倫敦橋落ちる
橋本治がかつて映画「マイ・フェア・レディー」について、
「イライザ・ドゥーリトルにオードリー・ヘップバーンを起用したのは失敗。
花売り娘として出てきた時から気品がありすぎるから」
といふやうなことを書いてゐた。同様に「麗しのサブリナ」、なのださうである。
実はやつがれ、これまで映画「マイ・フェア・レディー」を見たことがなかつた。
今日たまたま囲碁・将棋ジャーナルの後で「マイ・フェア・レディー」を放映する、といふのでそのまま見てみた。
退屈だつた。
それはともかく、オードリー・ヘップバーンをイライザ・ドゥーリトルに起用したのは正解だつた、と映画を見て思つた。
なぜつて?
あのA.ヘップバーンのすぐに売れなくなる新人アイドルみたやうな「ぺちやぺちや」声は、花売り娘にぴつたりだからである。
映画をみればわかる。イライザの品のなさを強調する場面ではヘップバーンに自ら歌はせ、さうでない場面では吹替へ(「ウェストサイド物語」でナタリー・ウッドの吹替へをしたのと同じ歌手)を起用してゐる点からあきらかである。
あの品のない声は品のない花売り娘にどんぴしやなのだ。
橋本治は声には興味がないのかな。
それはともかく、なぜヘップバーンが年若い役ばかり、しかもいつもかなり年上の俳優と一緒の映画にばかり出てゐたかの一因もここにあると思はれる。
あの声で大人の女は演じられないからだ。
後年、スピルバーグ映画だかに出演して、「みんなの夢を壊すのか」などと酷評を浴びたヘップバーンだが、仕方がないではないか。あの声は、どうしやうもない小娘か老女にしか suite しない。なぜ老女にあの声が suite するのかつて? まあ Monty Python に出てくる「ペパー・ポット」みたやうなもの、とお考へいただければいいだらう。
ところで、オードリー・ヘップバーンの吹替へといへばこの人しかゐない。
池田昌子である。
池田昌子といつてピンとこない人には……うーん、古すぎて恐縮だが「銀河鉄道999」のメーテルとか「エースをねらえ!」及び「新・エースをねらえ!」のお蝶夫人といへばわかつてもらへるだらうか。
いはゆる「母」声、落ち着いた声、elegant voice である。
ヘップバーンの吹替へに池田昌子を起用した人物はたいした人物だつたにちがひない。
おそらく、映画館でヘップバーンをリアルタイムで見た人にはわからないだらう。
本物のヘップバーンの声を聞いた時のショックたるや、もう……
掟破りかもしれないが、ここで敢えて「筆舌に尽くし難い」と書いておかう。
あー、もう。
ところで、ROWAN Kniting and Crochet Magzine の最新号 No.35 にその名もずばり Audrey といふセーターが出てゐる。このセーターに関しては Knit Along もあつて、かなり人気のあるデザインと見受けられる。
ああ、これが Audrey でなくて Katharine だつたら一も二もなく編んだらうになあ。
つてあの色・あのデザインで Katherine はないだらうし、特集の題名が「Roman Holiday」だからなあ。
さうさう、「Roman Holiday」つていふのはあの映画にまさにどんぴしやの題名である。酷い意味だよね。あの映画を見た時、「あの国の民はかわいさうだなあ」とつくづく思つた。あんな国の王室には仕へたくないし、きつと国民も王室に対していい感情は抱かないだらう。ほんの二百年くらゐ前だつたら革命つてな事態になつてもなんの不思議もあるまい。
歌も今一だつたしなー、もう二度と「マイ・フェア・レディー」を見ることはあるまい。
といふわけで、最後まで見ずにジュビロ磐田対鹿島アントラーズを見てしまつたのである。
それはまた別の話。
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