Monday, 01 June 2020

5月の読書メーター

5月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1349
ナイス数:22

タイムトラベル 「時間」の歴史を物語るタイムトラベル 「時間」の歴史を物語る感想
「時間旅行」という考えは比較的新しくウェルズの「タイムマシン」がほぼ最初という。毛色はだいぶ違うが昔の人は今の人ほど色を細かく識別していなかったという話を思い出した。「オデュッセイア」などを読むと空の色を表現していないとかそういう話。「時間とはなんぞや」と思っていたころ本屋で偶然出会った。先に量子論で時間を説明する本を読んでしまって「わけがわからん」と思い、手に取るのが遅くなってしまった。こちらを先に読むのだったな。
読了日:05月01日 著者:ジェイムズ グリック
孤独の価値 (幻冬舎新書)孤独の価値 (幻冬舎新書)感想
ここでいう「孤独」は「solitude」だ。「loneliness」ではない。最初に読んだ時は、孤独とは物理的にも心理的にも余裕のある人に許されたものだろうと思った。ハンガリー当局に七年のあいだ不当に監禁されていたエディス・ボーンの場合は精神が頑健だったこともあろうがやはり豊かだったのだろう。
今回読んで思ったことは、世の中には孤独を必要としない人もいるんだろうなということだ。そしてそういう人がメジャなのだろう。今回のことで「孤独は悪」「孤独は避けるべきもの」という人が増えないことを祈るばかりだ。
読了日:05月02日 著者:森 博嗣
教え学ぶ技術 ──問いをいかに編集するのか (ちくま新書)教え学ぶ技術 ──問いをいかに編集するのか (ちくま新書)感想
オックスフォード大学で実践されているチュートリアルを紙面で再現しようとしたもの。同大学では一人の教員が一〜三人の学生を相手に個別指導をするのだという。これだけ少人数だと教員と合わなかったら大変だなあと思ったが、合ったら合ったで「罠」があるのだそうな。先生の話がおもしろいとその場ではわかった気がするが、あとになって考えてみるとわからないというのがそれ。何事もまずは一人で読み書き考える時間が必要で、それがないといくら他者とやりとりをしてもムダというのはブレイン・ストーミングを考えるとよくわかる。
読了日:05月15日 著者:苅谷剛彦,石澤麻子
Solitude: In Pursuit of a Singular Life in a Crowded World (English Edition)Solitude: In Pursuit of a Singular Life in a Crowded World (English Edition)感想
前書きに出てくるエディス・ボーンの逸話が強烈だ。ボーンはハンガリーの秘密警察に突然拉致され、七年の間拘束されていたという。その間、暗闇の中に六ヶ月監禁されていたこともあったし、独房はほぼベッドくらいの広さしかなく、手を伸ばせば天井に触れるような高さだった。そこで如何に過ごしてきたか、それは本篇を読むといいと思う。また、ジョン・ハート主演映画やスティングの「Englishman in New York」でも知られるクエンティン・クリスプの逸話もおもしろい。孤独とは何か、という点では物足りないが。
読了日:05月18日 著者:Michael Harris
愛とか正義とか―手とり足とり!哲学・倫理学教室愛とか正義とか―手とり足とり!哲学・倫理学教室感想
哲学というと先人の学説(というのか)を学ぶものという印象があるが、そればかりでもないんですよ、という。とてもわかりやすく書いてあると思うけど、例としてあげている映画やマンガがいつまで通用するかが気になる。わからなくなったら書き直せばいいのかな。あと、逆接の接続詞の使い方に特徴があって、読んでいてときどきひっかかる。
読了日:05月21日 著者:平尾 昌宏

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Friday, 29 May 2020

逆輸入: スパイク・スピーゲル

久しぶりに「Tank!」を聞いた。
アニメ「COWBOY BEBOP」の主題歌だ。
ここのところ新型コロナウィルスの流行で演奏家や歌手がそれぞれの居場所にゐながらセッションをしてその動画を投稿するといふことがしばしばある。
「Tank!」もそのひとつだつたやうだ。

