
どうしてしまつたのかのう。

将棋界で何を云つてゐるのかわからない、といへば……ああ、こんなことを書いてしまつていいのだらうか、と、ちよつと躊躇してしまふので、とりあへず「天才さん」と書いておかう。いや、まー棋士つてみんな頭よさげだし実際いいんだらうと思ふので……。
この「天才さん」、解説で出てたりすると、なんだか自分の世界に入り込んでしまふんだよねー。最初は「やつがれが将棋を知らないせゐでわからないのだらうか」と思つてゐたのだが、どうもさうではないらしい。
考へてみれば、長嶋茂雄だつて何云つてんだかさつぱりわかんないしな。天才つてかうなのかも。

しかし。
一方で、将棋指しにはうまく喋る人もゴマンとゐるのだつた。
それも、見るからに話好きさうな人からちよつと口下手さうに見えて解説なんかさせるともう別人なんてな人まで幅広い。
このちがひはなんなんだらうかなあ。

解説といへば、女流早碁で解説してゐた小林覚九段、穏やかな語り口に引き込まれること一度ならず。

「ヒカルの碁」は家中で見るので、囲碁将棋チャンネルとキッズステーションとあはせて二時間近くも見る。
我が家では対局場面に人気がある。ところがアニメーション版は「これから対局場面がどんどん増えさうなのに」といふやうなあたりで終はつてしまふ(すみません、我が家では原作を読んだことがあるのはやつがれ一人で、しかも単行本の一巻しか読んでゐないといふ体たらく)。なんてもつたいない。
「ヒカルの碁」つていつたらやつぱり対局場面だよねえ。そんなことないのだらうか。
ところで囲碁将棋チャンネルでの放映で、塔矢名人が引退を発表するのだが、果たして今囲碁や将棋の棋士で引退を発表したらニュースになるやうな御仁のありやなしや、と……。
失礼ながら考へてしまつた。
うーん、塔矢名人には中学生の子供がゐる、と考へると、年齢としては四十代くらゐか? なんか見たところ五十代後半に見えるがな。
んー、谷川浩司二冠が引退を発表したら……そらー大騒ぎになる、と思ひたい。
ちなみに名人、我が家では米長邦雄永世棋聖に似てゐるともつぱらの評判。
まー頬に縦皺があるつてーだけな気がするが。
でも米長永世棋聖みたやうな喋りは名人にはできないだらうなあ、あの感じだと。

銀河戦は丸山忠久九段対木村一基七段の同門対決。意外や丸山九段は今まで公式戦で木村七段に勝つたことがないのだとか。途中野球中継に邪魔されたのが口惜しや。

週明け早々、王位戦第二局。楽しみ楽しみ。

Friday, 23 July 2004

DMC Cebelia 20番を使つてみたよ

久しぶりに DMC は Cebelia の 20番を使つてみた。

今のところ、一番好きな糸は DMC の Cordonnet Special 40番である。かつちりとした作品に向き、糸の毛羽立ちも心なしか少ないやうな気がするからだ。
一方 Cebelia はどうかといふと、それほど好きではなかつた。Cordonnet に比べて毛羽立ちが目立つやうに感じたからである。

今回使つた色は Ecru である。
先日「色を楽しむ」とか書いたくせにこの体たらく、といふ話もあるが、「色を楽しむ」一方でやはりレースは白や生成りで作りたい、といふ気持ちもある。
それに、白や生成りだつて「色」にはちがひない。

肝心の糸の調子はといふと、これがたいへんすばらしかつた。
何を今更、といふ向きもあらう。
しかしこれまであまり Cebelia をかつてゐなかつたので許してたべ。

なにがすばらしいつてまづはタティングしやすい。
それから光沢がいい。結び目がつやつやとして見てゐるだけで幸せな気分になつてくる。

途中で思ひきり失敗してしまつたので、この機会にとゲージを取ることにする。
タティングレースでのゲージの取り方は、_Mini Tats_ で学んだ。
今まで取つたことがあるのはよく使ふオリムパスの金票 40番の白と、あとたまたま気になつたダルマの絹のレース糸生成りである。わざわざ色を書いてゐるのは、毛糸などだと同じ糸でも色によつて微妙に太さがちがつたりするからだ。
ゲージを取れば、この作品を作るにはこの糸の場合どれくらゐの長さが必要か、といふ点がおほよそわかる。これがわかればシャトルにどのくらゐ糸を巻けばいいか、糸だま側の糸は何cmあればいいかがだいたいわかる。
「だいたい」と書いたのは、ゲージを取る時と作品を作る時で手のきつさがかはつてくることがあるし、ピコやジョイントの数と長さも関係してくるからである。第一、目分量より断然正確だ。

ほかにもいろいろ作りたいものはある。
だが糸の魅力にも抗し難い。
一方で暑さといふ敵もある。
この週末は……何か作れるかのう。

Thursday, 22 July 2004

本島某の本名

「百器徒然袋 風」読了。

榎木津探偵物に出てくる京極堂は弾けてゐる。本篇(といふのだらうか)に出てくる時に比べたら絶対に弾けてゐる。
生き生きしてゐるといつてもいい。

……生き生きした京極堂?

「居丈高な関くん」とか「しほらしいエノさん」とかと同じくらゐ違和感のある取り合はせだこと。

今回わかつたことは本島某の姓名の名の方。
榎木津パパのこと。

榎木津パパは、やつぱりイカすかもしれない。

本島某の名は……うーん、ああいふのつてありがちなんだけど、でも、心弱つてる時に読むと「くる」ものがあるよね。
しかし何故あの名前で「五十三次」になるのやら……「ゴンザレス」からの連想か? ゴンザレスといつたらスピーディ・ゴンザレスだよなつて本邦生まれ本邦育ちの人にはわかりづらいネタか?

今更だが、本篇が映画化されるといふ話がある。
配役もそれとなく聞いた。
あの配役だと間違ひなく一番腕つぷしが強さうなのは京極堂だよな。弁も立つて腕も立つのかい。最強だな。
配役については思つたほど衝撃は受けなくて(宮迫・木場には驚いたが)、「ああ、さういふのもありかな」といふのが素直な感想である。
まあ個人的に堤真一が好き、といふ話もある。どちらかといふと堤真一は映像で見るよりも舞台で見たい。悪いが映像(TV、な)で見る堤真一はどこか「どん臭い」。ところが舞台で見る堤真一のやうすのよさといつたらどうよ。まるで別人なのではないかと時々思ふ。
永瀬某は……なにしろ映画を見ないのでコマーシャルでしか見たことがないのだが……わからない。サル顔といへばサル顔? やはり関くんはサル顔でないとな。
アベカン……ぢやなくて阿部寛は、ビスクドールみたやうではないし色が白くもないが、まあ eccentric なところは案外いけるのかもしれない。
宮迫某は、一度二時間ドラマに出てゐるのを見たことがあるが、その時は「悪くないぢやん」と思つた。果たして木場修にどうか、といふ話はあるが、まああんな感じならそんなに悪くないのでは……。

個人的には里村先生をだれがやるのか~、とか、二作目ともなるといさま屋が出てくるけどだれがやるのか~、といふあたりが気になる。あと原田知世が演じる女性よりもあつちやんとかをだれがやるのか気になるなあ。

……といふわけで、京極堂、そんなに好きぢやないのかなあ。
好きだつたら映像化されるときき、さらに配役をきいちやつたりすると怒りが先にたつものだと思つてゐたのだが。

自分にはほんたうに好きなものなんてないのかもしれない。

Wednesday, 21 July 2004

もう二度と行けない

来日したら絶対演奏会に行きたい音楽家が三組あつた。
ひとつはいつも書いてゐる独逸の蛙の王子様五人組。
それから仏蘭西のベーシスト六人組(実際はもつとゐるんだが、その中で都合のつく六人でまはつてゐるらしい)。
そして独逸人の指揮者。

