Thursday, 18 October 2018

だらだらと文章を書く

あひかはらず「なんでも帳」を持ち歩いてゐる。

Bullet Journal と PoIC と併用してゐることもあつて、なんでも帳には以前ほど書き込まなくなつてはゐる。
以前は二、三ヶ月に一冊を使ひ切つてゐたが、いまのなんでも帳を使ひはじめたのは六月中旬だ。もう四ヶ月が過ぎてまだ手帳の半分にも達してゐない。

いまなんでも帳にしてゐるのは Smythson の Panama だ。
前回は LEUCHGTTRUM のポケットサイズで、大抵は Moleskine のポケットサイズと Panama とのあひだを行き来してゐる。
文庫サイズやB6サイズのノートも使つてみたけれど、どうもこの預金通帳に近い大きさの手帳が自分にはちやうどいいやうだ。

Bullet Journal や PoIC とに書けることはだいたい書いてしまふ。
なんでも帳はもう必要ない。
さう思ふこともある。

Bullet Journal と 情報カードを使つた PoIC となんでも帳との違ひはなにか。
Bullet Journal と PoIC とは箇条書きだが、なんでも帳はとにかくだらだらと書くといふことだ。

情報カードにはあるていどまとまつた文章を書くこともある。
Bullet Journal は完全に箇条書きばかりだ。
本や芝居の感想も Bullet Journal に書いてゐて、箇条書きの印をはづせばほとんどただの文章になりはするものの、それでも箇条書きで書いてゐる。
話題が飛んだときに便利だからだ。

本や芝居の感想は、基本的には時系列に書いてゐる。
はじめはかうで、かうなつて、中盤でああなつて、最後はかう、みたような、そんな感じだ。
しかし、書いてゐて、突然いま書いてゐる場面とは違ふ場面のことを思ひ出すことがある。
かういふ時、文章で書いてゐると割り込みづらいが、箇条書きならさうでもない。
行をあらため、冒頭に箇条書きの印を打つて、「先の場面ではかうだつた」と書き、また行を改めて箇条書きの印を打つて、もとに戻ればいい。
箇条書きの方がさうした自由度が高いのだ。

ではなぜなんでも帳も使つてゐるのかといふと、ただだらだらと文章を書きたいこともあるからだ。
徒然草ぢやあないけれど、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きしるす。
さうしたいこともあるのだつた。

また、旅先などで荷物を最小限にしぼりたい場合はなんでも帳だけを持つてゆく。
バイブルサイズとはいへシステム手帳の Bullet Journal はちよつとかさばるし、情報カードは出先では取り扱ひが煩雑なことがある。
そこいくと預金通帳くらゐの大きさのなんでも帳は取り回しも楽で、なにを書いてもいい。
Bullet Journal や情報カードにはあとで書き写せば済む。

あとは、Moleskine を使用してゐるときはその限りではないけれど、なんでも帳は使ふペンを選ばないのもいい。
Bullet Journal は方眼用紙を使ふこともあつて、あまりペン先の太いものは使ひづらい。
情報カードは5×3と書けるスペースがせまいので、やはりあまり太いペンは使へない。
そこで、ちよつと太字のペンなどはなんでも帳で使ふ。
LAMY 2000の極細を使用してゐて、極細といひながらどう見ても中字くらゐの太さのある線しか引けない。
Bullet Journal や情報カードには向かないが、なんでも帳なら問題ない。

いい加減、三つもノートとして使用するものを使ひわけるのはよさうと思ひつつ、なかなか思ふにまかせないのにはいろいろ理由があるんだよなあ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, 17 October 2018

toxic workers

うしろ向きな人間は職場では「toxic workers」とか云はれてしまふのらしい。
職場にゐてほしくない、雇ふべきでない人間といふことだ。

十人十色、人によつて考へ方が違ふといふ信念の持ち主も、否定的な意見については認めたくないといふやうすがありありと見えることがある。
人によつて考へが違つて、いろいろな意見があつて当然といふならば、ものごとに対して否定的な意見ももちろんあつてしかるべきなのだが、かういふ人はさうは思つてゐない。「そんなことないよ」と云ひながら、心の底では或は無意識のうちに「否定的な意見はあつてはいけない」と思つてゐるのに相違ない。

