Friday, 22 June 2018

隣の男が壁を抜けたつてね

「怪奇大作戦」の上映会イヴェントがあるのださうな。
ときは2018/8/19(日)、ところは和光大学ポプリホール鶴川とのこと。
まだ詳細は確認してゐないが、「壁抜け男」と「霧の童話」を上映するのらしい。

「怪奇大作戦」は放映開始から今年で五十年、なにかしら記念イヴェントがあるだらうと思つてゐた。
よかつたよかつた。

円谷で五十周年でイヴェントといふことで、一昨年の「ウルトラマン落語」や去年の「ウルトラセブン落語」のやうに「怪奇大作戦落語」もあるとといいんだけどなー、と思ひはすれど、もちろんあるとは思つてゐない。
今年も「ウルトラセブン落語」は開催されるのだとは聞いてゐる。
こちらはときは2018/9/16(日)、ところは日本教育会館一ツ橋ホールださうな。
落語家は柳家喬太郎と柳家喬之助、ゲストに森次晃嗣とひし美ゆり子が出るといふ。今年は紙切りの林家二楽の名前がないのがチト残念。

去年の「ウルトラセブン落語」は上野の鈴本演芸場で、このときはゲストに森次晃嗣が来た。
いやー、もりあがつたねー、「特別ゲストです」つて呼ばれて出てきたときには。
場所が鈴本だからか、あまりウルトラに興味のない客もゐたやうなのだが、といふのは最初に「私情最大の侵略」のマクラで喬太郎がかなり客席のやうすを探つてゐたやうに見受けられたのでさう思ふのだが、いやでもさ、「ウルトラセブン落語」ですよ。ちやんとさう銘打つてるんだからさ、盛り上がるでせう、そりや。

登壇した当初は年相応に落ち着いて見えた森次晃嗣が、喬太郎・喬之助・二楽とのトークが進むうちにどんどん生気に満ち、若返つていくのがわかつて、とてもおもしろかつたし、さういふ姿を見てこちらも気分が昂揚していくのを覚えたことが忘れられない。

さういやこのとき二楽は「フジ隊員はお姉さんといつた趣だつたけれど、アンヌ隊員は、ね」と、アンヌ隊員好きなことを話してゐた。
もともとは別の人が配役されてゐたのが急遽変はつので制服の変更が間に合はず、ぴちぴちな感じで着てゐた、といふ話の流れからだつたと思ふ。
実相寺昭雄は逆なことを云つてゐたやうな気がするけれど、おもしろいねー、さういふものなのねー、と思つたりもした。
さういへば、冒頭に書いた怪奇大作戦イヴェントにはそのフジ隊員・桜井浩子もくるのださうな。

一昨年の「ウルトラマン落語」のときはやつぱり鈴本演芸場で下席の十日間、「ウルトラ喬タロウ」と題して喬太郎がウルトラマンネタの噺をかけたのだが、ウルトラセブン落語はその日一度きりだつた。
このときかかつた噺は「ウルトラ仲蔵」や「抜けガヴァドン」などほかの落語会で聞くこともある噺もあるのだが、「私情最大の侵略」と「セブン段目」がほかでかかつたといふ話は寡聞にして聞いたことがない。あるのかなあ。
九月の会では新作をかけるのか、それとも「私情最大の侵略」をリファインしてくるのか、気になるところではある。

「セブン段目」も好きなんだよなあ。
おそらく、元ネタの「七段目」にしたつて、歌舞伎を見たことのない人にはなにがおもしろいのかよくわからない噺なのだと思ふ。
若旦那と貞吉とのやりとりがなんとなくおもしろいから笑へるのであつて、元ネタがわかつて笑つてゐるばかりでもないだらう。
聞いたことはないけれど、昔は声音でやつたりもしたんぢやないかなあ。
圓生の「掛取万歳」の芝居の部分はものまねが入つてゐて、あんな感じで「七段目」をかけることもあつたんぢやあるまいか。
「あたしは播磨屋でいくから。貞吉、おまへはどうする」「あたしはぢやあ、歌右衛門で」「大成駒。おまへも目が高いねぇ、うんうん」なんてな感じでさ。

