p for piano
住宅密集地に暮らしてゐると日常的に近所で練習してゐるピアノの音が聞こえてくる。
かつて「ピアノ殺人」なんてのがあつたが、子供のころご近所に迷惑をかけてゐた身としては、
「をを、やつとるやつとる」
といつた感じだ。
聞こえてくる曲によつては「あれ、あのお宅のお子さんはまだ小さかつたと思ふけど、もうこんな曲を弾くのか」と思つたり、「うーん、いつも同じところでつつかへてるけど、ちやんとメトロノーム鳴らしてもつとゆつくりした速度で練習した方がいいのに」と余計なお世話なことを考へたりしてゐる。
ところで意外と聞こえてこないのがハノンだつたりする。
ハノンといへば運指練習用の教本で、おそらくピアノのお稽古なんぞに通つたことのある人ならまづ避けてはとほれないものなんぢやないかと思ふがどうか。
ちなみにやつがれはハノンではなくて、「テクニック」とかいふ緑色でB4サイズくらゐの教本を使用してゐた。でもえうは同じものである。
運指、すなはち指の運び方の練習をするものだが、スポーツでいへば準備運動のやうなものであるし、基礎練習でもある。絶対不可欠なものだ。と思ふ。
いはゆるお稽古に通つてゐた時はこれがいやでいやで仕方がなかつた。
どうも習ひ事に向かない体質のやつがれは、遠い昔に稽古に通ふのをやめてしまつたが、ピアノは続けてゐた。稽古では大して進まなかつたのでこれまた大した曲は弾けなかつたが、そして日を追ふごとに弾ける曲が少なくなつていつたが、それでも弾いてゐた。
我が家からピアノが消へるまでは。
ところで、しばらく家を空けた後、ピアノの前に戻つてきたやつがれが最初に買つた譜面はハノンであつた。
もう「テクニック」はとつくの昔にどこかに消へてしまつてゐた。仕方なく買ひにいつたのである。
ピアノの練習をやめて数年、遅まきながら運指練習の大切さに気がついた、と、かういふわけである。
といふわけで、もうたまの土日にしか弾けなくなつてゐたが、それでもハノンから練習をはじめるのが常だつた。きちんとメトロノームを使つて、最初はゆつくり、それでできるやうになつたら次第に速く。
時には運指練習だけで疲れてしまつてその後は何も弾かなかつたこともある。ご近所には多大なる迷惑をかけてゐたことと思ふ。
同じころ、やつと和音が「ぐしやつ」となることがあるといふことに気がついた。えうは指がそろつてないのである。気をつけて弾くやうになつた。ほんと、稽古にかよつてゐたころは何をしてゐたのだらうと自分でも思ふ。まつたくお月謝をどぶに捨ててゐたやうなものだ。あーあ。
しかし今はいやいやながらも稽古に通つてゐてよかつたと思ふし、こんな自分に投資(?)してくれてゐた親には感謝してゐる。
我が家にはもうピアノはない。たまに弾きたいなあと思つてもないのだからしやうがない。
もうほとんど弾けないだらうな。
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