「いろんな意見があつていい」といふことは「いろんな意見があつてはいけない」といふ考へは許容しない、といふのは理解できるんだけどな。
許容したら成り立たないものな。

toxic workers といふことで云ふと、うしろ向きな態度といふのは伝染するのださうだ。
だから職場にはゐてほしくないといふ。
うしろ向きな姿勢の蔓延は仕事の効率を下げるからだ。

しかし、仕事は効率のみで語るべきものだらうか。
品質は? 最近ではコンプライアンスなどといふことがうるさく云はれたりもする。

コンプライアンスの遵守には、前向きで楽観的な考への人間よりもうしろ向きで悲観的な考への人間の方が向いてゐる気がするがなあ。
コンプライアンス違反といふのは、案外気軽なきもちでやつてしまふことが多いやうに見受けられる。
職場ではかういふきまりになつてゐるけども、守らなくても仕事の出来不出来には関はりないし、時間もないし、やつてしまへ。
さう楽観的にものごとをとらへる人がコンプライアンス違反者になる例がある。
かういふ場合、むしろ前向きで楽観的な社員の方が「toxic workers」なのではないか。

もちろん、前向きで楽観的な人がみな法令や社内規則を軽視するとは云はないし、うしろ向きで悲観的な人間の中には法律なんぞ知つたことか、社内規則なんてくだらないと思つてゐる人もゐるだらう。

思ふに、みんながみんな前向きで楽観的な職場といふのはよくないのだと思ふ。
多様性に欠けるからだ。
toxic で infective かもしれないが、うしろ向きで悲観的な社員もゐた方がいいはずだ。
世の中がさうしたものだからだ。

そして、なぜ前向きで楽観的な姿勢といふものが infective ではないのかを考へた方がいいと思ふ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, 16 October 2018

外でモチーフ家で合体

極細毛糸のタティングレースのスカーフをぼちぼち作つてゐる。

先日、名古屋に日帰りで行つた折り、新幹線の中などで作つてゐたモチーフをうまく本体のスカーフにつなげることに成功した。
これで遠出するときはスカーフ本体を持ち歩く必要はなくなつたな。
シャトルに糸だけ巻いて、出先で作れるだけモチーフを作つて、帰宅後にスカーフ本体に合体させればいい。
タティングレースにはさういふ作り方のできるものもある。
以前も出先ではひとつひとつモチーフを作り、家でつなげるといふものを作つてゐたことがあつた。
これの利点は、出かけるときに大きいレースものを持ち歩く必要がないといふことだ。
外では小さいモチーフを作ればいいといふのもいい。
ちよつと楽しくなつてきたな。

今夜にもヨガソックスを編み終はりさうな状態なので、次になにを編むか決めるあひだにタティングをしやうかな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, 15 October 2018

次に編むもの

ヨガソックスも片方は編み上がり、もう片方も甲に入つたので、すぐできあがることだらう。

問題は、そのあとなにを編むか決めてゐないことだ。

一昨年の冬から編みかけのままになつてゐる袖なし羽織の続きを編むか。
それともなにをとち狂つたのか買つてしまつたきれいな色の毛糸でマフラー(またかい?)でも編むか。
或は夏に編んでゐたショールを完成させるか。あとちよつとでできるところまできてゐる。綿だからいまからでもまだ使へるし。