でもいまそれをやつてもおほかたのご見物には通じない。
それでとくに誰といふことに言及せずにやるやうになつてゐるのぢやないかなあ。
だつて芝居好きだよ、若旦那も貞吉も。
絶対自分の好きな役者のまねでやりたくなるつて。

「七段目」の不満になつてしまつたが、ともかく、「セブン段目」は「マニアつてかうだよね」といふ楽しさにあふれた噺なので、聞きたいのだが、しかし、多分、話して二席だよね。
一席は新作がほしいし、さりとては、だ。
九月までこんな感じで楽しめるといふのもまた一興ではある。

ところで、二月の落語会で、喬太郎はちらりと「今年は「怪奇大作戦」が放送開始五十周年」と云つてゐた。
そこはそれだけで終はつてしまつたのだけれども、なんかどこかでちよこつと話したりしないか知らん。
しないか。
しないな。
「ウルトラセブン落語」のマクラとかで、ちよろつと、とかさ。
期待はすまいと思ひつつ、してしまふ。

まあでも、「怪奇大作戦落語」つて、素人でも考へつくよね。
以前こんなことをつぶやいてゐる。

牧さん 隣の男が壁を抜けたつてね
ノム へえ
改訂版はこんな感じ。
助さん 隣の男が壁を抜けたつてね
ノム へえ
さおりちやん カッコい〜!
これでちやんと「怪奇大作戦落語」になるぢやないですか。
#なりません。

そんな「壁抜け男」の上映される八月、そしてよくわからないけれども「ウルトラセブン落語」のかかる九月と、今年も円谷的に楽しめさうでなによりぢやよ。

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Thursday, 21 June 2018

拡張と集約

PoIC を参考に5×3の情報カードにあれこれ書き付けてゐる。
一週間に二十枚から三十枚くらゐ書いてゐる。

たまつてきたのはいいけれど、これ、どうしたらいいんだらう。
定期的に見返してまとめたりなんだりすればいいのだらうけれど、それにはまだ数が足りない。

マンダラートといふアイデア発想法がある。
野球の大谷翔平選手が使つてゐたことがあるといふ話も聞く。
マンダラートでは、正方形を三×三の九つのマスに区切り、真ん中のマスに主題を書いて周囲のマスに主題から思ひついたことを書く。
周囲のマスに書いたことを別の九つのマスの真ん中のマスに書いて、周囲に思ひついたことを書く。これをくり返していく。

マンダラートの本などを読むと、人の思考はリニアではない、とある。
ノートにアイデアを書き付けていくと、どうしてもリニアになつてしまつて、発想がひろがつていかない。
そこで、マンダラートの手法を使つてどんどん発想をひろげていかう、と、かういふわけだ。
マインドマップにも似たところがある。

人の思考といふのはリニアではないのかもしれない。
あることについて考へてゐたはずなのに、関連する別のことを思ひついてしまひ、そこからさらに連想が進む。
さういふこともある。
この場合、罫線のあるノートに上から順番に書いていくと、うまくいかない、のらしい。
マンダラートなりマインドマップなり、連想をひろげるやうな仕組みを利用した方がいいといふ。

問題は、マンダラートにしてもマインドマップにしても、広がりすぎてしまふことだ。
収拾がつかない。
どうしやう、と思つてゐたら、マインドマップに精通した人がいふには、マインドマップで拡散したら、次は集約する作業が必要なのだとか。
そらさうだよな。

そして、ここからは個人的な考へだが、集約するときはリニアな方がいい気がしてゐる。
これもアイデア発想法の本で読んだ話だ。
その人は、おもしろいと思つたものは、とにかくかたつぱしからメモを取るのだといふ。
取つたメモはこれまたかたつぱしからノートに書き付けていく。順番は気にせず、とにかく書く。
そして、一ヶ月くらゐたつたら見返して、これはおもしろいと思つたものを別のノートに書き抜く。このときも内容ごとに書いたりせず、時系列に書き付けてゆく。
かうして書き抜きを集めたノートを持ち歩いてひまなときにめくつてみるのださうだ。
ノートに書くのは、いつでもどこでも見返しやすいからだといふ。