「COWBOY BEBOP」といえば、ハリウッドで実写化といふ話はどこにいつたのだらうか。
最初はキアヌ・リーブス主演で、といふ話だつた。
その後実写化の企画は流れたといふ話で、しかし、やはり生きてゐるといふ話を聞いてそのままになつてゐる。

その「Tank!」を聞いたときにこんなことをつぶやいてゐる

そういや、母さん、消えたと思ったら生きてた「COWBOY BEBOP」の実写映画化、どうなつたんでしょうね。ええ、夏、碓氷から霧積へ行く道で見たあの「COWBOY BEBOP」ですよ。母さん、あれは好きなアニメでしたよ。
これへの返信で「松田優作つながり」とも。

こどものころ、松田優作はそんなに好きではなかつた。
といふか、自分には関係のない俳優といふ感じだつた。
主役体質の俳優はあまり好きにならない。
それはいまも昔も変はらない。
脇役の松田優作つてあんまし記憶にないんだよね。
見るときはいつも主役。
そして、一緒に出てゐる脇役に気を取られてしまふ。
有り体にいへば成田三樹夫とかですね。

それが、二年前に「探偵物語」の再放送を見てゐたら、これがなんだかいいのだ。
工藤ちやん、スパイクみたやう。
それが理由だつた。

逆だらう?
「COWBOY BEBOP」のスパイク・スピーゲルが松田優作(&ブルース・リー, and all)だらう?

さうなんだけどさ。
なんかかう、逆輸入的に(違ふか)よかつたのだ。
同時期に「蘇る金狼」とか「最も危険な遊戯」とかを映画館で見る機会があつて、やつぱりスパイクだなあ、としみじみ思つた。
シルエットとかね。動きとか。とつてもスパイク。

スパイク・スピーゲルが好きな理由は、主人公なのに主人公臭がないことだ。
主役なんだけどな。
そして、「COWBOY BEBOP」が好きな理由のひとつもそこにある。
思へば「銀河旋風ブライガー」や「疾風!アイアンリーガー」が好きなのもそれだ。
主人公が主人公つぽくない。

で、「探偵物語」や「蘇る金狼」を見返して松田優作のことが好きになつたかといふと、うーん、多分、さうでもない。
でも、以前より出演作があつたら見てみたいなと思ふやうになつた気はする。
二年前に映画館に行つたのも、「ちよつと確認してみるか」といふ気持ちだつたやうに思ふし。

かくして新たな道が開けることもあるのだなあ。

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Thursday, 28 May 2020

子争ひ

大岡裁きに、子争ひといふ話がある。

ひとりの子どもをめぐつて、二人の女が「自分こそがこの子の母である」と主張する。
大岡越前は、片方の女に子どもの右腕、もう片方の女に左腕を持たせて、引つ張るやうにいふ。
さうしたらどちらがほんたうの母親かわかるといふのだ。

一方の女は途中で腕を引くのをやめ、最後まで引きつづけた女は「自分こそが母親だ」といふ。
だが、大岡越前は、然らず、と答へる。
腕を引くのをやめた方こそほんたうの母親だ、と。
やめた方の女は、子どもが可哀想だからやめた。
子どもを思ふ気持ちが見てゐてわかつた。
それに、引き寄せた方が母だとはいつてゐない、と。

多分、この件についてはこれまで散々議論されてきたらう。
どうなのよ、これ。

まづ、判断の基準が曖昧だ。
子どもの腕を引つ張ればどちらがほんたうの母親かわかるといはれれば、最後に引き寄せた方が勝ちだと思ふだらう。
引くのをやめたのがほんたうの母だなんて、この云ひ方では思はない。

仮に最後に引き寄せた方がほんたうの母だとしやう。
さう思つたら、実の母は最後まで引くのではないかと思ふ。
まあ、「この子ひとりくらゐゐなくなつてもいいか」とか思はないかぎり、力の限り引くだらう。
自分の子が取られてしまふのだ。
死に物狂ひで引くはずだ。
だつて、自分の子でもないのにこの子ほしさにおなじく死に物狂ひで腕を引くやうな相手に取られてしまふことを思つたらさ。
あきらめられないだらうよ。