さう、先日他界してゐたことが判明したカルロス・クライバーである。

クライバーといへば来日するといつてはすつぽかし、実際に来るとなると一枚五万円もするやうなチケットが飛ぶやうに売れてしまつて入手困難になつてしまふ。
まあクラシック音楽家にはありがちといへばありがちな話なのだが、しかし、心底「行きたい」と思ふ向きには「なんでなんだよーう(>_<)」と地団駄踏んでしまひたくなる。
さういへば、かつて楽団にゐた折、今は亡きカラヤンを信奉してゐる先輩が来て、最後の来日の折、やはりチケットが手に入らず、それでもあきらめきれずに演奏会のあひだずつと劇場の外にゐた、といふやうな話をしてくれたことがあつた。
わかるなあ。

クライバーのどこがいいのか、といふと。
「この部分は「Marie, Marie」といふやうに演奏すべきだ。きみたちのは「Therese, Therese」だ」
といつた話、とか。
なんなんや、それ。

あと。
まつたく個人的な話なのだが。
かつて高速バスに乗つて上京した折、とんでもない渋滞に巻き込まれてしまつた。
この時聴いてゐたのはベートーヴェンの七番。
別に曲が悪いわけではないと思ふのだが、すつかり車酔ひしてしまつた。
この後しばらくこの曲を聴けなくなつてしまつてゐたのだが、ある時聴いてみたら聴けるぢやないか。
ふと見るとカルロス・クライバー指揮とある。

また楽隊でいろいろあつて聴けなくなつてしまつたブラームスの四番。
これを聴けるやうにしてくれたのもクライバーであつた。

あとにかつと笑つたところが reptile 系ですてき、とか(ばか)、
さらに犬歯が光りさうなところがもつとすてき、とか(ばかばか)、
いろいろあるのだが。

「来日したら行かう」は夢。
かなはぬ夢になつてしまつた。

Tuesday, 20 July 2004

作りたい病<ヤマイ>

今ごろ何をと云はれさうだが、_Tatting with Visual Patterns_ がすばらしい。
いや~、いい本っっ。全部作りたい(>_<)。

といふのも、つい先日この本を手にしたからである。
前々から Black Magic といふパターンについては Web で見てゐていいなあと思つてゐたのだが、なにを呆けてゐたのか、この本に出てゐるものとは気づいてゐなかつたのである。

といふわけで、
「ちやつちやと「さりげなくピッコロ大魔王カラー」を仕上げて何か作るべし」
と思つたのだが……

やつちやひました(^_^;)。

エジングとモチーフ

えー、黒い方が Curds and Whey といふ Edging。
青い方が Masquerade といふモチーフ。

Curds and Whey といへば Little Miss Muffet だよな。
たいていヨーグルトかなんか食べてることになつてゐるが。
といふわけで本では白い糸で作つてあるが、たまたまシャトルにオリムパス金票40番の黒がまいてあつたので、それを使つてみた。この糸はこれで使い切るところだつたので五回繰り返したところでひとまづ〆。

Masquerade は本でも青い糸で作つてある。これはダルマの40番。
本ではこのモチーフを 3 x 4 の12枚つないであるが、なんとなくこのモチーフは真四角の方があふやうな気がしてゐる。といふわけで 3 x 3 か 4 x 4 か……まあ糸がなくなるまで、といつたところか。

ところでデジタルカメラが復調した(でも修理には出してゐない)ので久しぶりにデジタルカメラで撮影してみた。
つまり前回までの写真(「さりげなくピッコロ大魔王カラー」のモチーフ、な)までは Nokia 7600 で撮つたといふこと。

案外悪くない、と思ふのだが、さて。

Monday, 19 July 2004

お浄瑠璃 龍珠乙

土曜の深夜にアニマックスで「ドラゴンボールZ」を見る。
芝居見物(夜の部、な)に行つたり仕事があつたりする時を除いて、ほぼ毎週見てゐるやうに思ふ。

平日も日によつて放映してゐるらしいのだが、我が家の場合ケーブルTVのチャンネルで放映されてゐる番組を録画するのがチト面倒なのであきらめてゐる。

一応フリーザ篇くらゐまでは以前見たことがある。
変体(?)するごとに声の調子が変はるポロリくん……ぢやなくてフリーザに震へた日々が、あこりや懐かしや。

といふわけで、かれこれ一年ほど、見つづけてゐる。

今は人造人間篇からセル篇……なのかのう。とりあへずセルの「畜生」様が出て、完全体になるところまで見た。
さうさう、セルといへば「畜生」である。これは見てなくてもなぜか知つてゐる。
たとへるなら「ベルサイユのばら」を読んだことがない人でもマリー・アントワネットがデュ・バリー夫人にかけた言葉を知つてゐるやうなものだ。
「ドラゴンボール」はそれくらゐのまんがである。

といふわけで、えー、今回脚光を浴びてゐたのはベジータ。さう、あの満都の乙女の心をわしづかみにした(?)ベジータ星の王子さまである。残念ながらやつがれは乙女ではないので王子様に興味はない。世の中、「王子」を僭称する輩が多いが(あ、ベジータはほんたうに王子様だからこれまた別)、やつがれにとつて王子様といへばそれはもう独逸の蛙の王子様(五人)しかゐないので……。

なんの話だ。

もとい。

あー、あとクリリンねえ。クリリンには泣かされるよねえ。
クリリンについてはずつと「ヤムチャや天津飯、ピッコロより扱ひいいだろ、クリリンは」と思つてゐたのだが……よくよく考へてみるとさうでもないのかも。
一緒に入門した同期の子とは最初から差がありすぎて、それだけならまだしも結婚や子供まで先を越されてしまつてなあ……
「ああ、友がみな我よりえらく見ゆる日よ」と嘆いても、親しむ妻もゐないクリリン。
あ、まーそれは別にヤムチャでも天津飯でもピッコロでも同じことですがぁ。
これで結婚願望がない、といふのならまだ救ひもあらうがなあ。
といふわけで、18号を破壊できないそのお気持ちはよくわかる。わかるがしかし、クリリンよ……。

ああ、あと孫父子の団欒、ねえ。いや、あれを「団欒」といつていいのなら。
見てゐて「菅原伝授手習鑑」は「寺子屋」の段」で「寺入り」を見てゐる時の気分になる。
「寺入り」はどういふ場面か、といふと……うーん、これだからエントリが長くなるんだよなあ。
もとい。
「寺子屋」といふのは菅丞相(菅原道真、な。ちなみに「カンショウジョウ」と発音する)の筆を継いだ武部源蔵・戸浪夫婦が営む寺子屋を舞台に展開する話なんぢやが。
源蔵・戸浪はそれぞれ菅丞相とその奥方に仕へてゐたんだけど今でいふところの「職場内恋愛」をしてしまふ。これつてご法度なんだよね。そんなわけで二人とも暇を出されてしまつた、と。解雇されてしまつたわけ。
一方、菅丞相は藤原時平の嫉妬をかつて大宰府に流される。しかも命まで狙はれてゐる。当然菅丞相の一子・菅秀才の命だつて。
といふわけで、源蔵と戸浪は幼い菅秀才をあづかり、自分たちの子として育ててゐるわけだ。
しかしそんなことはさうさう隠し遂せるはずもなく、時平(「シヘイ」と読んでたべ)の知るところとなる。
さあ困つたのは源蔵夫婦。寺子たちの中に身代はりになりさうな子を探すけれども、「いづれを見ても山家育ち」。たまだれのお育ちとこもだれの育ちぢやあ身代はりにしたつてごまかしきれねえや。
そこにあらはれる新入りの寺子・小太郎。小太郎はつい先ほど母親・千代に手を引かれて寺入りしたばかり。
さう、これが「寺入り」である。「寺子屋」自体は人気演目の一つだが、「寺入り」から上演するのはめづらしい。
千代は小太郎の寺入りを済ませると、チト用事があるによつて、と、小太郎を残して去つて行く。
ここで小太郎が母の背を追ふ。千代は甘えるんぢやないと小太郎をさとす。
これが後の千代のせりふ「いつにない後追ふたを叱つた時のあの」つらさ、とつながつてゆく。
実は小太郎は時平に仕へる松王丸の一子である。松王丸は今は時平に仕へてゐるけれども、心の底では名づけ親でもある菅丞相に恩義を感じてゐる。
今、菅秀才の一大事と、みづからの息子を身代はりにたてて(えうは息子に「菅秀才のかはりに死ね」と云つたわけだ)、その恩義にこたへやうといふのである。
松王は「菅原伝授手習鑑」を通してずつと悪役で、「寺子屋」の段でやつと本心を明かす。
これがなんとも切なくてねえ……。
小太郎を手にかけた源蔵に息子の最期はさぞかし見苦しかつたことだらうと訊ねると、源蔵はそんなことはない、立派だつた、菅秀才の身代はりに死んでくれろと云つたらば「につこり笑つて首さしのべ」なんてことを云ふわけだよ。
「寺入り」がなくても泣けるけど、「寺入り」を見てるともつと泣けること請け合ひだ。