かうして考へてみると、情報カードはやつがれにとつてはマンダラートとかマインドマップのやうなものだ。
まづ書き出す。
拡張することだけを考へる。

集約がまだできないんだよなあ。まだ、といふか、苦手な気がしてゐる。

情報カードはもうかなりの枚数になつて、でも集約するにはまだ足りない。
もうちよつと増やしつつ、集約について考へていくか。

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Wednesday, 20 June 2018

はじめての歌舞伎の本

中学生の時にたまたま入つた音楽室の準備室に歌舞伎の本があることを発見した。
A4変形だらうか大きなサイズで、写真がたくさん載つてゐる、ムックのやうな体裁の本だつた。
音楽の先生に無理にお願ひして借りてきて読んだ。
といふよりは、見た、かな。なにしろ写真の多い本だつた。

題名も忘れてしまつたし、出版社はどこか大手だつた、くらゐしか覚えてゐない。講談社だつたかなあ。
表紙は写真を寄せ集めてきて作つたやうな感じで、開くと坂東玉三郎の藤娘の写真が掲載されてゐた。
この本を見る前に知つてゐた役者は玉三郎くらゐだつたと思ふ。
この本で、中村歌右衛門と実川延若とを覚えた。
ふたりともヴィジュアルが強烈だつたからだ。

実川延若は、「関の扉」の関兵衛実ハ大伴黒主の写真が抜群によかつた。
鉞を下にして足をかけた形がいいし、とにかく表情といはうか顔の造作といはうかがこの世のものではないかのやうな様相で、このまま浮世絵にしたいやうな風情だつた。
ほかには当然「楼門五三桐」の五右衛門や、「封印切」の忠兵衛など、結構いろんな写真が載つてゐたやうに思ふが(なにしろこの本で覚えたんだからね)、なにをおいても黒主。

歌右衛門といへば忘れられないのが「鴛鴦襖恋睦」だ。
鴛鴦になつてからの姿で福助だつたころの梅玉と踊つてゐる場面の写真があつたのだが、失礼ながら化け物にしか見えなかつた。
幽霊といへばさうなのでさう間違つてはゐないのかもしれないが、実際に見るまでは「鴛鴦襖恋睦」は怪談なのだと信じてゐた。
それにしては明るいし衣装も華やかだなあ、とふしぎではあつたのだが。

あと、道成寺の道行の花道で鐘を見込んだところの表情なんかもものすごく怖かつた。
延若の黒主もさうだつたけれど、「これ、絶対この世のものぢやないから!」といふ顔付きだつた。
写真だから怖いのであつて舞台を見てゐれば自然と流れていくのでそんなことはなかつたのかもしれない。
とはいつても歌右衛門の玉手御前は怖かつた。
花道から出てきて戸の前にたどりつくまでの幽鬼のやうな風情や、「かかさん、かかさん、ここ開けて」の黄泉の国からやつてきたかの如き声音がいまでも忘れられない。

異形のもの。
ふたりともそんな感じだつた。

この本には、実際に芝居を見るやうになると「え、この人、ほんとにこんな役やつたの?」といふやうな役の写真が出てゐたりもする。
福助だつたころの梅玉のお嬢吉三とかね。きれいですてきだけれど、つひぞ見たことがない。見てみたかつたなあ。
見てみたかつたといへば、菊五郎と孝夫時代の仁左衛門のおまんまの立ち回りの写真もあつた。
「岡崎」は二世鴈治郎と扇雀時代の藤十郎。
海老蔵時代の十二代目の團十郎の弁天小僧菊之助の写真もあつたなあ。
おそらく染五郎時代の白鸚の春永と吉右衛門の光秀の「馬盥」もあつた。
「河内山」の写真が羽左衛門だつたのもいまとなつてはちよつと意外だ。先代の白鸚とか十七世勘三郎とか、いくらでもありさうなものなのに。

