Thursday, 06 August 2020

New Normal に慣れなくて

今月は歌舞伎座で二月以来の公演がある。
四部制で、毎回役者も関係者も入れ替はる。ほかの部をかけもちするものはない。
観客も、常であれば第一部と第二部をつづけて見る人はロビーなどで待つことができるけれども、それも今回はないらしい。
毎回全員外に出てもらふ。そして消毒などを徹底するのだといふ。
それでも昨日は第三部の関係者に微熱のある人がゐたとのことで第三部だけ休演になつた。
第一部や第二部、第四部には影響がないので上演された。

今後もしばらくはかういふ形式でいくのだらうか。
九月も四部制で、やはりかけもちする関係者はなく、客席も毎回全入れ替へになるのだらう。
八月は、第一部・第二部・第三部が所作事で、第四部だけ世話物だけれども、できるかぎり役者同士が近づかないやうな工夫をこらしてゐるといふ話だ。
所作事の方でも、第一部の「連獅子」は常よりも舞台の奥の方で踊つてゐるのだといふし、第二部の「棒縛り」や第三部の「吉野山」もおそらくさうなのだらう。
またいづれも一時間程度の演目ばかりだ。

九月は第一部が「対面」、第二部が「かさね」、第三部が「引窓」で第四部が「鷺娘」と聞いてゐる。
「かさね」と「引窓」にはそれなりに近づく部分があるけどなあと思ひつつ、やはりそこにはなにかしら工夫をするのだらう。

あとは、どんな演目があるだらう。
所作事が増えるのかなあ。
いまぱつと思ひつくやうな芝居がない。
歌舞伎は、現代劇に比べたら人と人との間隔が広い方だと思ふ。
とくに歌舞伎座は横に広いし、「筆幸」なんか見ても、貧乏長屋だといふのに一間とはいへ十七畳くらゐあつて我が家より断然広いし、裏手が墓地だから訳あり物件なのか知らんと訝しく思ふくらゐだ。
でも男女の情・親子の情などを表現する場面ではやつぱり近づくしねえ。

あー、「関扉」なんかどうだらう。
三人しか出ないけれど、一人につき一人は後見が必要だし。
さういや以前中村歌右衛門の小野小町・墨染桜の精、初世松本白鸚の関兵衛実ハ大伴黒主、十七世中村勘三郎の宗貞といふのがあつて、後見はそれぞれの長男がついたといふ舞台もあつたと、これは勘九郎時代の十八世中村勘三郎の話で聞いた。
小町も関兵衛もいろいろすることがあつて後見も忙しいが、宗貞はこれといつてすることもない。
でも十七世はほかの二人が後見にあれこれさせてゐるので意味もなく十八世を呼び寄せた、とかいふ話だ。

いいんぢやないかな、「関扉」。
一時間を超えるけども。
中村勘九郎の関兵衛がまた見たいんだよね。
松本幸四郎の関兵衛もいいかもしれない。
小町・墨染桜の精は中村梅枝か。あるひは双蝶会で一度だけ見た中村児太郎か。
ただ、宗貞がゐないんだよなあ。
いま宗貞をやるとしたら誰だらう。
菊五郎劇団の若手にはいくらもゐさうだけれども、本役といふ感じぢやあないんだよなあ。

などと、New Normal にそぐはないやうなことばかり考へてしまふ。
もしかしたらもう歌舞伎は見に行けないかもしれない。
そんなことを思つたりもする。

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Wednesday, 05 August 2020

占ひとは観察すること

総じて占ひには懐疑的だ。
あたつてゐないことが多いからだ。
たとへば血液型占ひがさうだ。
実のところを告げると「えーっ」と云はれることが多い。
自分でもさう思ふ。
思ふに、血液型と性格とはもしかしたら相関関係はあるのかもしれないけれど、因果関係はないのではなからうか。
つまり、A型だからどう、B型だからかう、といふのではなく、たまたまA型にはどうした性格の人が多く、B型にはかうした性格の人が多いといふだけなのではないか、といふ話だ。
薬指が人差し指より長い人が理系に多いさうだが、だからといつて理系の人が全員さうとは限らないし、薬指の方が人差し指より長くても理系でない人はゐるだらう。
それとおなじなんぢやないかなあ。
ちなみにやつがれは左右ともぱつと見て薬指の方が人差し指より長いが理系ではない。