てなわけで。
今後の展開を考へると孫父子の団欒つてこの「寺子屋」における「寺入り」と同じ効果を持つてるんではなからうか、と。
ま、死ぬのは悟飯ぢやなけねども。

などとひとりごちつつ、「さりげなくピッコロ大魔王カラー」のタティングレースのモチーフ2枚目をせつせと作つてゐたやつがれであつた。

Sunday, 18 July 2004

むづかしいね Weblog

一昨日昨日とエントリ長過ぎ。
ちよいと反省してをるところ。
まちよつと簡潔に行きたい……がムリかも。
それにカテゴリも多すぎる気が。

うーん、やはり元の日誌形式に戻すかなあ。
ここが思案のしどころだ。

Saturday, 17 July 2004

久しぶりの芝居見物

うーん、どうも消化不良な感が否めない「桜姫東文章」。

といふわけで、今回はおそらく愚痴ばかりになる(いつもか(^_^;))ことでせう。
以上、愚痴注意報でした。

そもそも、なぜ昼の部と夜の部にわけるか、といふ。
どちらかに寄せるのはムリなのかもしれないが。
しかし、幕見席に並ぶ人のことを考へるとなあ……。
たとへば、昼の部と夜の部を幕見席で一日で見やうとしたら、昼の部にまづ並び、「桜姫」が終はつた後、「三社祭」を見ずに夜の部の幕見に並ばねばならない。
え、「三社祭」はどうでもいい?
まあさういふ人はいいのかもしれないが……。

なんだか釈然としないものが残るのであつた。

そんなわけで、久しぶりの芝居見物だといふのに、心浮かない。
そんな中でも、段治郎はよくやつてゐるとは思ふ。
とにかく「さしすせそ」をちやんと発音できるのには安心する。
いや、澤瀉屋系つて「さしすせそ」が「しゃししゅしぇしょ」になつちやふ人が多くてさー。え、そんなことない? さうなるのは猿之助と段四郎と右近だけ? さうかな? さうかも。
もとい。
段治郎は声もよく通るし、やうすもいい。
始めて段治郎がいいなあと思つたのは、スーパー歌舞伎「八犬伝」で網干左母二郎をやつた時だ。
「をを、こりや色悪がいけるぜ、段治郎っっ」
と思つたものである。
まあスーパー歌舞伎「八犬伝」自体は「ああ、みんなが束になつても猿之助一人にかなはないのだなあ」とつくづく思つた芝居なのであまりよい思ひ出はないのだが……。
なんたつて八犬士(ただしうまくしたもので、亀三郎演じる犬江親兵衛仁だけはまだその場にゐない。あ、さうすると七犬士か(^_^;))が束になつてかかつても猿之助演じるゝ大和尚にかなはないつてな場面があつたくらゐである。
なーんか、そんな場面、今更やらなくても……と暗澹たる気持ちになつたのでよく覚えてゐる。

話を「桜姫」に戻すと、段治郎はよくやつてゐたと思ふ。大和屋の桜姫に今更何を云ふべきにか。
それぢやあなにがいけなかつたのか、といふと……うーん、やつぱりさうすると脇、かなあ……。
なんといふか、脇を締める役者がゐない。
いや、そらー萬屋の残月や笑三郎の局長浦はよかつたよ。
しかし萬屋、なんだか声に張りがない。チト心配である。
あ、あと滝乃屋っっ。滝乃屋、よくなつてたなー。びつくりするくらゐである。
元々「ダメだダメだ大根だ」と云ひつつも、滝乃屋に期待をかけてゐた身としてはなんとも喜ばしい限りである。なんたつてね、せりふまはしが格段によくなつてゐたよ。

しかし、全体的にしまらない。
なぜかのう。
あー、桜姫と釣鐘権助の「男女のぢやらぢやら」が今一だつたせゐかのう。

ところで、「桜姫東文章」は大南北こと四世鶴屋南北の作で、世界は「隅田川」の世界である。
……つてなことがつるつるつと出てくるやうになるんですな、年経ると。
あー、やだやだ。

でも「隅田川」世界ものつておもしろい芝居が多くて好きである。
「桜姫」もさうだし、「法界坊」、「都鳥廓白浪」とかね。

Friday, 16 July 2004

タティングレースのモチーフ with SCMR

といふわけでこれが「さりげなくピッコロ大魔王・カラー」のタティングレースのモチーフ。

「さりげなくピッコロ大魔王・カラー」のタティングレースのモチーフ with SCMR

ものは Shuttle Brothers の _Tatting the GR-8 Self-Closing Mock Ring_ に載つてゐる Four Point Motif with SCMR である。
外周のリングにリングを重ねたやうなデザインがとてもかわいい。7 x 7 cm くらゐの小さなものだが、結構存在感あり。
色合ひだが、これはまづ緑色の方が気に入つて購入を決めたものである。写真だとうまく出てゐないが、うつくしい光沢のある淡い抹茶色といつた趣きの色だ。紫の方は淡い藤色で、こちらも緑色と同様見事な光沢がある。紫色の方はぼんやりとした感じの色であることは否めない。購入時はそれがチト心配だつた。緑色も糸巻きの状態でみれば抹茶色だが、おそらくタティングレースに使用したらもつと薄い色合ひになることは必至だ。紫色はもつと薄くなるだらう。さうした場合、なんだかぼやけた印象の作品になりやしないか。
だが、あはせてみたらこんな感じである。悪くない。隣り合つたリングが薄い色合ひにぴつたりである。
この後、これと同じものをも一つ作り、それから緑色と紫色を入れ替へたものを二つ作つてつなげる予定。
まあ「予定は未定であつて決定ではない」わけだが……。
ちなみに使用糸は緑の方がカナガワ株式会社のオリヅル絹穴糸 16号色番 111。紫の方は同じ糸の色番 108。

_Tatting the GR-8 Self-Closign Mock Ring_ については以前もちらつと書いたが、自費出版といつた趣きの全篇白黒の本である。おそらくはコピーではないかと思はれる。
だからといつてこの本の魅力が失はれるといふことはない。
前回も書いたとほり、Self-Closing Mock Ring、略して SCMR といふ技法を用ゐた作品ばかり掲載されてゐる。この Four Point Motif with SCMR も名前にあるとほり、リングの上にリングを重ねるのは SCMR といふ技法で行つてゐる。