それから忘れられないのが宗十郎・先代の時蔵・先代の錦之助が赤姫のこしらへでならんで写つてゐる写真。モノクロだつたけれど、これがきれいで可愛くてねえ。
どんな芝居だつたんだらうか。芝居ぢやなかつたんだらうか。楽屋で撮つた写真のやうでもあつたし。

こんな感じで実際に芝居を見る前から芝居や役者の名前は覚えてゐた。
それでいまでも頭でつかちなところが抜けないのかとも思ふ。

それにしても、この本、ほしかつたなあ。
古本屋に行けばいまでもあつたりするか知らん。
表紙を見ればそれとわかるとは思ふのだけれども。

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Tuesday, 19 June 2018

葛藤と妥協

時計は修理してもらふことにしたので、せつせとマクラメをつづけてゐる。
マクラメといはうか、手だけで組む丸四つだたみ、ね。

とはいへ、そんなにものすごく進展してゐないのは、やはり腱鞘炎だからだらうか。
リカちやんの服を編んでゐると書いたけれど、昨日は編めなかつた。腱鞘炎にかかつてゐる左手の中指が痛いからだ。
昨日も書いたとほり、ばね指のやうな現象は起きなくなつてゐるし、痛みもだいぶおさまつてきてゐるやうに思ふ。
でもまだ手を握るときに中指には力が入らない。
ムリに握らうとすると痛い。
できるだけ安静にしつつ、ときどき折り曲げて調子を見てゐるところだ。
ばね指は、腱鞘を広げるところからはじめないと、といふ話も聞いたのでね。

といふわけで、タティングではなにもしてゐない。
土曜日にエミーグランデを買ひに行つたときに、クロバーの紺色のシャトルを買つてしまつたくらゐか。
赤いのと紺色のと、このシャトルだけは買つたことがなかつた。
ものすごく久しぶりに手芸店に行つたので、目に付くものがなにもかもほしい気分になつてしまひ、一方で「家にあれだけあるぢやないか」と泣く千代に訴へる松王丸な気分にもなり、葛藤がものすごかつた。

結果、タティングレースに関するものは(エミーグランデでタティングするかもしれない可能性もないとはいへないけれど)、これまで買つたことのなかつたクロバーの紺色のシャトルを買ふことで妥協したのだつた。
妥協つて、「あれもほしいこれもほしい」と騒いでゐる自分と、だけどさ。

かぎ針編みがムリな状態ではタティングはもつとムリだ。
タティングの方が左手の中指をたくさん使ふものね。
テーピングで固定したらできるかな、とも思ふが、さうしたら糸とテープとが干渉しあふだらうし。
よくはなつてきてゐると思ふのでもう少し様子を見て、タティングレース再開はそれからかな。

それまでは、できる範囲で丸四つだたみだな。
時計もいつ返つてくるともしれないし。

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Monday, 18 June 2018

小さ過ぎる

腱鞘炎はあひかはらずだが、ばね指にはならなくなつたやうに思ふ。
夜寝るときだけテーピングをしてゐて、これがいいのかな、とも思ふ。
朝目が覚めたときにうつかり握つてしまつてばね指になつてしまつてゐたからだ。
なるべく使はないやうに、と思つてゐたのだが、日曜日にはこんなものを編んでゐた。

Experiments

リカちゃんのオールシーズンクローゼット」を参考にしながら、フード付きの上着を作らうと思つた。
それで土曜日に久しぶりに手芸屋に行つて、エミーグランデを買つてきたのだつた。

この本に掲載されてゐる上着はスフレや25番刺繍糸、モヘアなどを使つたものばかりで、エミーグランデで編んだものがない。
そこで長さだけ参考にしつつ、目数段数は探りながら編んでみた。
その結果がこれである。

Experiments

をかしいなあ。
はかりながら編んでゐたはずなのになあ。
どうも、くさり編みのあと細編みや長編みをしばらくすると短くなるんだな。
それをうつかり忘れてゐて、こんなことになつてしまつたのらしい。
ゲージはとりませう、といふことか。