でも、やはり、この大岡裁きの問題点は、判断の基準が曖昧だからだらう。
といふか、「かうなつたらかうする」といふ条件がはつきりしない。
子どもを引つ張つたらどちらが母親かわかると云はれたら引き寄せた方が母親に決まると思ふだらう。
さう書いたが、確かに、大岡越前はさうは云つてゐない。
女たちは「引つ張つて、どうなつたらほんたうの母親だと認められるのか」を問ふべきだつたのだ。
問うてもお奉行さまは答へなかつたかもしれない。
だとしたら、やはり裁判としてどうなのよ、といふことにはなるだらうけれど。

とはいへ。
いまはいまで、「え、そんな法律あつたの?」みたやうな条文が持ち出されてきて判決が下されることもあらうから、似てるといへないこともない。
でも、大岡裁きの場合は先に条件が提示されてゐる。
そしてその内容が曖昧である。
そこが問題だ。

なんでこの問題が気になるのかといふと、現在の裁判のあり方といはうか現在の判決のとらへ方といふかが、大岡裁きなどを反映してゐるのではないかと思はれるからだ。
あくまでも個人的な推測だけれどもね。
法律よりも情が重要。
罪に対する制裁よりも人に対する制裁が重要。
それつて、TVで見る「大岡越前」とか「遠山の金さん」とかのお白州の場とそれにつづくエンディングに似てゐるやうな気がするのだ。

最近はもう時代劇などほとんどTVでは見られないので、それが即影響してゐるとはいはないが。
なんだか関係してゐる気がするのだつた。
それを調べるためにもつと時代劇を見たい。
といふよりは時代劇が見たい。

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Wednesday, 27 May 2020

時間をかけること

先日、反訳トレーニングについてあれこれ書いた。
反訳トレーニングとはNHKラジオ講座の「高校生からはじめる「現代英語」」で取り入れてゐる外国語学習法だ。
関口存男の「初等ドイツ語講座」にもおなじことをせよと書いてある。
和訳した文章から外国語を作るといふ方法だ。
「作る」はちよつと違ふかな。まあ、でも、そんな感じ。

三年前にはじめて「高校生からはじめる「現代英語」」を聞いたときにはなかなかできなかつた反訳トレーニングが、この四月に再開してみたところ以前よりできるやうになつてゐる。
前回さう書いた。

その後、ひとつ、気がついたことがある。
四月中は、時間があつたといふことだ。
反訳トレーニングと称して復習をする時間があつた。
できるやうになつた気がしたのはそのせゐなのではあるまいか。

今月は先月ほど時間がないので、あまり復習する時間をとれてゐない。

三年前よりはできるやうになつてゐる気がするけれども、四月よりできなくなつてゐる気がする。

つまり、如何に時間をかけるかが問題、といふことだ。
あたりまへの展開に、「ああ」と思ふばかりである。

語学を習得するには、どれだけ時間をかけたかがものをいふ。
どれだけ効果があるのか知らぬが、ただ聞き流すだけでいいと云はれてゐた教材もひたすら時間をかけて聞き流す必要があつたらう。
さういふことなのだな。単純なことだ。

なにごとにも一万時間かけてみよ、といふ話もあつた。
最近では「ただやるだけではダメ。ちやんと集中してなにを鍛えるのか考へてやらないと」みたやうな話もあるにはあつて、でも、そもそも一万時間かけられるといふのがすごいことなのでできればそれだけのことはあると思ふ。

NHKラジオ講座の場合は、各教材に「ここではこれを覚えられるやうに」と考へて作られてゐるはずだ。
だからただただ反訳トレーニングをしてゐても、なにかしら得るものはあるのぢやあるまいか。

といふか、さう思ひたい。

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Tuesday, 26 May 2020

整形できない

タティングレースのモチーフができあがつた。
藤戸禎子の英訳された本「Tatted Fashion (「タッチングレース(DIYシリーズ)) 」に載つてゐたショールの一部分である。
このモチーフやその他モチーフを何枚かつないでショールになつてゐる。
モチーフと書いたが、ドイリーといつてもいい作りだ。

糸はDMCのコルドネ・スペシャル#40 Blancを使つた。
久しぶりに使ふけど、やつぱりDMCのコルドネ・スペシャルはいい。
なんだかうまくなつた気がする。
#40の色糸がなくなつてしまつたことはほんたうに惜しまれる。