さらに、この本で特徴的なのは、本自体は白黒であるにもかかはらず、多色を使つて作るやう書いてあることだ。
SCMRはシャトルを二つ使ふものが多い。それぞれのタティングシャトルにちがふ色を巻いて作るやう instruction に書いてある。たとへばこのモチーフも二色使ふやう指定されてゐるし、ものによつては「brown and orange」とか「red, white and blue」などと色が指定してあるものもある。
本をよく読むと、Shuttle Brothers こと Messrs Gary and Randy Houtz は白や生成りの糸でタティングレースを作ることは滅多にないと書いてある。依頼されて作つたことがあるが、それだけだといふ。
これまで白や生成りの単色でタティングレースを作ることが多かつた身にはかなり新鮮である。
しかし、白や生成りしか使はないのにはそれなりに理由があつたりする。
といふのも、本邦のレース糸の色糸は色褪せしやすい、といふ話を聞いたことがあるからだ。
DMC の色糸などはそんなことはないらしい。その他の糸については知らない。

だが。
考へてみれば、色褪せするほど使つてもらへるなんて、いいぢやあないか。
といふわけで、色糸に挑戦することにしたわけだ。

しかし。
いざ選ぶ段になると、うーん、どうもかう、自分が「これっっ」と思ふやうな色がないのである。
まあそんなものだらうなあ。
色を楽しむとすれば、刺繍糸の5番や8番あたりを使ふのがいいのかもしれない。さうすれば色はよりどりみどりだ。
だが、刺繍糸の5番8番はチト糸が太すぎる。のみならず、DMC の5番8番は糸の撚りに若干不満が残る。
といふわけで。
今回は絹穴糸を選んだ。

絹穴糸とは、基本的にはボタン付けやボタン穴かがりに使用する糸、とある。
# Web で検索をかけたところ、手芸以外では模型(発火用導線に使ふらしい)や
# ダブルリード楽器のリード作りにも使ふらしい。ダブルリード楽器つて?
# オーボエやファゴットです。基本的には。
実はタティングレースをはじめるまで「絹穴糸」なる糸が存在することを知らなかつた。
タティングレースにビーズをあはせる際、よく用ゐられる。ビーズを使ふと大抵アイロンをあてられなくなる。綿の糸ではアイロンをあてないとしはしはになつてしまふことが多い。実はやつがれもそれで一度失敗してゐる。
どういふ時にダメなのか、といふと……よくわからないが、どうも糸に対してビーズが多すぎたり重すぎたり大きすぎたりした時がダメらしい。
かういふ場合、絹穴糸を使へばいいらしいのだ。といふか、いい。

かくして、ビーズタティングをする時はもつぱら絹穴糸を使ふ。

だが考へてみれば、別にビーズを使ふ時だけぢやなくて普通に使つてもいいはずだ。
といふわけで、今回の糸選びと相成る。
絹穴糸には製造会社にもよるが百色前後はあるやうなので、色で遊ぶもよし、である。

それにしても「色で遊ぶ」はセンスのないものにはむづかしい。
そんなわけで「さりげなくピッコロ・カラー」になつてしまつた、といふのが今回のオチでゲス。
まあピッコロの紫つて茄子紺だよね、といふ話もあるがな。

Thursday, 15 July 2004

お道具は大事

またやつてしまつた。
「ぽちつとな」である。

といふわけで、写真……はあひかはらずナチハマこと Nokia 7600 で撮つてゐる。
うーん、どーもボケるといふかブレるといふか……慣れが必要だな。

黒檀のGR-8 Shuttle と樹脂製の Silent Tatter

黒い方が先日も写真に撮つた黒檀製の GR-8 Shuttle である。
これが軽くて手触りがさらつとしてゐて実にいいんだ。ビーズを使ふ時以外、ほとんどこれとあと先に購入した紫檀製の GR-8 Shuttle でタティングしてゐるほどである。

これまでも、注文生産のシャトルを購入したことがある。
David Reed Smith のシャトルである。都合四つ持つてゐる。
いづれもすばらしいシャトルなのだが、唯一欠点がある。
それは「糸を巻きづらい」といふことだ。

どうも上の板と下の板の合はせがきついのか、あるいはやつがれの選んだ木々が弾力がありすぎるのか……
糸を巻く時にシャトルからものすごい抵抗を受けるのである。
当然糸にもよろしくないので、気をつけながら巻くことになる。
仕事等がたてこんでくると、この「気をつけながら糸を巻く」余裕がなくなつてくる。
結果、あまり使はなくなる、といふ悪循環があつた。

などと云ひながら、今のところ一番大きな作品は David Reed Smith の一番小さなシャトルで作つたものだつたりするので、かなり気に入つてゐることは確かだ。

それでは普段はどんなシャトルを使つてゐるのかといふと、クロバーの鼈甲柄のものとスーザン・ベイツの白いシャトル、あとビーズを使ふ時は Tatsy の超特大シャトル。ビーズを使ふ時はボビン使用のシャトルは向かないやうに思ふ。一番普及してゐると思はれる(しかしスーパーマーケット等に入つてゐるやうな手芸店ではついぞ見かけぬ)クロバーのシャトルなんかが向いてゐるやうな気がする。
まあそれは好き好きだけどな。

ここからが本題だが、今回購入したのは Silent Tatter といふシャトルで、Roseground が扱つてゐる商品である。注文生産のものではない。木製のものもあるが、今回は樹脂製のものを購入してみた。Crushed Velvet といふ柄(つていふのかね)だが、ちよつと見た感じ、クリームを混ぜたホットチョコレートといつた趣きである。
これもボビンを使ふもので、ネジでボビンを取り付けるところなんかも GR-8 Shuttle と同じ。
ちがふのは、GR-8 Shuttle はネジを巻くのに特に道具を必要としないが、Silent Tatter には専用のネジ回しがついてくること。
さらに、GR-8 Shuttle では糸を引き出すのにネジを調節する必要があるが、Silent Tatter ではボビンを回すだけでいいといふ違ひもある。
また、GR-8 Shuttle ではネジの上に桜に似た花の刻印があつてこれがなかなかいいのだが、ちよつともりあがつてゐて糸が短くなりすぎたりするとちよいとひつかかりがちだつたりする。Silent Tatter はネジの上が平らでシャトルからはみでることがないのでさうしたひつかかりはない。
といふわけで、ボビンの取り付けは GR-8 Shuttle の方が簡単だが(なにしろ道具がいらないしね)、買つてすぐに使へるといふ意味では Silent Tatter の方がいいかもしれない。
GR-8 Shuttle は使へるやうになるまで多少試行錯誤が必要だからだ。

ちなみに樹脂製の Silent Tatter だが、少し重たいかもしれない。
黒檀のシャトルが軽いせゐでさう感じるのかもしれないが。紫檀の方はもちつと重たい。
しかし黒檀があるのだから、次は象牙がほしくなるのが人情といふもので……(^_^;)。
まあ本物が手に入るとも思へないので、ここは Silent Tatter の Fake Ivory を買ふ、だらうか。

……つてまだ買ふつもりかい。

ところで写真で作りかけなのは、Shuttle Brothers の Four-Point Motif with SCMR である。
さりげなくピッコロ・カラーだつたり(^_^;)。

Wednesday, 14 July 2004

誰のためのデザイン?