Experiments

でもまあ仕組みはわかつたので、気を取りなほして新たに編み始めた。
失敗した方は、参考になるのでしばらくはこのままとつておくつもりである。

それにしても、リカちゃんはなにを着せてもらりぃであることよのう。

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Friday, 15 June 2018

それは鬱ですか

実のところあなたは鬱に悩まされてゐるわけではないのかもしれません。

そんな記事を読んだ。

記事の中では、鬱ではなくてacediaに悩まされてゐるのではないか、といふことだつた。
acedia は怠惰だとか無精、無感動や無関心、無気力と訳されるやうだ。
やる気を失ふと次第に生きることへの意欲も失はれていく、さらにやる気を失ひ、あとは負の連鎖だ。

日曜日、目が覚めてなにもする気がしない。
土曜日は出かけてゐたし、今日掃除や洗濯をしないともうする日がない。
わかつてゐるが起きあがれない。
なんとか起きあがつても、椅子に腰掛けてゐるだけでつらい。
本も読めなければあみものすらする気にならない。
なぜ自分はすべてのことに対してやる気がないのだらうか。
人間として、どうよ。
生きてゐる価値なんてあるのだらうか。
ダメダメぢやん。

結局、この日の不調は睡眠負債が山積みになつてゐる上に低気圧がきてゐたからだ、とあとから自分でもわかつたのだが。
わかつたからといつてなにも楽にはならないのだつた。
acediaといふのは、かくも強烈なものなのか。

acediaをなんとかするには、くり返し行ふことをはじめてみること、らしい。
やつがれの場合で云へば、部屋の片付けだらう。
日々くり返しやる必要のあることをくり返し行ふ。
それだけで違ふといふ。
記事では社会貢献や日記などをつけること、ヨガや運動などもあげられてゐる。

それにしても、だ。
平日は毎日出勤してゐるし、出勤後にすると決めてゐることはやつてゐる。
日記といふか Bullet Journal は日々つけてゐるし、毎日或は決まつた間隔で行ふことはそれなりにやつてゐるつもりなんだけどなあ。
それでもacediaに悩まされるのだらうか。
それともこれはacediaではないのだらうか。

常態が鬱寄りなので、鬱には悩まされるといふ感じはあんましないんだけどな。
やはりこれはacediaなのであらうか。

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Thursday, 14 June 2018

いまさらorenz nero

ORENZ NEROはずつと気になつてゐるシャープペンシルだつた。
シャープペンシルは使はなくなつて久しい。
いつのころからか、えんぴつを好んで使ふやうになつた。
それでなければ万年筆だ。
気になる理由は、その売れ行きだつた。
どこに行つてもない。
いつでも品切れだ。
そこで、どんなものだらうといふので、ORENZを買つてみた。

最近のシャープペンシルの芯の書き心地といつたら。
考へてみたら、高校生のころからシャープペンシルの芯はぺんてるのものを使ふことが多かつた。
たまにUni。そんな感じ。
しばらく使はないうちに、シャープペンシルといふのはこんなに書きやすいものになつてゐたのだなあ。
しみじみさう思つた。
なんていふのかな、それこそ「三日会はざれば刮目して相待すべし」といつたところだらうか。
シャープペンシルとの邂逅は、三日ぶりなんてなものではない。
まさに刮目して相待するしかない。
そんな感じだつた。

普通のORENZで満足したので、ORENZ NEROはもういいかな。
正直云つて、さう思つた。
相変はらず店頭では見かけないし、Webで検索をかけても売り切ればかりだし、これはもう手には入らないのだ。
さう思つてゐた。

出会つちやつたんだな、これが。

たまたま東京駅付近に用事があつたので、ぶらりと丸善丸の内店に立ち寄つたのが運の尽きであつた。
あるぢやないか。
ORENZ NERO。
あるにはあるけれど、0.2はもう残り一本だつた。
気がついたら会計の列に並んでゐた。

ORENZはすでに使つたことがあつたので、使用するのに戸惑ふことはなかつた。
ただ、最初に芯が見えるところまでノックするといふことは忘れてゐた。
そこはちやんと取扱説明書を見てゐたので問題なかつた。