白い糸でタティングするのは久しぶりだ。
これまたいいものだ。
レースといへば、白、または生成。
もともとはそんな感じだつた。
タティングをはじめて、しばらくすると、そんな風潮はなくなつてしまつたやうに思ふ。
タティングレースの本に掲載される作品はあひかはらず白や生成が多かつたけれど、Webなどで見かける作品はそれ以外の色を使ふものが次第に多くなつていつた気がする。
いまでは白や生成以外の作品を目にする機会の方が多いのぢやあるまいか。

だといふのに、なぜDMCはコルドネ・スペシャル#40の色糸を作るのをやめてしまつたかなあ。

以前も書いたやうに、やつがれがタティングをはじめたころは、「国産のレース糸は褪色するけれど、DMCの色糸はしない」といふ噂があつた。
「噂」と書いたのは、実際に自分でためしてゐないからだ。
そんなわけで、色糸を使ふことには慎重だった。

そのうち、「褪色したらそれはそれで味ぢやああるまいか」と考へるやうになつて、現在に至る。

ところで、整形待ちのドイリーが三枚になつてしまつた。
RenulekのSpring Doily 2010と、Iris NiebachのEleonora、そして今回のモチーフといふかドイリーといふかである。

整形、苦手でね。
なんかうまくできないんだよね。
ピンを打つ手間を省くのがいけないとわかつてはゐるものの、どうにもならない。

とくにEleonoraはなんども作つては挫折してやつとできたものなので、整形したいのだが。

と、云つてゐる最中に水通しでもすればいいのか。

次回にはここで三枚のドイリーを紹介できるだらうか。
さて。

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Monday, 25 May 2020

手芸わたが手に入ったので

先日、デビー・ブリスの「Toy Knits」を発見した話を書いた。
発見したはいいものの、中につめる綿がないから編めない、と書いたやうに思ふ。

今日、昼休みに職場に近いイトーヨーカドーに行つて、トーカイで手芸わたを買つてきた。
トーカイは、いまのところ十六時までの営業といふことで、あはてて行つた。

イトーヨーカドー自体にもお客さんは多かつたし、トーカイにも何人かゐた。
マスク用の材料はない旨、店頭に案内が貼つてあつたけれど、ゴムなどを買ふ人がゐた。

久しぶりの手芸店、あれこれ見てまはりたかつたけれど、昼休みのみといふことで時間がない。
会計の列に並んでゐるのは三人くらゐではあるけれども、ひとりの客にかける時間が長く、気が気ではない。
そんなわけで、店内はあまり散策できなかつた。
残念。

だが、待望の手芸わたが手に入つたのだ。
あみぐるみだ!
といふわけで、まづなにを編まうか考へてしまつた。

クマかウサギかネズミだな、とは思つてゐた。
ヒツジはできれば指定どほりの白黒で編みたいし、ブタもできれば桃色に近い色で編みたい。
どんな色でも問題なささうなのがクマ・ウサギ・ネズミ・ゾウ・イヌといつたところで、二足歩行つぽくできてゐるのがクマとウサギとネズミ・ゾウだ。
サルもあるけれど、サルは顔や手・足がほかと色が違つたりするので却下。
なにしろ手持ちの毛糸だけで作らうといふので、どうしても制約がある。

で、編み方などを見て考へた結果、ウサギを編むことにした。
いづれ毛糸は余る。
手芸わたはもつと余る。
さうしたらクマなどを編んでもいいだらう。

棒針編みで平たく編むので、例によつてなにを編んでゐるのかよくわからないが、これがまた楽しいといふこともある。

しばらくは楽しめさうだ。

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Friday, 22 May 2020

新たな「かくありたい」モデル

TVもほとんど見ないし本もあまり読まない。
ゆゑによくわからないのだが、マルクス・ガブリエルつて、なんとなくこどもの希望になつたりしないかな、と思つたりしてゐる。
「哲学なんか勉強して、将来なにになるつもり?」と訊かれたときのカウンタになりうるからだ。