職場でエレヴェータの話になつた。

彼方からエレヴェータを目指して駆けてくる人があつたので、開くボタンを押して待つてゐやうとしたらあはてて閉じるボタンを押してしまつた、といふ話である。

ありがちな光景だ。
なぜかエレヴェータの開くボタンと閉じるボタンは間違へやすい。
聞いた話ではエレヴェータの閉じるボタンを押すのは日本人くらゐだといふのだが……。
まあそれはさておき。

開くボタンと閉ぢるボタンは、最近は横向きの三角形二つで示されてゐることが多いやうに見受けられる。これが案外わかりづらい。
特に今の職場のエレヴェータはホテルのやうな気取つた感じで照明も暗いのであはてるとまづ間違へる。
これに「開」「閉」と字を刻印しても同じだらう。ぱつと見た時にちがひがわかりづらいことにかはりはない。
色を変へればわかりやすいかもしれないが慣れが必要だ。

ところでやつがれは長いこと団地住まひで、この団地、六階建て以上なのでエレヴェータがついてゐる。
一度エレヴェータを新しく入れ替へたことがあつてボタンなどもかはつてしまつたが、つひぞ開閉ボタンの押し間違へをしたことがない。

職場で上記のやうな話をして、ふしぎに思つて帰宅時、団地のエレヴェータに乗つてボタンを見た。
簡単なことだつた。
開閉ボタンはその他の階のボタンの三倍くらゐ大きくなつてゐて、しかもお定まりの三角形の表示の横に大きくひらがなで「ひ ら く」「と じ る」と書いてあるではないか。

あー、これぢやあ間違へないよなー。
合点がいつた。

こんな時思ひ出すのは「誰のためのデザイン?」である。著者はドナルド・ノーマン。
この本を読んで、「自分が悪いのではなかつたー」とつくづく思つたことが多い。
たとへば職場の照明のスイッチ。
どのスイッチを押したらどの電灯がつくのかさつぱりわからず、結局全部のスイッチを押してしまつた、といふ経験がある向きも多からう。
これはやつがれが悪いのではない。デザインが悪いのである。
あとこれは冨山学の本だが、エレヴェータの行き先階のボタンをトグルボタンにすればいいのに、といふのがある。
団地などではたまにあるのだが、幼い子供がいたづらにすべての行き先階(ただし自分が乗つた階以外)のボタンを押してしまふといふことがある。
また別にいたづらするつもりではなかつたのについボタンを押し間違へてしまふといふこともあらう。
かういふ時、もう一度押せば解除されるといふ仕組みになつてゐればいいのに、といふのである。
技術的にはそんなにむづかしいことはないやうだ、続く。
日ごろエレヴェータを利用してゐる身にとつては切実にほしい機能だ。

一見、開閉ボタンに「ひ ら く」「と じ る」と表記するなど無駄なことのやうに思はれるが、さにあらず、かやうに役に立つてゐる。
「使用する人のためのデザイン」といつたところか。

Tuesday, 13 July 2004

完敗

大敗北を喫した。
しばらくたちなほれないかもしれない。

今日は八月大歌舞伎の前売り開始日であつた。
え、毎月十五日ぢやないのかつて?
そこはそれ、群れることを厭ふやつがれがその則に反して参加してゐる歌舞伎会とやらの恩恵で、通常より早く前売券を頼むことができるのである。
# 同じ伝で劇団☆新感線のファンクラブにも所属してゐる。
# このやつがれとしたことが。

しかし。
今日は平日とあつて、開始時間の十時にはかけられず。
昼休みは職場がかはつたこともあつて公衆電話を探すことしばし。結局つながらず。
あきらめきれずに三時・四時四十五分とちよろつと抜け出してかけにいくもやはりつながらず。
流れてくるのは NTT のきんきんした「おかけになつた番号はただいま大変こみあつてゐます」といふ録音声だけ。これが異様に大音量で耳が痛い。なんとかしろ、NTT。
五時半になんとかも一度抜け出して、リダイアルを繰り返すこと数十回。
やつとつながつた。
だが求める席はなかつた。

人に云はせると、たとへどんな席であつても席が取れたなら勝利なのだとか。
なるほど、と思ひ、さう考へるやうにしてきたが……。
今日はもうダメかも。
つてーかしばらくこの敗北感を消し去ることはできないかも。
来月、実際に歌舞伎座に行つてあらためて敗北感を深める気がする。

しかし、男には負けるとわかつてゐても戦はねばならない時がある、と、あのハーロックも云つてゐる。確か。
人は愛するもののためには負けるとわかつてゐても戦はねばならない時がある。

さうして戦争ははじまる。
……なあんてね、ふふ。

Monday, 12 July 2004

ビーズ編み込みポーチ

たうたう。
デジタルカメラがこはれてしまつた。

仕方がないので今回の写真は ナチハマこと Nokia 7600 で撮つてみた。
ちよいとブレてゐるのはこれはやつがれのせゐ。

Ancho の段染めレース糸に TOHO 丸大ビーズを通して編んだポーチ

昨今の日本の携帯電話に比べて解像度も低いし、どうかと思つたが、案外木目なんかはきれいに取れてていいかもしれない。

もとい。

え~、この週末はこんなことばかりしてゐた。
すなはちかぎ針でビーズを編みこんだポーチ作りである。
先日恵比寿にある Rowan & Jaeger Shop の店頭でビーズを編みこんだかぎ針編みのポーチを見かけてとても気に入り、自分でも編んでみるべしと試みたものである。

使用糸は Anchor の10番。使用針は No.2。使用ビーズは TOHO の丸大ビーズで、アクアオーロラつてな感じの色である。

色合ひは夏らしく涼しげでとても気に入つてゐるのだが。
うーん、店頭で見かけたものとはなんだかだいぶちがふやうな気が……。
お店にあつたものはもう少し太めの糸でできてゐたにちがひない。ちよつと長編みの高さが足りない気がする。
またお店にあつたものは手にした時にずつしりと重たかつた。ビーズの重みだらうと思はれる。
しかしこのポーチ、大変に軽い。まあ持ち手をつけたらまたかはつてくるのだらうが。

さう。問題は持ち手である。
店頭のものはくさり編みにビーズを編みこんであつて、これが重たい理由だらうと思ふ。普通に手提げの両脇に持ち手をつけたやうな形になつてゐたが、やつがれは巾着式にしやうと思つてゐる。といふわけで、途中にビーズを編みこんでしまふと紐を通す部分がすぐダメになつてしまひさうだ。ここは考へどころである。

あと、底が広すぎるせゐかちよつとふにやふにやし過ぎな気がする。中敷を入れるかなあ。

いづれにしても、この Anchor の糸、色といい編みやすさといい、文句なしである。最高。
色違ひであと三玉あるなんて口がさけても……(^_^;)。

Sunday, 11 July 2004

記憶の引鉄

日曜日の徒然に Web を徘徊してゐたところ、懐かしいものに出会つた。

クロノトリガー」である。

幼い頃、みづからにきつく課してゐたことがある。
それは「ファミリーコンピュータを入手しないこと」であつた。
若かりし日のドクター中松が女色を絶つてゐたのと同じ理由で、やつがれはファミリーコンピュータを絶つてゐた。
「絶つ」といふと、チトちがふかもしれない。ずつと遊んでゐたものをやめたわけではなく、発売当初から「これに手を出してはいけない」と、本能的に悟つてゐたからである。

いづれにしても学校を出るまでは、友人宅で一度二度あそばせてもらつたのを別にして、ファミリーコンピュータもスーパーファミコンも手に入れることはなかつた。
おのれの性格を考へて、ゲームなんぞやつたらほかのことがなにも手につかなくなることをわかつてゐたからである。

そんなわけで、同世代の人間が知つてゐるゲームをやつがれは知らない。
しかし、ファミリーコンピュータもスーパーファミコンもその役割を終へたと思はれてもなほ入手することが可能だつたので、遊べたものもある。

はじめての RPG は Mother 2 だつた。
これについてはまたの機会に。
その後、たまたまデパートで安売りしてゐた「ファイナル・ファンタジーV」や、「ロマンシングサガ2」などまだ店頭にあるを幸ひに、いくつか遊んでみたものである。

その中に「クロノトリガー」があつた。

ものごとを極めるといふ考へがまつたく欠落してゐるやつがれにしてはやりこんだゲームである。
当時鳥山明には特に思ひ入れなく、スクウェアについても同様で、ただなんとなく「おもしろさうだつたから」入手したゲームだつた。