先日も書いたやうに、ちやんとつま先とかかととのあるくつ下を編みたい気もする。
糸はある。
あとは編むだけ。
そんな感じだ。

それと、いまはなんとなく帽子を編んでみたい気分だ。
帽子はあまり編まない。
使はないからだ。
以前、朝一番のバスで出勤してゐたことがあつて、冬のあひだはバスや電車を待つちよつとした時間の寒さに耐へられず、自分で帽子を編んだことがあつた。
それ以降、手編みの帽子をかぶることに抵抗はない。
抵抗はないのだが、帽子をかぶつてメガネをかけマスクをするとアヤシい人ができあがつてしまふ。
さう考へると、なかなか手編みの帽子をかぶる機会がないのだつた。
去年は長いストールを編んだから、やらうと思へば真智子巻きができるしね。

ボスニアンクロシェでもなにか編んでみたいし、ノールビンドニングは糸の選定からはじめないとなあ。

とか云つてゐるあひだにヨガソックスをなんとかしやう。
うむ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, 12 October 2018

すゑのまつやまなみもこえなむ

一昨日、昨日と歌舞伎や文楽にまつはるうしろ向きな話について書いた。

歌舞伎や文楽は、たまたまやつがれが好きなものだから例として出した。
ほんたうに考へてゐることは、「どうしたらうしろ向きに生きられるだらうか」である。

「どうしたら」などとことはらなくても毎日うしろ向きに生きてはゐる。
どうしても前向きには生きられない。
世に「うしろ向きな社員は不要」「うしろ向きな人とともだちになると不幸になる」などといふ言説がある。
この世を統べてゐるのは前向きな人たちなのだらう。

考へてみたら、やつがれだつて十分前向きだ。
前向きでなかつたら、いつ来るかわからないが必ず来る大地震の控へてゐる日本になど住み続けられるわけがない。
自分が生きてゐるうちは大丈夫。
根拠もなく心のどこかでさう信じてゐる。
前向きだらう?
positive thinking といふべきなのかもしれない。

人間とはさうしたものだ、といふ話もある。
だから生きてこられたのだ、と。
さうなると、前向きに考へるといふのが人としての本来の姿なのかもしれない。
ゆゑにうしろ向きな考への人、negative thinking な人は忌避される存在なのだらうなあ。
カサンドラの云ふことなど、誰も聞きたくないのだ。

個人的な経験からいつて、うしろ向きな考へは危機管理につながるやうに思ふ。
「もしかしたら悪い結果になるかもしれない」と思ふ心が準備をさせる。
リスクを常に考慮に入れる。
かういふ人間もあまり好かれないのだが、でも必要だと思ふんだよなあ。
最悪のシナリオを考へない仕事とか、恐怖でしかない。

だが、さうやつて世間での居場所を求めるからいけないのかもしれない。
以前、南條竹則の「人生はうしろ向きに」といふ本を読んだ、といふ話はここに何度か書いてゐる。
読む前は「うしろ向きに生きつつ世間と折り合つていく方法について書いてあるといいな」と思つてゐた。
そんな内容はまるでなかつた。
うしろ向きな人間は、世間様と交はつて生きてはいけない。
さういふことなのだらうかと思つた。

そして、それはおそらくさういふことなのだらうと思ふ。
うしろ向きに生きていかうとしたら、非社会的な自己を確立するしかない。
どうやらさういふことなのらしい。

自分は自分でうしろ向きに生きていく。
だからかまつてくれるなおつかさん。
背中に銀杏はないけれど、negative thinker どこへ行く。

さうこなくてはいけないやうなのだ。

それは「人生はうしろ向きに」を読んで以降、いや、そもそも読む前からうすうす気がついてはゐたことだつた。
うしろ向きな人間は社会になじまない。
そんな社会が悪いのかもしれないが、ここではそれは問はない。
なじまないのだから、非社会的になるしかないのだ。

以前は、自分のことをそれなりに非社会的な存在だと思つてゐた。
世間なんてどうでもいい。
ひとりで生きていくんだ俺は。
さう思つてゐた。

だがあるきつかけがあつて、でも仕事を辞められないことに気がついた。
仕事を辞めたら社会とのつながりが一切なくなつてしまふ。
さう考へたら辞められなくなつてしまつたのだ。