誰でもあんなふうになれるわけぢやない?
それはほかの職業でもさうなのではないだらうか。
プロ野球選手になりたいといふこどもに「誰もが大谷翔平になれるわけではない」などといふだらうか?
……ゐるかもしれないな、と思つてしまつたが、すくなくとも自分の周りではそんなことを云ふ人はゐなかつた。

いやいや、プロ野球の選手になりたいなどといふのは幼い子供のいふことだ、だから現実を教へるやうなことを云はないのだ。
哲学を勉強したいなどといふのはある程度大きくなつてからのことだらう、だから現実を教へる必要があるのだ。
さういふ反論もあらうかと思ふ。
でもまあ、「かうありたい」といふ姿があるのは強いと思ふんだよね。

哲学を勉強してみやうと思ふのは、大学に入るときだらう。
勉強したい子はもつと前からしてゐるかもしれないが、周囲に知れるのは大学の入試試験を受けるタイミング、または大学に入つて専攻を決めるタイミングなのではないかと思ふ。
そのときに具体的なモデルがゐるといふのは意味のあることだ。

いまは文系への風当たりは強いし、就職にあまり関係あるとは思はれてゐない哲学などはとくに不利な学問なのかもしれない。
それでもやりたい、だつてやつてる人がゐるぢやん、と思へるといふのはいいことだと思ふんだなあ。

甘い?
さうかもしれない。

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Thursday, 21 May 2020

その後の反訳トレーニング

先月からまた「高校生からはじめる「現代英語」」を聞きはじめた。
なんとなく、以前より反訳トレーニングができるやうになつた気がする
なんでだらう。

思ひつく可能性は三つ。
以前よりテキストがかんたんになつた。
その他のラジオ講座で反訳トレーニングをしてゐたのがよかつた。
ひとつの教材(といふか)をひたすらくりかへし見聞きしてゐたのがよかつた。
あ、その他といふ可能性とか全部とかいふ可能性もあるか。

「高校生からはじめる「現代英語」」は、三年前に放送を開始したときに聞いてゐた。
「反訳トレーニング」といふ勉強の仕方もこのときするやうになつた。
教材であるニュースを日本語に訳した文章を英語に戻すといふトレーニング方法だ。
これをずつとやつてゐたんだけど、なんだか全然力がついた気はしないし、反訳トレーニング自体ができるやうになつたといふ気もしなかつた。

そんなわけで聞くのをやめた。
「高校生からはじめる「現代英語」」は聞いてはゐなかつたけれど、その他のラジオ講座では反訳トレーニングを試してみてはゐた。
復習としていいんだよね、反訳トレーニング。

なのに、なぜ「高校生からはじめる「現代英語」」をふたたび聞くやうになつて、以前より反訳トレーニングができるやうになつた気がするのだらうか。
三年前よりテキストがかんたんになつたのだらうか。
それはありうる気がする。
比較する三年前のテキストがないから確認はできないけれど。

それとも、他の講座でではあるけれども徒労だと思ひつつも反訳トレーニングをつづけてゐたのがよかつたのだらうか。
他の講座でも反訳トレーニングができるやうになつた気はそれほどしてゐない。
他の講座は、会話体の教材が多く、ひとつの日本語にふさはしい英語の表現がたくさんある。
ゆゑに、お手本とは違ふことをいつてしまふことが多々あるのだつた。
お手本とは違つてゐても表現としてあつてゐればいいんだけどね。でもそれつて自分では判断できないこともあるぢやん。

或は、一昨年から映画館でひたすら「ボヘミアン・ラプソディ」を見てゐたのが功を奏したか。
ひとつの教材を何度もくりかへして使用することは、外国語習得の上でいいことだといふ。
さういふなら、モンティ・パイソンとか何度も何度も見てるんだけどなあ。
家でぼんやり見てゐるのがいけないのかもしれない。
映画館で見るのがよかつたのかも。

そんなわけで、なぜできるやうになつた気がするのかはよくわからない。
反訳トレーニングはできるやうになつたけど、英語ができるやうになつた気は全然しないし。
考へてみたら、どういふ状態をもつて「英語ができる」とするか、といふ問題もあるしな。