いつたいこのゲームに何時間何十時間費やしただらうか。
一度に行動可能な人数は三名までなのだが、二人または三人の技を合はせる「連携」なる仕組みがあつて、これが楽しかつた、とか。
とある登場人物の HP を最大にあげると特殊な技が出るのだ、とか。
それでなくてもマルチエンディング(といつていいものやら)なのだ、とか。
一度クリアしたらそのままの装備・レヴェルで一から遊べる、とか。

とにかくバグを発見してしまふほど遊んだ。

といふ話を学生時代の友人にしたら、
「んー、でも鳥山明の悪役つて品がなくて好かん」
とか云はれてしまつた。
んー、なるほど。今までそんなこと考へたことなかつたけど(といふか、その時点ではそれほど鳥山明の絵を知らなかつた。実は)、確かにクロウリー様とか、見るにたへなかつたなー、などと思つたりした。
思つたりしたけど、でもまあ悪役を見てゲームやつてるわけぢやないしなー。

えうは、「時間を隔てた関係」といふのが異様に心の琴線に触れたのだ、と、今ではさう思つてゐる。
当 blog 最初のエントリにも書いたが、やつがれ、いたくこの「時間を隔てた関係」に弱い。
空間はなんとかなつても時間は如何ともし難いものがある。
その証拠に「遠距離恋愛」といふことばはあるが、「遠時間恋愛」といふことばはない。

とはいふものの、
「ルッカが水玉螢之丞つぽくてよかつた」
とか
「ルッカとロボの関係がいい」
とか
「カエル好き」
とか
「魔王大好き」
とか
結局登場人物によろめいた点も否めない。
つてーかそのもの。

チト冷静になつて。
つまりは、それまでほとんどゲームをしたことがなかつたため、新鮮に遊べた、といふのが一番大きな理由なのではないか、と。
身も蓋もありませんな。
しかし、「ファイナルファンタジーV」は好きになれなかつたことを考へるとなあ。やはりこれは作品の勝利だらうか。
ちなみに「FFV」がダメだつた理由は、


  1. 宿に泊まつたばかりなのに宿の人に話し掛けると「お泊りですか?」と聞かれる
  2. 美男が実は「男装の麗人」だつた
  3. 最後はハーレムだ

の三点だらうか。
特に2には心底がつかりした。
これが逆だつたらまだよかつたのだ。すなはち「美人が実は女装の男だつた」。
わかつてゐる、当時は特にゲームプレイヤは男性と決まつてゐて、そんなところに「女装の男」なんてな登場人物を出したらどういふことになるか想像はつく。まだまだ「萌える」女性層を開拓するにいたつてゐなかつたのだらう。だけど「モンティ・パイソン」ノリで、とか。ムリか。

とまれ、「クロノトリガー」の魅力の一つに登場人物があることは確かである。
……ただしマールだけはいただけなかつた、といふところがいつまでたつてもやつがれよのう。
でもマール、人気あるよね。なぜなぜどーして。納得がいかん。

……そんなんでさらに徘徊してゐたら MIDI なんぞを聞いてしまつて。
聞くだにいろいろ蘇るのはなぜだらう。
特に中世。そんなに長くゐたらうか。

……PlayStation とか買つてたらどうしやう。今更。

Saturday, 10 July 2004

芝居見て愚痴云ひ帰る半可通

先日とある店で「やさしく歌つて」のカヴァヴァージョンとおぼしき歌を耳にした。
途中、あまりのいやらしさにあはててその店を出た。

何がいやらしいつてなんだかやたらと思ひ入れたつぷりなのである。
それもさはり(……と書くと正しい意味にとつてもらへないだらうか)の部分を、だ。
想像してみてほしい。かなりいやらしいことにならないだらうか。
人間、ヘンに色気を出すとかやうなことに相成る。

そこで思ひ出したことがある。

市川笑也といふ歌舞伎俳優がゐる。
笑也、この「やさしく歌つて」カヴァヴァージョンとまつたく同じことを舞台でやる。
たとへば一番「うわー(>_<)」と思つたのは「ぢいさんばあさん」の若夫婦は妻役で出てきた時のこと。
この若夫婦は「ぢいさんばあさん」のタイトルロール(……とはいはないか(^_^;))のぢいさん・伊織とばあさん・るんの甥夫婦で、わけあつて長いこと家をあけてゐるぢいさんばあさん宅の留守を守つてゐた。
それが本来の主であるぢいさんばあさんが帰つてくるといふので家を掃除してあとは二人の到着を待つばかり、といつたところで幕が開く。
当然この家で生活をしてゐたわけだから、家にまつはる思ひ出も多い。
そこで妻、「思ひ出深いおうちです」といふやうなせりふを口にする。
この時笑也、「思ひ出深ぁい」といふではないか。
耳にした途端、背筋がぞつとした。なんていやらしい「ぁ」だらう。
普通に「思ひ出深い」でいいではないか。なぜそこで余分な「ぁ」を入れる。
そしてなぜまはりの客はみなこんな最低のせりふまはしを聞いて平気でゐられるのだらう。
席を蹴立てて帰らうか、あるいは二等席ではあるけれども、禁断の掛け声「大根っっっ」を叫んでその場を去らうか……
そのくらゐな勢ひであつた。
それ以来どうしても笑也は好きになれない。
ちなみに後に同じ芝居の同じ役を中村芝雀で見た。さすが京屋、きちんと「思ひ出深い」と云つてなんの問題もなかつた。役者はかくあるべし。

えうは。
笑也はただ「思ひ出深い」と云ふだけではなにも表現できない程度の俳優だつた、と。
さういふことだと今では思つてゐる。

ただし、これはおそらく笑也だけの罪ではあるまい。
きちんと確かめたわけではないが、多分に笑也の師匠である猿之助のせりふまはしもかうなのだらうと思はれる。
ただ猿之助の場合は幼い頃からさうで、あるいは彼自身の生理としてさう云はざるを得ないやうな状態なので聞いてゐても不自然には思はれないのではないだらうか。
笑也はその師匠の真似をして、まだ身についてゐない段階なのでいやらしく聞こえてしまつた、と。
さういふことだつたのではあるまいか。

とはいふものの、やはり余分に「ぁ」などとせりふをのばすのは好きではない。
澤瀉屋には「さうしないと見物にはわからない」と思つてゐるやうな節もみえる。

あまり客をバカにおしでない。

Friday, 09 July 2004

優勝させても追はれる人

「週刊文春」の車内吊り広告で、広岡達朗の名前を見る。
「渡辺恒雄の脳内改革が必要だ」とか説ひてゐるらしい。
大丈夫なのか、広岡?

広岡達朗といふと忘れられないまんががある。
いしいひさいちの「がんばれタブチくん」だ。
かつては我が家にも何冊かあつて、「世の中であり得ないことを「タブラン」すなはち「タブチのランニングホームラン」といふ」などと描いてある四コマまんがを読んで大いに笑つたものだつた。
しかし、いつまでも記憶に残つてゐるのはさうした笑へるものではない。
もちろん詳細にわたつて覚えてゐるわけではないが、以下のやうな内容である。

その四コマまんがで、広岡は物置の片づけか何かをしてゐて、ふと昔自分がつけてゐた日記帳を手にとる。自然と読み進むうち、突然いきり立つて押つ取り刀ならぬ押つ取り植木鋏で他家の庭にある植木を垣根越しにめちやくちやにして去るのだつた。
他家とはすなはち川上哲治宅である。
四コマめでめちやくちやにされた植木を見て「犯人はわかつてゐる」といふやうなことを川上は云ふ。

それだけのまんがなのだが、なぜか忘れられない。
「犯人はわかつてゐる」といふことは川上に身に覚えがある、といふことだ。
読売のV9時代、ましてや広岡の現役時代なぞ知るよしもないが、さまざまなことがしのばれるまんがである。