なんていふことだ。
こんなにうしろ向きなのに、それでもまだ社会とのつながりを求めてゐたのだこの俺は。

選択肢はいろいろ考へられる。
どうにかして前向きな人間になる、とか。
うしろ向きな人間であることを隠して世間様とつきあつていく、とか。
うしろ向きなことを否定せず、また世間とも折り合つていく、とか。
非社会的な自己を確立して、堂々とうしろ向きに生きていく、とか。

最後の選択肢が一番のぞましいが、さりとては、だ。
計画を練らねばならないな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, 11 October 2018

古き世のみぞ慕はしき: だんまり

昨日、歌舞伎や時代劇は昔のものの方がいい、といふ旨のことを書いた。

しかし、こと歌舞伎に関しては実際のところ、しかとさうだとはいへない。
比べて見ることができないからだ。
昔見た芝居は見た人の記憶の中にしかない。
たとへ映像で残つてゐたとしても、それは実際の舞台ではない。
映像といふことは撮影した人がゐて、その人或はその人に指示した人の思惑で映す部分が変はる。
ゲキシネなどを見てゐて、「ここが見たいんぢやないのに!」と思ふのもさういふことだらう。

また、舞台を見たときに見えたはずのものが映像だと見えないこともある。
十三代目片岡仁左衛門の「車引」の時平を見たことがあつて、登場する場面で陽炎がたつやうに時平とその周囲がめらめらと揺れたやうに見えた。
あんなに妖しい時平は以降見たことがない。
だが、そのとき(その日ではないかもしれないが)の映像を後に見たら、陽炎のやうなゆらめきなど皆無だつた。
をかしいなあ。あのとき、さう見えたはずなのに。

時代劇のやうに比較して見られたとしても、判定には主観が入るからむつかしい。
ある人は古いものの方がいいといひ、ある人は新しいものの方がいいといふ。
多数決でもとれば白黒つくのかもしれないが、多数決で決まるものでもない。

でも確実に新しいものの方がどうかしてるよ、といふものがあつて、それはだんまりだ。
今月歌舞伎座で「宮島のだんまり」がかかつてゐるといふ。
まだ見に行つてゐないのだが、見た人の感想をちらほら見るに、あまりかんばしくない出来のやうだ。
次から次へと人が出てきて漫然と動いてゐるだけ、みたやうな感じなのだらうと推測する。

だんまりといふのは、月が雲にかくれてしまつて真つ暗闇の中、といふ前提のもとに演じられる。
夜でも灯りのついてゐる現代に暮らしてゐるとわかりづらいかもしれないが、さういふものの一切ない状態で月が隠れると、これはもう一寸先も闇だ。

歌舞伎役者は巡業に出るので夜の月の明るさを体験することはあるだらうと思ふのだが、その逆の闇を体験することはあまりないのかもしれない。

菊之助がお岩さまを演じたときだつたらうか、地獄宿で灯りを消して真の闇の中を歩くといふ演技を小山三で見たことがある。
なるほど、見えないとき人はかういふ動きをするよな、といつたとてもすばらしい動きだつたと記憶する。
小山三はおそらく知つてゐたのだらう。
灯りもない真つ暗な夜のことを。

役者として体験したことのないことができないといふのは致命傷だとは思ふ。
だつてさうしたら人殺しの役とかできないわけでさ。
舞台の上で死ぬことだつてできない。
だつてやつたことないんだから。
それでは話にならないが、体験できることは体験しておいた方がいいのだらう。
先代の芝翫が六代目についてゐたとき、藁打ちやなにやかや「やれ」と云はれ、のちに役の上でやることになつて「やつておいてよかつた」といふことがあつたと云つてゐるし。