星占ひ即ち西洋占星術にも当たつてゐると思ふ点がほとんどない。
呼吸器が弱いといふのが当たつてゐるくらゐだ。
でもそれつてたまたま、偶然だらうと思ふのだがどうだらうか。
性格的な点にまるで思ひあたる点がない。

誕生日といふことでいへば、おなじ日に生まれた有名人にエフゲニー・ムラヴィンスキーがゐる。
Wikipedia などを読むとまるで似たところがない。
生まれた年が違ふし、場所も違ふから当然?
さうしたら西洋占星術も成り立たないのでは?
ムラヴィンスキーといへば完璧主義者として有名だ。
ゲネプロが完璧だつたから本番をやらなかつたといふ逸話があるほどだ。
完璧主義者? やつがれが?
ご冗談でせう。

巷ですごく当たると云はれてゐた動物占ひもまるで当たるところがなかつた。
自分は緑のチーターなのださうで、超ポジティヴといはれたけれど、どこをどうしたらさうなるのかさつぱりわからない。
やつがれがポジティヴ?
ご冗談でせう。
もしかしてネガティヴなことをポジティヴを超えたといふことで超ポジティヴといふのだらうか。

タロットのパーソナルカードといふのもそのひとつだ。
これも動物占ひ同様誕生年月日を元に決まる。
やつがれの場合、12の吊るされた男なのださうである。
書いてあることを読むと、自己犠牲だとか他人のために尽くすだとか困難のときも楽しむことができるとか、およそやつがれの辞書にはないことばが書き連ねてある。

当たらない当たらない。
さう思つてゐたのだが。

なぜこの男が吊るされてゐるのか考へてみる。
古さうな絵だし、おそらく他人と意見が合はなかつたのだ。
他人といふよりは majority と意見が合はない。
それも多分に根本的なところから違つて、下手をすると世の中をひつくり返しかねない意見を持つてゐる。
だから吊るされてゐるのではあるまいか。
この男が全然苦しさうな顔をしてゐないのもうなづける。
この男は知つてゐるのだ。
自分の考へこそが正しいことを。
間違つてゐるのは majority の方だといふことを。
でも仕方がない、吊るされてやらうぢやないか。

さう考へると、なるほど、これは自分のカードだなと思へてくる。
そして、動物占ひや西洋占星術にもかうした見方をすれば当たつてゐる点も出てくるのぢやあるまいか。
そんな気もする。

で、さうなつてくるとはこれはもう占ひぢやないんだよね。
現状とつきあはせていくとかうですよね、といふ話だと思ふ。
それとも占ひとはさうしたものなのだらうか。
いはゆる「スビリチュアル」といふ面のない、観察力がものをいふことなのぢやあるまいか。

といふのが最近タロットの本などを読んでゐて思ふことなのだが、どうなのだらう。
易もまさにさうしたものだと思つてゐるが、易はこのあとまた読み返すつもりでゐる。

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Tuesday, 04 August 2020

少しやる気が出てきた

やつと編み気が出てきた。
昨日も書いたやうに、中長編みの引き上げ編みといふのがいけなかつたやうだ。
長編みの引き上げ編み、それも表と裏と両方といふ模様になつてから、がんがん進むやうになつた。
現金なものだなあ。

ここのところなにも作つてゐなくて、もうこのままなにも作らなくなるのではないかと思つてゐた。
かう思ふことはたびたびある。
作る気が失せると、毎回だ。
これには波がある。
「もう何も作れん」と思つてゐても、しばらくするとまた作り始めたりするものだ。

ただ、「もう何も作れん」と思ふたびに、次の波は来ないだらうといふ気がする。
それだけのことなのだと思ふ。

だからいまタティングもなにもしてゐないけれども、そのうちまたするだらう。
いまは、外出先でタティング用具を取り出すのがちよつと不安だ。
そもそも外出自体をあまりしないといふこともあるけれども、これまでだつたら医者で順番を待つあひだにタティングすることもあつた。
それがいまはなんとなくできない。
ここで使つたら、しばらく、さう、プラスチックだから一週間は手にとつてはいけないのではないか。
さう思つてしまふ。

土曜日に図書館に行つた。
別の図書館にある本を取り寄せてくれるやう頼んでゐて、その本が届いたからだつた。
その帰りに、図書館のそばにある喫茶店に寄つた。
いつもなら、借りてきた本をそこで読むのだが、その日は本を取り出すことができなかつた。
図書館の本だ。
いつ誰が触れたかわからない。
少なくとも自分とある司書さんとは触れた。
別の図書館の本だから、そこの司書さんも触れたらう。
などと考へてゐると、なんかあつたときに喫茶店に申し訳ない気がして、借りてきた本を読むのはあきらめたのだつた。