Thursday, 08 July 2004

全日空に乗らないわけ

全日空には絶対乗らないと誓つて幾星霜。

……つて我ながら大袈裟だな。

今のところこの誓ひをやぶつたことはない。
さう、あの日、フリエこと横浜フリューゲルスがこの世から消へたあの時、やつがれは心に誓つた。
全日空には乗るものか、と。

まあもともと飛行機にはほとんど乗らないのであまり意味がないのだが、それでも何度か乗る機会はあつた。
しかし全日空だけは避けた。

以前も書いたが、我が家はあげて日産時代からF・マリノスを応援してきた。
全日空は特に応援してゐなかつたのだが、しかし、フリエの一件に関しては「それはないだらう」と思つた。
個人的にゴールキーパーのファンだつたことも理由の一つである
# それがまた個人的に一番応援したくないチームに行つちやつてさー……ぶつぶつ
# つてオカシャチ応援団のみなさま、ごめんなさいm(_ _)m。

今、野球界の混乱を見るにつけ、「全日空の飛行機に乗らないはなんとかなつても近鉄の電車に乗らないはなんともならない人が多からうなあ」と思ふと他人事ながら物悲しい気分になる。

だが、何か物が云ひたいのなら、それなりの阿堵物を用意せねばならぬのだらうなあ。
あ、でもダメか。近鉄に売るつもりはないんだから。

Wednesday, 07 July 2004

浅野忠信を好きなわけ

それはもう名前が覚えやすいから。
これ以外に理由はない。
「浅野内匠守」と「佐藤四郎兵衛忠信」。
この二つの名前が組み合はさつてゐる。
なんて覚えやすいんだらう。
感動的ですらある。

但し、注意が必要で、
「塩冶判官」と「佐々木四郎高綱」で「塩冶高綱」とか覚えてしまつたら最後である。

……そんな輩はゐないか(^.^)。

最近ニュースに出てゐた根津甚八。
彼の名前が覚えやすいのは、当然真田十勇士の一だからである。
ああ、真田十勇士、TVドラマでやらないかなあ。
見たいなあ。
翻案ものとかぢやなくて、講談とかに忠実なのが見たい。

忠実なのといへば西遊記なんかもいいなあ。
篠井英介で玄奘三蔵なんかいいなあ。

ちなみに映画を見ないので、コマーシャル以外で浅野忠信を見たことはありません。
あしからず。

Tuesday, 06 July 2004

飢餓列島?

ここのところずつと山本夏彦を読んでゐる。
それで思ひ出したことがある。
戦中戦後の食糧事情はみんなが云ふほど悪くなかつた、といふ話である。

知り合ひに皇紀二千六百年生まれのご婦人がゐる。
ご婦人の年齢を云々するのはどうかと思ふが、ここでは重要な話なので書いておく。
このご婦人、えらく食べ物の好き嫌いが多い。
どれくらゐかといふと、いつたい戦中戦後の困難な時期、なにを食べて生きてきたのだらうと思ふほどだ。
まあ牛肉が嫌いなのはともかくとして、野菜類はほとんど全滅だし、穀類についても白米・唐黍・馬鈴薯・薩摩芋はともかくその他がダメだと聞き及ぶ。

戦中戦後の食糧難については小さい頃からイヤといふほど聞かされてきた。
いつたいこのご婦人は、その大変な時代に何を食べてゐたのだらう。

さう。山本夏彦の書くとほりなのだ。
戦中戦後、食糧難だつたのは限られた地域でのことだつたのだらう。
かのご婦人、その当時は遠州浜松在、子供の頃から手癖が悪く……では日本駄右衛門か……もとい、遠州新居関のそばで過ごしたのだといふ。
話のつれづれに、ご婦人の御母堂などは浜名湖畔や浜辺で牡蠣を拾つては生で食べてゐたといふ話も聞いた。
あのあたり、海の幸には困らなかつたらしい。
またおそらく農家も多く作物もよくとれたのではなからうか。

まあ、当時育ち盛りの男の子だつたりしたらまたそれはそれでちがつたのかもしれないとは思ふがな。

Monday, 05 July 2004

あみあみ cont'd

昨日 KABAN を仕上げたので、早速次の作品を。
といふわけで、ドミノ編みの手提げを編んでゐる。
また手提げかい、といふ向きもあらうが、どうもかばんとか帽子に弱いので仕方がない。

今回使用してゐる糸も KABAN と同じ Rowan Denim。
KABAN を編んであまつた糸と、生成りと一番淡い色とを組み合はせて編んでゐる。
使用針は四号棒針。

ドミノ編みは基本的にはガーター編みで、表を編む時に真中で三目一度をする。
「三目一度」つて何? といふ向きもあらう。
えうは三目を一度に編んで減らし目をする、といふことである。

これがね、毛糸ならいい、毛糸なら。
毛糸は(普通)弾力性があつて要するに伸びる。
しかしものは綿糸。しかも Rowan Denim。
伸びないんだ、これが。

さういへば、群ようこの「毛糸に恋した」に群ようこの御母堂がかうした扱ひにくい糸で編んでゐる時は指先と針先にちよこちよこと天花粉をつけてゐた、といふ記述があつた。
天花粉か~。つて今「天花粉」つて云はないのか? ベビーパウダー?
いづれにしても、最後にぱんぱんとできあがつたものをはたいて粉を落とすのださうな。
うーん、そんなのでうまくいくのか?
試してみるしかないのか?

あとちよこつとちがふが、またビーズタティングをしてゐる。黒い絹穴糸に TOHO のスリーカットビーズ No.CR167BD を通してスプリットリングのあひだにビーズを入れてまたスプリットリング、といふ鎖みたやうなものを作つてゐる。
このビーズ、今の季節だつたら黒い糸より白や生成りに通した方がよかつたかもしれないな、と思ふのだが、結構気に入つて三袋ほど買つてしまつたので白か生成りの糸に通してみるかも。

Sunday, 04 July 2004

KABAN 完成

やつと、KABAN が完成した。

使用糸は Rowan Denim Sh.229
使用針は 7/0 号かぎ針

完成。但し洗ふ前

_Rowan Knitting & Crochet Magazine Number 35_ の編み方にほぼ忠実に編んだ。変へたのは持ち手の目数だけで、これは長さをあはせるためだつたのでまあ忠実に編んだといへる。

本来、この KABAN は同じ Rowan の SummeerTweed なる絹綿混の糸を使用してゐるのだが、ローワン & イエガー・ジャパンにある「店長の徒然日記」に、Denim で編んだ KABAN が載つてゐて、これがいたく気に入つた。「店長の徒然日記」にあるものは、着古したジーンズを内袋につけてゐて、大変よい。もともとついてゐるポケットやファスナを生かしてあるところも最高だ。

しかし、何度も書いてゐるやうに、やつがれは「縫ひ針phobia」なところがあつて、内袋をつけるのはまづ無謀といふもの。編み図や説明を見る限り、内袋はつけてゐないやうだし、このままいくことにする。

丁度手元には去年 Holiday Hat (これも上記ローワン & イエガー・ジャパンの Webサイトで見つけたフリーパターン)を編んだ時にあまつた Denim がある。これに少し買ひ足せば、KABAN ができあがる、とみた。
そんな感じで KABAN 作成を開始した。

ところで、Rowan の Denim は少し特殊な糸である。
綿 100%で、白(生成り、かもしれない)以外は indigo 染である。糸の表面しか染めてゐないので、使用してゐるうちにだんだん下の白い色がでてくるやうになり、その風合ひを楽しむ糸だ。
かぎ針編みしかしたことがないのでよくわからないが、棒針編みにすると洗つた後に縦におよそ 8% ほどちぢむのださうである。従つて世の中の Rowan Denim を使用した作品はそこんとこを考慮したもの、といふことになる。
前述の Holiday Hat は去年編んだのだが、夏用の帽子といふことでがんがん洗つたりなんだりしてゐるうちに(さう、Denim は洗濯機で洗つても大丈夫である)、だんだんいい感じになりつつある。
おそらく KABAN も同じやうになるのであらう。