だんまりは「東海道四谷怪談」の地獄宿の場とははちがつてもつと形式的な場面だ。
よつて、あまりリアルな動きをしても雰囲気を壊すことになる気はする。
でも、闇の中で人がどう動くか、自分がどう動いたかを覚えてゐれば、また違ふのではないのかなあ。
実際にやつてみやうといふ役者はゐないのだらうか。

役者だけではない。
やつがれが歌舞伎を見始めたころ、もう染料の劣化を嘆く声があつた。
「最近の赤の染料はよくない。安つぽくてぺかぺかした色になる」などといふ話を聞いたものだ。
昔の色を知らないのでなんともいへないが、さうした劣化はあちこちにあるものと思ふ。

いま御園座で「切られ与三」を上演してゐて、「源氏店」の場では与三郎は藍微塵の着物を着ることになつてゐる。
この藍微塵を織れる人はもうゐないと何年か前に聞いてゐたが、どうやらまだおひとり残つてゐるのらしい。
その人に頼んだのかどうかは知らないが、与三郎を演じる梅玉は新たに藍微塵を織つてもらつて衣装を仕立てたのださうだ。

また、昔ながらの豆絞りの手ぬぐひも払底してゐる。
有松ではまだ染めてゐるものの、なくなるといふので「浜松屋」の弁天小僧のために菊五郎が一疋買つた、といふ話をこれも何年か前に聞いたことがある。

小道具なんかもさうなんだらうなあ。
いまはもうないものもあるのだらう。
きつと小道具担当があれこれ工夫してゐるんだらうなあ。
小道具の工夫は昔からあつたものだらうけれど、これまであつてあたりまへだつたものがどんどんなくなつていくのに対処するやうな工夫ではなかつたのではないかといふ気がする。

大道具は、大道具担当自体が劣化してゐる気がする。
歌舞伎座の大道具はちよつとひどい。
床にしく畳や板間を表現する布が、どこかしらたるんでゐるのだ。
昔からさうだつたか知らんと思つてゐたが、国立劇場で見るとさうでもない。
よくよく場面転換のときに見てゐると、布の両端を引つ張らずに片側だけ引つ張つてよしとしてゐる大道具の人がゐる。
それで皺がよつたままになつてしまふのだ。
実際、たるんだ布に足を取られて転びさうになつた役者もゐたと聞く。
それでもあらたまらない。
誰かが大けがをするまでこのままなんではないか、否、大けがをしてもこのままなんではないか。
かういふ劣化もある。

さう考へると、「新しい方がいいことつてなんだらう」と疑問に思つてしまふんだよなあ。
新しい方が現在の嗜好にあつてゐるんぢやあるまいか、といふことはある。
現代人の感覚にあはせて演出や細かいところを変更してゐる場合はね。
でも一口に「現代人」といつても大勢ゐるからなあ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, 10 October 2018

当たり前のこと

八月に双蝶会に行つた。
双蝶会は歌舞伎役者の中村歌昇・種之助兄弟の自主公演である。
このとき、背後の席にかなりの中村吉右衛門贔屓とお見受けする方が座つてゐた。
背後なのでそちらの方は見なかつたが、幕間に隣の席の人と話してゐるのをちらと耳にしてそんなことを思つた。

吉右衛門が父の幸四郎・兄の染五郎とともに東宝から松竹に戻つてきたときの舞台の話をしてゐたり、吉右衛門襲名の興行を見た話をしてゐたり、最近の舞台の話でも吉右衛門のことを手放しでほめ称へてゐたり、双蝶会についても「たとへつたなくても「播磨屋に教はつた」といふことが大事。それが歌昇・種之助のためになるし、稽古を見てゐた人々みんなのためになる」みたやうな話をしてゐたり、大変失礼とは思ひつつ「いいこと云ふなあ」と思つてゐた。