しかし、「反訳トレーニング、前よりできるやうになつたかも!」といふのは自分にはめづらしくちよつとポジティヴな感覚なので、大事にしつつ聞き続けていきたい。

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Wednesday, 20 May 2020

パイロットのエラボー

パイロットのエラボーにインキを入れた。
モンブランのロイヤルブルーを入れてゐて、インキが切れて以来眠らせてゐた万年筆だ。

万年筆はさうさう買ふものではないとは思ふが、インキは切れると困る。
行動範囲内にある文房具屋はすべて休業中だ。
通信販売か、すこし足を伸ばして開業してゐる文房具屋に行くか。

そんな折、丸善万年筆友の会の期限がやつてきてしまつた。
期限がやつてきたからといつて、即退会させられるといふものでもないが、気になつていつた。
前回更新したときに、「次はオリンピックの年ですね」と云はれたからだ。

職場からは「できるかぎり在宅勤務で」と云はれてゐるのに、上司から出勤を命じられて、県境を越える必要が出てきた。
不要不急の外出とは全然思はないが、外出せざるを得ない。
だつたら、丸善丸の内店に行つてもいいのではあるまいか。
といふわけで、丸善萬年筆友の会の期限更新に行き、一緒にインキを買ふことにした。

で、早速エラボーにインキを入れたら、「え、こんなに書きやすかつたつけ?」と思ふくらゐいい。
やつがれのエラボーは、リニューアルしたときのもので、ペン先は極細だ。
エラボーは、弾力があつてやはらかい書き味のペンといふふれこみだつた。
それで、買つた当初はちよつと持て余してしまつてゐた。
線の太さが安定しない。
弾力があつて、線の強弱がつけやすいのが売りのペンだから、当然といへば当然だ。
でも、なんだか線がかすれる気がしてゐたんだよね。

そんなこともあつて、インキが切れたのを機に休ませてゐたわけだ。

うーん、なにがよかつたのかなあ。
さういへば、おなじくパイロットのフォルカンも以前は苦手だつたのだが、いつの間にか書きやすくなつてゐる。
なんだらうな、慣れてきたのかな。
或は、いま悩まされてゐる腱鞘炎に向いたペンといふことなのかもしれない。

いづれにしろ、書きやすいのはいいことである。
インキを入れたからにはせつせと使はないとねえ。

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Tuesday, 19 May 2020

タティングレースの糸始末

タティングレースは最初と最後が気が重たい。
つまり、糸端の始末である。

いまは、magic thread で始末してゐる。
パッチワーク用の糸を半分に折つて輪にして、最初にこれを仕込むやうにしてゐる。
これが面倒でね。
最後、糸を引きこむのはだいぶうまくなつたのだけれども。
でも糸同士を結んで始末するよりはマシかなと思つてゐる。
わりと早い時期から magic thread で糸を処理するやうになつた。
GR-8 Tatting Shuttle を使ふやうになつてからだから、20年はやつてゐるんだらう。

はじめて見たタティングレース(「タッチングレース」と書いてあつたが)の本には、糸端は結んで始末しろ、と書いてあつた。
これが苦手でね。
表に響かない位置で小さく結ぶといふのができなくて。
不器用なので、こまかい作業が苦手なのだ。
唯一、極細毛糸でタティングをするときだけは結ぶこともある。
最終的に結んだ糸の両端をリングやチェインに縫ひこむときに結んでできたこぶの位置をなんとか目立たない位置にもつていけることが多いからだ。

最初と最後とが面倒だと、なかなか手に取るつもりにならない。
とくにやる気の著しく減退してゐるときは。

まだ緊急事態が解除されてゐないといふのに、日々県の境を越えて職場と家とのあひだを行き来してゐる。
電車はともかくバスは土曜ダイヤだから本数は少ないし、ひどく混む。
もしいま新型コロナウィルスに感染することがあつたら、上司を恨み呪つて死ぬだらう。
職場ではできるだけ在宅勤務をしろといつてきてゐるから恨めない。

そんなわけで毎日疲れ切つてゐる。
世の中はいよいよきな臭くなつてきてゐるといふが、その証跡を調べる気力もない。

新型コロナウィルスに感染することがなくても、いづれ世の中はろくでもない方向に進むのかもしれない。
さう思ふと、タティングどころぢやないんだよなあ。

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