さて、では Denim の編み心地は、といふと……
うーん、実は手放しで「いい」とは云ひ難い。結構大変。何が大変か、といふと、糸がしつかりしてゐて伸びが少ないため、編みづらい部分があるのだ。
今回はパフコーン編みがたくさんあつて、これも大変。
また、7号のかぎ針といふのもやつがれにしては太すぎるので、これまた大変。
大変づくめなのだが、しかし、そこは糸の魅力といふアレで、編みあがつた編地がよく、また、仕上がつた時のことを想像すると「編みづらい編みづらい」と思ひつつも手が進むといつた寸法。

さういへばホリデーハットの時もさうだつた。
編みやすいとはお世辞にも云へないのに、あれよあれよといふまに編めてしまつたのだつた。
こま編みで丸く増やし目をしながら編んでゆく場合どこかで目数をあやまつてしまふのが常だつたが、ホリデーハットを編んだ時は最後まで目数をあやまることがなかつた。
ちなみにホリデーハットの編み図といふか編み方は上記ローワン & イエガー・ジャパンから「店長の徒然日記」の200307へ行くと出てくる。

うーん、ローワン・デニムつていい糸。

ちなみに中に入つてゐる雑誌は「毛糸だま」である。

持ち手をつける前の KABAN

Saturday, 03 July 2004

今さらですが 祝・優勝

といふわけで一週間遅れだが、

祝・横浜F・マリノス 1st Stage 優勝

で、この栞である。

祝 F・マリノス優勝栞

元にしたパターンはこちらで、本来はシャトルを二つ使ふことになつてゐるが、シャトルは一つで作つてみた。
いはゆる shoelace trick とやらいふ技法を使つてみたのである。
大層な名前がついてゐるが、なに、えうは糸をうまい具合に交差させるだけの話。

使用した糸は赤と白がオリムパスの金票40番、青がダルマの40番。オリムパスとダルマだとやはり少しばかり糸の太さがちがふ。しかし同じ会社の同じ名前の糸でも色がちがへば太さがちがつたりするものなので、あまり気にせずに作つたが……ま、かういふのは気にしないに限るのかもしれない。

神は細部に宿る、といふがやつがれには「細部にこだはる」とか「細部に神経を使ふ」といふ部分がすつぽり欠落してしまつてゐるので、意味をなさないことばである。

しかし、なあ。
手芸ものとしてはやはり「神は細部に宿る」を信奉するものでなければならないか、と、いつも思つてはゐる。
我ながら云ひわけがましいね。

いづれにしても、F・マリノスの優勝はめでたい。
なんで勝ててるのか不思議なところもあるが、とりあへず日産時代から応援してゐる身としては満足である。
ちなみにやつがれ、それでも「F・マリノスサポータ」ではない。
「サポータ」だなんて、おこがましくて。

Friday, 02 July 2004

ささやかな野望を胸に

絶対達成することはないだらうと思つてはゐる。
だが、まあ、想像したりここに書いたりするくらゐはいいだらう。

ささやかな野望。
それは
「芝居を見ながらあみものをする」
である。
「芝居を見ながらタティングレースを作る」
でもいい。

二号くらゐ前の _Knitter's Magazine_ にもそんなやうなことがコラムがあつた。
演奏会や子供の運動会などであみものをしたい、といふやうなことが書いてあつた。
無論、演奏会の場合は編み棒のかちかちいふ音が disturbing だらう、とも書いてある。

でも、わかるんだなあ。
実は前々から芝居を見ながらあみものをしたい、と思つてゐたからである。

なぜ、と問はれてもこたへられない。ただなんとなく、だ。
三味線や鼓の心地よい音のする中、絢爛豪華(ばかりでもないかもしれないが)な舞台を見ながらお気に入りの毛糸であみものをする……
うーん、考へるだに贅沢な気分である。

確か中村屋だつたと思ふが、かつて歌舞伎座の一等前の席(い列、といふ)でひたすら下を向いてあみものをしてゐる婦人がゐたことがあつたのださうな。
中村屋、なんとかこの婦人の視線を舞台に向かせやうと車輪になつたが、結局最後までその婦人が舞台を見ることはなかつたのだといふ。

一番前の席でそれはちよつとどうかと思ふが、二階桟敷なんかだつたらいいんぢやないかなあ。
ああ、やつてみたい。

やつてはみたいが……しかし芝居さんを愛してゐるのできつとやることはあるまい。

ささやかなやつがれの野望である。

Thursday, 01 July 2004

猊下

この世の中……もといあの世(「あの世」といふものがあるのであれば)の中で……やつがれが「猊下」とお呼びするのはただ一人。

アルマン・ジャン・ド・プレシのリシュリュー枢機卿である。

……といつたところで、本邦における猊下の知名度はどれくらゐなのか、気になつたので検索してみた。

Google では 3,680件と出たが、しかし、猊下のことばかりかといふと……。
なんたつて世の中には「カーディナル・ド・リシュリュー」といふ猊下の名前を冠した薔薇だつて存在するのである。
さういへば _Paris When it Sizzled_ こと「パリで一緒に」でオードリー・ヘップバーンが飼つてゐる赤い小鳥の名前も「リシュリュー」であつた。

猊下が有名な所以はやはり「三銃士」に出てくるから、であらう。

また、それと知らずして猊下を見てゐる人もゐるかもしれない。
猊下が「空飛ぶモンティ・パイソン」のオープニング・アニメに登場してゐるのをご存知だらうか。
フィリップ・ド・シャンパーニュ(……であつてるのかなあ。「フィリップ・ド・シャンパン」かもしれない)描く猊下の肖像画がこれに出てゐるのである。
さういへばマイケル・ペイリン(パリン?)演じる猊下といふのもあつた。裁判に証人として登場したり、物まねしたりする。

といふわけで、おそらく海の向かうでは猊下はもちつと有名人なのだらうと思ふ。
たとへば海のあちらめりけんでは、中高生を対象にした読み物に猊下が登場する。
「独裁政治とは」とか「絶対主義とは」みたやうな内容の本には必ず冒頭に猊下が出てくる。
どうやら猊下、近代的な独裁政治・絶対主義の始祖といつた扱ひなのだね。
ちなみに同じ本で猊下の次に出てくるのがオリヴァー・クロムウェルだつたりする。

ところで、本邦で猊下といへば政治家といつた面ばかりが強調されるが、実は病跡学的にもかなりおもしろさうな人物であることは意外と知られてゐない。
相手は猊下だから、当時猊下に反感を抱いてゐた人々があることないこと(ないことないこと?)吹聴してまはつた結果なのかもしれないが、しかし、ちよいと看過できないほどおもしろい。

猊下は幼少のころより病弱で、成人するまで生きてゐられないだらうと云はれたほどだつたといふが、どうも病んでゐたのは躯だけではなかつたらしいのだ。
たとへば、自分を馬だと信じ込んで四つん這ひになつて執務室中をかけまはつた、だとか。
その延長で背中に貴族の若君や姫君を乗せたまま走つた、だとか。
さらにはその若君や姫君に自分を鞭打たせた、とか。

ただの醜聞?
政敵からのいやがらせ?
さうねさうかも。

だが、フィリップ・ド・シャンパーニュだかシャンパンだかの描いた猊下の肖像画を見てゐると、
「……確かにこの人、さういふことしたかも」
といふ気になつてくるから不思議だ。

といふわけで、もしルーブル美術館かナショナル・ギャラリーを訪れることがあつたなら、是非、猊下の肖像画を御覧あれ。
そして、「この人……さうだつたのかも」と想像(妄想?)されたし。

……つてーか最近「猊下」つて尊称、聞かないよな。
ま、いつけど。

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