昔の流行語
「パラノ」「スキゾ」などといふ過去の流行語(?)を使つてしまつて、近頃面目次第もござりませぬ気分でいつぱいのやつがれである。
どれくらゐ過去か、といふと……うーん、もうかれこれ二十年くらゐ前になるのだらうか。
当時、今でいふカフェやクラブに本を携へて行くのが流行の最先端だつた、らしい。
「らしい」といふのは、やつがれは当時のことを知らないからである。
もちろん、携帯する本はなんでもいいといふわけではなく、いはゆる「ニューアカ」の本でなければならなかつた。「構造と力」なんかだつたりすると最高だつたわけである。
そのころ「ニューアカ」、すなはち「ニューアカデミズム」といふのが大変流行してゐた、と、物の本にはある。
浅田彰とかね、中沢新一とか、栗本慎一郎とかがかかはつてゐたらしい。
「パラノ」「スキゾ」といふのは、浅田彰の著作に見られる。
それぞれパラノイア、スキゾフレニアの略で、パラノといふのは基本的に物を貯めたがり定住したがるが、スキゾは流浪の民で物を貯めることに執着しない。
といふのが、やつがれの解釈だが、まあどこまであつてゐるのやら……。
ま、普通に辞書を引けば「paranoia」は「偏執狂」、「schizophrenia」は「精神分裂病(最近では「統合失調症」といふかも)」と出てくるだらう。
さう、つまり、遅ればせながらではあつたが、やつがれも一応浅田彰に挑戦したことがあつたのだ。
よくわかんなかつたけど。
浅田彰の話でよく覚えてゐるのは、なぜ学者になつたかと問はれての答へである。
「一日十時間眠れるから」
この答へはとても魅力的だつた。
学者になれば一日十時間眠れるのか。
いいなあ。
残念ながら、やつがれには学者になるだけの力量も学問の対象も持たなかつたので、一日三時間睡眠に甘んじるやうな生活を送つてゐるわけだが、それはまた別の話である。
ところで数年前、またこの「パラノ」「スキゾ」といふことばを見かけることがあつた。
「新世紀エヴァンゲリオン」で一斉を風靡した庵野秀明に対するインタヴュー集のタイトルにあつたのだ。
残念ながら、手垢がつきすぎてゐたためか、あるいは元々の意味がむづかしすぎるためか、それともエヴァンゲリオン自体の人気が下降線をたどりつつあつたためかはわからないが、「パラノ」も「スキゾ」もかつてほど流行らなかつた。
いや、元々流行らせやうなんぞといふ気はまつたくなかつたのだらう。
しかし、なんとなく「ふーん、エヴァンゲリオンつてさういふ話なのかな?」と思つてしまつたのは、浅田彰にtryした過去があればこそ、なのだらうなあ。
三度、「パラノ」「スキゾ」を目にする日はやつてくるだらうか。
ないやうな気がするなあ。
« majority を味方につけるには | Main | 偉大なり 清水義範 »
Comments