これも New Normal といふアレなのだらう。
あみものやタティングレースにおける New Normal つて、なんなのかな。
ちよつと考へてしまふ。

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Monday, 03 August 2020

夏のくつ下

リピートしたくなるかぎ針編みの定番小物[春・夏]』を買つてしまつた。
表紙のカンカン帽が気に入つたことと、掲載されてゐるカーディガンが編めるくらゐの糸が手元にあること、そしてくつ下が編みたかつたからだ。

くつ下は早速編み始めてみたのだが、苦戦してゐる。
土曜日に編み始めてまだ履き口を編んでゐる状態だ。
引き上げの中長編みといふのが始末に悪い。
中長編みはループを一度に3本引き抜かないといけないから苦手なんだよね。
2本づつ2回にわけた長編みの方がよほど編みやすい。
しかし引き上げ編みは好きなのだつた。

この調子だとこの夏はくつ下だけ編んで終はるな。
せつかく本を買つたのに。

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Saturday, 01 August 2020

7月の読書メーター

7月の読書メーター
読んだ本の数:2
読んだページ数:566
ナイス数:35

哲学塾の風景 哲学書を読み解く (講談社学術文庫)哲学塾の風景 哲学書を読み解く (講談社学術文庫)感想
人の抱くような悩みはすでに過去の(偉)人が悩んでいる、と云われる。だが、ここに書いてあるような精読をしなけりゃならないとしたら、それでも過去の人の悩みを読むだろうか。読んだとして、参考になるんだろうか。哲学の本もそうで、読んで意味あるの? 多分ないんだろう。最初はむつかしくて挫折しそうになったが、途中から参加者の生徒さんたちのようすがおもしろくなってきて読み通すことができた。音読って大事なんだろうな。
読了日:07月09日 著者:中島義道
レトリックと人生レトリックと人生感想
時間はメタファーでしか語ることができないと云われている。最近は「時間というものはない」と云う説もあるし。未来は先、過去は後ろのことなのに、「二週間後」は未来で「先週」が過去なのは文化に根ざしたものだという。なるほど、異文化間コミュニケーションがむつかしいわけだ。終わりの方は欧米の哲学における客観主義への批判が熱い。これで索引がついていたら文句はないのだが、ついていたら分厚くなり過ぎてしまうのかな。
読了日:07月29日 著者:ジョージ・レイコフ,マーク・ジョンソン,渡部 昇一,楠瀬 淳三,下谷 和幸

読書メーター

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Friday, 31 July 2020

いつでも眠いわけ

いつでも眠い。
とにかく眠い。
毎日眠い。
いまこれを打つてゐる最中も眠たくて仕方がない。

TwitterのTimeLineを眺めてゐたら、眠たいときといふのは脳が弛緩しきつてゐるときなのだといふ。
脳に危機感とか警戒心が欠けてゐるのだ、と。
よつて、脳が危機感を覚えるやうなことをするといいのだといふ。
なんだつけな、片足で立つて両腕をぐるぐる回すとかだつたかな。
覚えておけよ、といふ話だが、残念ながら忘れてしまつた。
Favもしたつもりなのだが、埋もれてしまつてとつさには見つからない。

この説明にはなるほどな、と思ふ点がある。
なにかあるとものすごく焦つてしまふからだ。
たとへば電話がかかつてきたときなどだ。
ものすごくあはててしまふ。
早く取らなければと思ふ。
取つたら取つたで、きちんと対応しなければとあたふたする。
もちろん電話なんて大つ嫌ひだ。

これをして、傍若無人といふ見方もあると思ふ。
起きてゐて、人間に暮らしてゐて、それでも傍に人無きが如し。
さういふ状態なのだ。
脳が寝てゐる。
さういふこともできやう。

つねに瞑想状態にある、といつたら云ひ過ぎかな。
でも擬似的な瞑想状態なのではあるまいか。
周囲のこと、眼に映るもの、耳から入つてくる音、にほひ、触れるもの、さうしたことがあるのはわかつてゐるけれど、脳までとどいてゐないのだ。
だから、いきなり脳に達するやうなことになると慌ててしまふのぢやないかなあ。