そのうち、なぜだか話は文楽のことになり、一緒に話してゐた人が「最近は席がとりづらくて」とこぼすと、「さうなんだつてね」とあまりよくご存じのないやうす。
「文楽には行かれないんですか」との問ひに、「だつて僕は、越路太夫や津太夫を聞いてるからね」と云ふではないか。

ちよつとかちんとこなかつた、といへば嘘になる。
しかし、この後この人の語つた過去に聞いた義太夫の話は大変すばらしかつた。
もう細かいところは忘れてしまつたが、誰の何はそれはすばらしくて、某の何の何段目なんか涙が止まらなくて、通へるだけ通ひつめた、みたやうな話を熱く語つてゐた。
そこに自慢はなかつたやうに思ふ。

歌舞伎では「團菊爺」または「菊吉爺」などと呼ばれる人々がゐる。
若い頃に九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎を見てゐて、年を取つたいまなにを見ても「團十郎はよかつたなあ」「菊五郎はああぢやあなかつた」と「昔はよかつたなあ」と云ふ人々のことを指す。
さすがに九代目と五代目を見た人はもうゐなくなつてしまつて、その後は六代目尾上菊五郎・初代中村吉右衛門を見た人のことを「菊吉爺」などと
呼ぶ。

そんなこと云つたつてね。
聞く方はさう思ふ。
だつて見たことないわけだしさ。
見られもしない。
六代目と初代とならまあ映像も残つてゐないわけぢやあないけれど、それと実際の舞台とはまつたく違ふだらうしさ。

しかも、そこはかとなく自慢げなのが気障りだ。
「俺は見たもんね」「お宅は見たことないだらうけど」みたような、ね。

でもなあ。
なんとなく、わかるんだよなあ。

たとえば時代劇である。
一時、八代目松本幸四郎の「鬼平犯科帳」とTVドラマの「座頭市物語」「新・座頭市」、「大江戸捜査網」の第三シーズンの再放送を見てゐた時期がある。
鬼平が1969年、座頭市が1974年、「大江戸捜査網」が1973年の放映だといふ。
見てゐると、鬼平が一番「それらしい」のだ。
なにが「それらしい」のかといふと、市井の人々のやうすだ。
井戸端会議をしてゐる長屋の奥さん連中なんか、もうほんとに鬼平の時代にはかうしてゐたんぢやないか知らんと思ふやうなリアルさなのだつた。
鬼平は八代目幸四郎、丹波哲郎、萬屋錦之介、中村吉右衛門が演じたドラマがあつて、おなじ話をどの鬼平でも映像化したものがある。
「昔のおんな」の昔のおんなの女ともだちに関しては、八代目幸四郎のときが圧倒的にいい。
髪の結ひやうから着物の着方、佇まひ、どれを取つてもそれつぽい。

無論、当時の江戸がどうだつたかなんて知るよしもないし、実際には全然違つたのかもしれないとも思ふ。
この「それらしさ」がどこから生まれるのかさへわからない。
わからないけれども、昔の作品の方が「よくできてゐる」やうに思へてしまふんだなあ。
「座頭市物語」だつて「新・座頭市」よりそれらしい感じがすることがある。
なんだか世の中さういふものらしいのだ。

さうすると、菊吉がよかつたのは当然で、團菊がよかつたのは云ふも愚かといふことになる。

時の流れとともになにかが失はれてゆく。
さういふものだとするならば、今後歌舞伎や文楽になにを求めてゆけばよいのか。
ぼんやりと途方にくれてしまふ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, 09 October 2018

Travel Tatting

日曜日に名古屋に行つた。
御園座で歌舞伎の顔見世興行を見に行くためだ。

Travel Tatting

御園座にはこの四月にも行つた。
このときは松本白鸚・松本幸四郎の襲名披露公演だつた。
名古屋には、新幹線で行つた。
四月は、レース糸を巻いたタティングシャトルを持つて行つて、新横浜くらゐから Mary Konior の Curds and Whey を作り始め、帰りの新幹線結べるところまで作つた。

