わしゃ、患ふてなぁ
「廓文章」は扇屋夕霧のせりふである。
これが実にいい。
吉原でいへば(おそらく)松の位の太夫職であるところの夕霧である。
この夕霧が患つてゐる。
なぜつて?
それはもちろん間夫・伊左衛門のせゐである。
伊左衛門は藤屋の若旦那だが、夕霧に入れ揚げて火の車、親からは当然勘当されてゐる。
そんなわけで明日は元日といふその日も紙衣一枚のみすぼらしいなりで吉田屋にあらはれる。
一目夕霧に会ひたい。その一心で。
伊左衛門は廓にある吉田屋の主人夫婦にもてなされ、ひとり夕霧を待つ。
夕霧は阿波のお大尽の座敷に出てゐて、伊左衛門はそれをそつと覗きにゆく。
「あれ、夕霧の痩せたこといのう」
伊左衛門はさうつぶやく。
さて、ここで夕霧の登場と相成るわけだが、夕霧は奥の座敷から顔を懐紙で隠しながらやつてくる。
立派な伊達兵庫の鬘に銀の簪がゆらゆら揺れる。紫色の病鉢巻もゆらゆら。時折、細く一房ほつれた毛もゆらゆらしてゐてこれがまたたまらない。
大きな俎板帯を締め、目にも鮮やかな裲襠を羽織つた豪奢な姿なのに、どこか儚げである。
他所のお大尽の座敷に出てゐた夕霧にやきもちをやく伊左衛門は、ひとり炬燵で狸寝入りを決め込んでゐる。
そこへ近寄る夕霧、懐紙を払つて最初の一言が、この
「伊左衛門さん、わしゃ、患ふてなぁ」
である。
ここがよければもうあとは全部OK、と云ひたくなるほどである。
なにがいいつてちよつと甘えたやうな感じがいい。
「ねえ、あなたのせゐなのよ。あたしがこんなんなつちやつたのは」
とでも云ふところを、
「わしゃ、患ふてなぁ」
である。
うーん、痺れる。
このあと、男女の仲にお定まりの「じやらくら」があるのだが、これも「わしゃ……」がよければなんとかなつてしまふやうな気がする。気のせゐ?
「廓文章」には名せりふの数も多く、伊左衛門のせりふにもすてきなものがあるのだが……
それは次回の講釈で。
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