もうひとつ、いつでも眠たいのはひとりでゐることが好きだからなんぢやないかな、とも思ふ。
眠ることはひとりですることだ。
ふたり以上ですることではないし、できない。
眠るときは誰でもいつでもひとりなのだ。
だからいつでも眠たいのだらう。

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Thursday, 30 July 2020

なにを書いてゐるのだらう

七月中はほとんど出かけてゐない。
医者に行く必要があつたので予定表で管理してはゐたけれど、予定といつてもそれくらゐだつた。
なのになぜ Bullet Journal として使つてゐる Rollbahn ページが進んでゐるのだらう。
毎日1ページは使用してゐる計算だ。
LサイズだからB6くらゐの大きさだけれども、日々おなじやうなことしかしてゐないのに、なにを書いてゐるんだらうね。

予定がないし、平日は毎日おなじやうなことしかしてゐないから、予定を書くといふことはほとんどない。
ほとんどは「こんなことをした」「こんな本を読んだ」「こんな動画を見た」「こんなことを思つた」といふことばかりだ。
スケジュール帳といふよりは日記に近い。

無気力な人はかうして日記をつけるといいのださうな。
無気力でなにもしてゐないはずなのに、気がつくといろんなことをしたりいろんなことを考へたりしてゐる。
日記を見返すとそれに気づく。

さういや、鬱の人は生きてゐるうちにしたいことや見たり聞いたりしたりすると気分がもりあがることを書き出しておくといいといふ話を聞いたことがある。
鬱のそれほどひどくないときに書いておくといいのださうだ。
鬱になつてしまふと、これをしなきや死ねないこととか気分のもりあがるやうなことなど考へてゐる余裕はないからだといふ。
気分がもりあがるやうなことはこれといつて思ひつかないが、なんとなくこれだけはやつてみたいといふことは Bullet Journal に書きつけてゐる。
金澤に行くとか国立劇場のライブラリで見たい芝居とか編みたいものなどが書いてある。
落ち込んでゐるときにさうしたものを見返して「生きやう」といふ気になるか、といふと、必ずしもさうでもない。
どうしてもしたいといふものではないのだらう。
でも書いてはゐる。

あと、気になることね。
「非認知能力」「保有効果」「Edith Bone」「Quentin Crisp」などといふ単語や人名だけが並んでゐる。
書いておかないと忘れるからね。
「Edith Bone」なんて本を読んだときは強烈に覚えてゐたのに、名前をすつかり忘れてゐた。
さまざまな逸話は覚えてゐたのだけれども、そこからはWeb検索できなかつた。
本を読みなほして、はじめて思ひ出した体たらくだ。

やりたいことや気になることは、手帳の一番最初にページをさいてあつて、七月分に入ることはない。
それに、どちらもそれほど数はなく、いまのところ1ページにおさまつてゐる。

なのになんでこんなに Daily Logs が増えてるかな。

ひとつには、忘れることがおそろしいんだらうな。
生きれば生きるほど、記憶力が衰へていく。
衰へるのか、単に覚えることが多くて先に覚えたことをどんどん忘れないと新しいものが入らないのか、それはわからないし、両方なのかもしれない。

かういふ忘れることを恐れる人間の方が年をとつたらボケる。
そんな気がする。
それに、やつがれはひどくかたくなで、最近ではあまり聞かなくなつたことばだが、頑固でもある。
頑迷な人間はボケやすいらしいよね。

毎日書きたいと思つたことを書いてゐれば、のちに昔を思い出す一助になつたりはしないだらうか。
するといいのだが。

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Wednesday, 29 July 2020

気のゆるみ

自粛中とはいへ歩かないと足腰が弱るので、スニーカーを購入したのが四月のこと。
そのころは歩いてゐた。
在宅勤務をしてゐて、意識して歩かないと体力がなくなつていくばかりだと思つたからだ。
仕事を終へて、まだ明るいうちに歩く。
30分も歩くと暗くなつてくるからそんなにたくさんは歩けない。
それがちやうどよかつた。

五月六月と職場や客先に行くことがあつた。
いつ客先に行くとも知れぬので、スニーカーの出番はなくなつた。
土日は、平日出かけてゐるのだからとひきこもることが多かつた。