今回は極細毛糸をシャトルに巻いて、名古屋行きの新幹線に乗つてから東京行きの新幹線で降りるまでできるところまでスカーフ用のモチーフを作つた。
途中までできてゐるスカーフを持つて行くのはちよつと気が引けたので、モチーフつなぎとして独立したものを作り、あとで本体とつなげるつもりで作つた。
あとでつなげるのはちよつと手間な気がしたが、そこはそれ、である。
やつてみなければわからない。

といふわけで、ここに貼つた写真が時系列の写真だ。
青いもの(かばん)の上にモチーフの載つてゐる写真は御園座で撮つたものである。

Travel Tatting

しかとは覚えてゐないのだが、新横浜を過ぎてちよつと行つたあたりから作りはじめて、浜名湖を過ぎるくらゐまではタティングしてゐた。
そこでちよつと疲れてしまつて、すこし休み、三河安城の手前からまた結んだ。
それでこんな感じである。

帰りの新幹線は通路側の席で、乗つた直後に夕食を食べそれからタティングをはじめたので、どのあたりからかは定かではない。
気がついたら「ただいま浜松駅を通過しました」的なメッセージが出てゐたことだけは確かだ。
そこから小田原駅を過ぎるくらゐまではちよこちよこ休みながら結んでゐた。

結果、モチーフ二枚とちよつと、といつたところだ。

Travel Tatting

以前このモチーフでスカーフを作つたときはもつと早く作れたやうに思ふのだがなあ。
気のせゐだつたのかもしれない。
また、今回は途中からシャトルのカチカチいふ音がしないやう気を遣ひながら結んでゐたので、それで時間がかかつたといふ話もある。

音といへば、見てもわかるやうに最初シャトルにはめいつぱい糸を巻いた。
「めいつぱい」ぢやないか。シャトルの許容量を超えた量の糸を巻き付けた。
世に「藤戸巻き」といふとかいはないとかいふが、本家藤戸巻きはこんなものぢやなかつたやうに思ふ。

かういふ巻き方は、シャトルによくないしはみ出た糸が汚れやすいからしなさんな、といふのがお約束とされてゐる。
至極もつともだと思ふ。

だがこの巻き方にもいい点はあつて、まづ、糸を引き出しても音がしない。
シャトルの上下が開くほど糸を巻いてゐるのだから、そりや音はしない。
通常はシャトルの上下が閉じてゐて、糸を引き出すときはそのあひだを通すので、一瞬シャトルの上下が開いて閉じる、そのときにカチと音がする。
このカチカチいふ音がリズムを刻んでいい感じなのだが、外でタティングをする場合、必ずしもいい結果をもたらすとは限らない。
うるさいと思ふ人もゐるからだ。
そこでこの巻き方だ。

また、シャトルの糸切れ回数が減るといふ利点もある。
ただ、ボビン形式のシャトルには向かない。
ボビン形式の場合、糸を巻きすぎると糸がボビンとシャトルとのあひだに入りやすくなつてしまふからだ。さうなるといちいちボビンをはづして糸をボビンに巻き付けなほさなければならない。

もともとおすすめできない巻き方ではあるが、時と場合と自己責任、といつたところか。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, 08 October 2018

三歩進んで二歩下がる

ボスニアンクロシェは編んではほどき編んではほどきでなかなか進まない。

ボスニアンクロシェ in Progress

ボスニアンクロッシェのこもの 北欧のかわいい手編みテクニック」からショートスヌードを編んでゐる。
編み始めたのが九月三十日。もう一週間以上たつが、一進一退をつづけてゐる。
なぜといつて、間違へたといふのでほどくからだ。
このショートスヌードは表目と裏目を三目づつ三段編み、四段目で表目と裏目とを入れ替へる模様だ。
ボスニアンクロシェは斜行する。
それを踏まへて編んでゐるつもりで、ときどき間違へる。
そして間違へたことに気づかずに数段編んでしまひ、気づいたときには手遅れで、ほどくことになる。
それで進まないといふ寸法だ。