ORENZとORENZ NEROとの違ひは、重さだらうか。
ORENZ NEROは書かうとしたときにずつしりとした重さがある。
重心は握るあたり、或はもつと先の方だらうか。
万年筆では尻軸の方に重心がある方が好きだが、書いてみるとシャープペンシルならこれも悪くない。
万年筆だと太めの軸が好きだが、えんぴつならこれくらゐだよね、といふ太さでもある。

芯は、これはもう、好き好きの問題で、ぺんてるの芯は好きだなあと思ふ。
なめらかな書き心地で、個人的にはRhodiaとの相性が抜群だと思つてゐる。すひつくような感触があつて、ずつと書いてゐたい気になるのだ。

なるほどねえ。
売れるわけだよね、ORENZ NERO。

マットブラックなところもいいし、お気に入りの一本がまたここに、といつたところだ。

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Wednesday, 13 June 2018

健康によいこと

世の中で「これは心身の健康にいいよ」と云はれてゐることで試してみたことのないことがいくつかある。

ひとつは瞑想だ。
瞑想は、米国の西海岸あたりからやつてきたのではあるまいかといふ偏見がある。
キリスト教に足りないものを他の宗教からもつてきて、それをちよつとアレンジしてみました。
最近流行つてゐる瞑想にはさういふイメージがある。

瞑想と近いと思つてゐるものに座禅がある。
やつがれの理解では、姿勢を正して座り心の中(頭の中でもいいが)を無にするもの、だ。
無の境地に至ることが重要で、それ以外に目的らしいものはない。

しかるに瞑想といふものは、瞑想をすることによつてなにか得をしやうといふ心根が見え隠れする。
それがどうにも賤しいものに感じられてならない。

なにを気取つてゐるのだ。
だれだつてなにかをすることで別のなにかを得やうとしてゐるぢやあないか。
おまへだつて例外ぢやあない。
さういふ声も聞こえてくるが、瞑想をあさましい気持ちで行ふのがどうにもしつくり来ない。

やつてみてやめたこともある。
早寝早起きがそれだ。
一時は朝五時とか五時半とかに起きるやうにして、出勤までのあひだにそれまで夜してゐたことをしやうとしてゐた。
うまくいくかと思はれたが、いかなかつた。
歌舞伎座の夜の部やソワレに行つて帰つてくる前に就寝時間がやつてくるからだ。
早寝早起きをはじめる前に睡眠不足を解消できてゐればそれでも問題なかつたのかもしれない。
睡眠不足のまま早寝早起きをはじめたのがよくなかつた。

柔軟体操はしたりしなかつたりだ。
一度のばし過ぎて腿の裏を痛めてしまひ、柔軟体操どころか普段の立ち居にも困るやうになつてしまつて、それ以来なかなかつづかない。
ただ、酒飲みのともだちや一緒に京都散策などをするともだちと、「お互ひいつまでも元気でゐやうね」などと語りあつてゐる手前、柔軟体操はやめられない。
ある程度年を取つたら筋力よりも柔軟性だといふ話も聞くしね。

かうしてみると、まづ一番になんとかしなければならないのは睡眠不足の解消、最近の流行りことばでいふと睡眠負債の返済だらう。
これがなかなかうまくいかない。

これもここに以前書いたやうに、日々の生活の記録をとるやうにしてゐる。
朝何時に起きて何時に家を出て、何時に出勤して何時に退勤し、何時に帰宅して何時に夕食をとり、その後なにをしたかを時刻を記録しながら就寝をむかへる。
最近はスマートフォンのアプリケーションにさういふ記録を取ることのできるものがあるので、比較的簡単にできるやうになつてゐる。

この記録を見返してみると、もう切り詰めるところがどこにもない。
とくに先月から職場が移転して、さらに通勤時間がかかるやうになつてしまつた。
仕方がないので最近は湯舟につかるのは週に何回かにして、あとはシャワーで済ませてゐる。下手すると一週間ずつとシャワーだけのこともある。
あと削るとしたら夕食の時間、ともここに以前書いた。
夕食をとらないことにすると、食べる時間だけでなく支度や後かたづけにとられる時間も浮くからだ。
そして、食べてゐないので早めに布団に入ることもできる。