七月になつてまた自宅で働いてゐる。
でも歩きには行つてゐない。
行くとしても、ゴミを捨てに行つたあとほんの五分ほどだつたり、近所に買物に行くくらゐだ。
雨が降つてゐるから、といふことはある。
今月はやたらと雨の日が多い。
くもつてゐる日は蒸して暑い。
歩かうといふ意欲が失せてしまふ。
その結果、駅前の医者への行き帰りに途中までバスに乗つて降りて歩くくらゐしかまともに歩いてゐない。

雨だから、暑いからといふ天候のせゐもあるけれど。
でもどちらかといふと、四月のときのやうな危機感が薄いのではないかといふ気がする。
四月のあひだ一ヶ月在宅勤務をして、五月の連休が明けてから出勤したが、そんなに体力の落ちた気はしなかつた。
ノートPCを背負つて行き来してゐたけれど、そんなにつらいと思つたことはない。
それで、慢心してしまつたんだらうなあ。
一ヶ月くらゐ自宅で働いても、どうつてことないぢやない、と。

でも記録を見ると、四月はできるだけ歩いてゐる。
可能な限り二日に一度、やる気の失せたときは三日に一度は1.5kmとか、下旬には3kmとか歩いてゐる。
それを今月はしてゐない。
医者に行つたときには片道2kmくらゐは歩いてゐるけれど、一ヶ月のうちに二度だけだ。
いかんよなあ。

ここにきて一日の新規感染者数が増えてゐる。
四月はじめの緊急事態宣言の出る前の状態に近いといふ人もゐる。
また、その当時よりは人々の気がゆるんでゐるのではないか、といふ人もゐる。

さういふのもあるのかなあ。

いづれにしても、もつと体力に気をつけなければ。
でもかう暑いと歩く気もしないよねえ。
まだ梅雨も明けてゐないのに。
どうしたものかなあ。

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Tuesday, 28 July 2020

うつくしいものが作れたら

人が作つたうつくしいものを見ると、いいなあと思ふ。
自分も作りたいなあ、とか。
タティングレースとかマイクロ・マクラメとか、Webなどで見ては「きれいだなあ」と眺めてゐる。

自分でも作ればいいぢやないか、と思ふのだが、そこが思ふにまかせない。
暑さといふよりは湿気に負けてしまつてゐる。
そもそも自分にきれいなものうつくしいものなんて作れないぢやあないか。

などと云ひ訳して一日が終はる。
きれいでなくてもいいから作ればいいのに。
作つていくうちにきれいなものが作れるやうになるかもしれないぢやあないか。
作らなければなんとでもいへる。
さうも思ふんだがねえ。

数をこなさけなればな、とは思ふ。
それはわかつてゐるつもりだ。
数をこなしたからまがりなりにもくつ下が編めるやうになつたのだ。
一時期、それこそ『二都物語』に出てくるマダム・ドファルジュのやうにひたすら編んでゐて、それで一応履けるくつ下が編めるやうになつた。
さう思つてゐる。

タティングレースもまた、数をこなしてゐるうちに少しはきれいなものが作れるやうになるんぢやあるまいか。
さう思ふんだけどなあ。

でも実際に作るとなると、好きなのはあまりピコのない、あつたとしてもつなぐためだけのピコばかりだつたりする作品なんだよね。
それでもいいのかもしれないけれど。

いづれにしても、外出もままならぬいま、タティングレースなりあみものなり、さうした趣味はいいと思ふんだけれども、あなたどう思ひますか。

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Monday, 27 July 2020

生き延びるためのあみもの

Don't Touch Your Face を編み終へた。
中細毛糸で編んでゐたネックウォーマだ。
もちろんいますぐに使ふことは考へてゐない。
考へてはゐないが、洗つてからしまひたい。
だといふのにこの天気。
いつになつたら梅雨が明けるのだらう。

しかし梅雨が明けたとして、ここ数年の傾向を考へると、耐へ難い猛暑がやつてくる。
それはどうだらう。
いまでも十分暑いといふか蒸してゐるけれど、それをかるく上回る酷暑がやつてくる。
毎年、もうこの上の暑さには耐へられないのではないかと思ふ。
それでもなんとか生きてゐるけれど、それも偶然に過ぎないのかもしれない。
たまたま運がよくて、それで生き延びてしまつた。
それだけのことなのではあるまいか。

しかし、この暑さを耐へなければ Don't Touch Your Face を使ふこともない。
なんとか忍ばねば。
なんとか生き延びねば。
真夏を前に冬物を編むと、かういふ気分になれる。
長いこと編んでゐるが、はじめてそんなことを考へた。

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