そもそも、ボスニアンクロシェを編むのに時間がかかる。
これはやつがれ個人の問題かと思ふが、右手にかぎ針を持ち右手で針に糸をかけるので、通常のかぎ針編みよりは時間がかかるわけだ。
本には右手の人差し指に糸をかけて針に引つ掛けるやうにすると書いてあるが、この方法だと手がどんどんきつくなつてゆく。あ、もちろん、これは個人的な問題である。
それで最初のうちは棒針編みで右手で糸をかけるときのやうにしてゐたのだが、これだととにかくはかがゆかない。
いまは左手で編み目を抑へつつ、右手の人差し指に糸をかけて編む練習をしてゐる。

ボスニアンクロシェの編み地は密でしつかりしたものになる。
ダイヤエポカで編んでゐて、そんなに地が厚いといふ感じはない。
目が密だからあたたかくなるのかなあ。
ちよつとできあがりが楽しみである。

それにしても、もうあみものかタティングかどちらかにしやうと思ひ、さらには棒針編みかかぎ針編みかどちらかにしやう、さうしないと時間が足りないと思つてゐるといふのに、なんでまた新たなことをはじめちやふかな。
ノールビンドニングもしたいとは先週も書いたとほりだ。
困つたものだ。

ヨガソックスもぼちぼち編んではゐる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, 05 October 2018

Bullet Journal とメモ魔

最近また少し Bullet Journal の書き方が変はつてきた。

何が変はつてきたかといふと、以前よりメモを Bullet Journal に書き込むやうになつたといふ点だ。
これまでメモは情報カードに書くことが多かつた。
情報カードはそのために使つてゐるので、至極当然といへる。

その情報カードの使ひ方をすこし変へることにした。
それについては以前ここにも書いた。
今後増えつづけることを考へて、日々の生活の記録は書かず、思ひつきや引用だけを書くやうにすることにした。
それで日々の生活の記録が Bullet Journal にうつつてきたわけだ。

また、「植草甚一のコラージュ日記 東京1976」を読んだことも影響してゐる。
その日食べたもの、買つたものなどを書くやうにになつた。
行つた先はこれまでも書いてゐたが、より詳細に書くやうになつた。
一日に書く量が圧倒的に増えてきたわけだ。

Bullet Journal とは、Rapid logging を標榜するものである。
Bullet Journal が箇条書きを推奨してゐるのは、rapid logging を実現するためだ。
とにかく書き留める。
すばやく書き留める。
そのための Bullet Journal であり、ゆゑに箇条書きなのだ。

それを考へると、日々のメモの量が増えていくのは当然のこととも思へる。
気になることをあれこれ書き留めてゐたらあつといふ間にメモだらけになる。
Bullet Journal はそれでいい。
そのはずだ。

しかし、メモが増えてくると、その日の予定やToDoが埋もれてしまふんだよなあ。
その日の予定やToDoは最初に書くやうにしてはゐる。
してはゐるけれども、書き留めたいことといふのは不意にわいてくるものだ。
ときに予定のあひだに「忘れないうちに書き留めなければ」といふので割つて入ることもある。

さうすると、いくら頭に印をつけてゐたとしても、埋もれてくるものはあるのだ。

そこは、これまた Bullet Journal の真髄ともいふべきレヴューのときに拾ひあげればいいのかもしれないけれども。
その日の予定が埋もれたらまづいよねえ。

メモ魔の人には Bullet Journal は向かないのかもしれない。
メモ魔の人は、スケジュール帳とメモ帳とを分けて使ふものなのかもしれない。
最近さう思ひはじめてゐる。

でもまあ、Bullet Journal はまだつづけるつもりだけれどもね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«物欲の秋