こんな状況では瞑想をしやうにも使へる時間がない。
そんな時間があつたら寝るよ。

といふわけで、目下の急務は睡眠不足の解消、と、もう何年も思つてゐる。

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Tuesday, 12 June 2018

利き手ぢやないのに腱鞘炎

昨日医者に行つたら、左手の中指が腱鞘炎だと診断された。
実は三ヶ月ほどまへにおなじ病院に行つて、「左手の中指が痛いんですけど」と訴へたところ、その日の担当医に「その程度(の痛み)で病院へ?」と鼻で笑われて、そのままになつてゐた。
昨日はまた別の医者だつたのだが、塗り薬を処方するけれどこれが効かなかつたら痛い注射を三本打つ、それでもダメなら手術だと脅された。
「その程度で病院へ?」ぢやなかつたんかい!
夜はともかく朝起きてすぐなどはいはゆるばね指の症状が出ることもある。といふか、それを「ばね指」と呼ぶのだといふことを昨日もらつた腱鞘炎の説明パンフレットで知つた。
どうするんだよ、手術とかいふことになつたらよう。

しかし、左手である。
やつがれは右利きだ。
左手のしかも中指つてどういふことよ。
と思つて夕べ家に帰つてからかぎ針編みをしてみたところ、案外左手の中指を動かしてゐることに気がついた。
とはいへ、右手の比ではない。
なんなんだらうなあ。
思ひつくことといへば、電車の中で本を読むときに本を支へてゐるのは左手といふことと、マウスは左手で使つてゐるといふことくらゐかなあ。
そのマウスもそんなにしよつ中使ふわけではないしなあ。

左手はしばらく安静にしてゐないといけないのらしい。
かぎ針編みがダメといふことは、タティングレースもダメだらうな。
タティングレースの方が左手の中指を動かす印象がある。

ときどき、あみものかタティングレースか、あみものも棒針編みかかぎ針編みか、いづれかにしぼつた方がいいのではないかと思ふことがある。
どれもやるなんてムリ。
ムリではないけれど、時間が足りない。
どれかに注力した方がいいのぢやあるまいか。
さう思ひつつどれもやめられてはゐない。

タティングレースはなあ、お道具が可愛いからなあ。
タティングシャトルとか、手に乗せただけでもなんともらりぃだ。

いづれにしても、まづは指の痛みを癒すところから、かのぅ。

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Monday, 11 June 2018

心理的ブレーキ

あひかはらず、このまま編めなくなるのではないかと思ふくらゐ編めてゐない。

理由はわかつてゐる。
ひとつは疲れてゐるからだ。
先週は日曜から月曜にかけて福岡に行つてゐて、その疲れのとれぬままに日々働き、土曜日は落語会に行つて、昨日の日曜日にはおそらくは低気圧からくる不調に負けてしまつた。
その前の週からずつと疲れは引きずつたままだしね。

もうひとつの理由は、編みかけがふたつあるからだ。
編みかけで、どちらももうすぐ編み終はる。
編み終はつたら仕上げをしなければならない。
仕上げる気力がどうにもわかない、といふ話は先日も書いたとほりだ。

編んでゐる最中のものがあるのだから、新たなものを編み始めてはならない。
さういふ心理的なブレーキがきいてゐる。

以前は、気にせず編み始めてしまつたこともあつた。
さうしていづれも仕上がらないなんてなことも日常茶飯事だつた。
その轍を踏んではならない。
さういふ思ひもあるのだらう。
といふか、ある。

解決策は、ふたつほど考へられる。
ひとつは、かまはずに新たなものを編み始めることだ。
今度編むものは着るものになる予定なので、いづれにしてもゲージをとる必要がある。
ゲージを編むといふ名目で、新たに編み始めるといふのも手だ。

もうひとつは、しかかり中のものを最低でも編み終へてしまふことだ。
とりあへず編んでしまへばあとの仕上げは時間のあるときで、といふことになる。
編む必要はないのだから、新たなものを編み始めてもかまはない。

後者が理想的ではある。
といふわけで、今夜にでも「探偵物語」でも見ながらかぎ針編みのショールを編み上げてしまはうかな。

と、書いておけばするだらう。多分。

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