Thursday, 19 January 2017

その後のナガサワオリジナル マルチペンケース

ナガサワ文具センターオリジナルの7本差しマルチペンケースを使つてゐる。

以前、「分不相応なものを買つてしまつた」と嘆いたこともあつたけれど、案外便利に使つてゐる。
とりあへず、かばんに入るやうであれば持ち歩いてゐるしね。

かばんはル・ボナーのものをもつぱら使つてゐる。
ル・ボナーのかばんには、内ポケットの数が最小限であるものが多い。
今日持つてきてゐるタンク・トートなどもさうで、内ポケットとして片側にファスナーつき、反対側にファスナーのないポケットが二つあるだけだ。まちはない。
がばつと広いスペースにものを入れるといつた雰囲気のかばんで、これはこれで気に入つてゐる。

パパスもさうかな。
外にファスナーつきのポケットがあり、内側にはタンク・トートとおなじやうな感じでポケットがついてゐる。ファスナーのないポケットが二つにわかれてゐるところがタンク・トートとは違ふ。
あとは広いスペースに好きなやうにものを入れる。さういつた趣のショルダーバッグだ。

どちらかといふと小分けのできるポケットがたくさんあるかばんを好んできたが、ル・ボナーのかばんを使ふやうになつてポケットはなくてもなんとかなるのかな、と思ふやうになつた。

たとへばタンク・トートを使ふときはやはりル・ボナーのピッコロといふこぶりのセカンドバッグのやうなかばんをバッグ・イン・バッグとして使用してゐる。
ピッコロの中に財布などを入れて、タンク・トートに入れてゐるあひだはファスナーを開いて中のものを取り出しやすいやうにしてゐる。
これが案外いい感じなんだな。

マルチペンケースもとりはずしのできる内ポケットのやうな感じで使用してゐる。
タンク・トートやパパスに入れてゐるときは、なるべくペンケースは丸めない。できるだけ平たい状態で入れる。
そして、大きめのポケットにはiPhoneを入れるやうにしてゐる。
これまではファスナーのない内ポケットに入れてゐた。
よく取り出すものはほかのものとは一緒のポケットには入れないやうにしてゐる。
取り出したくないものも一緒に出てきてしまつたり、その結果うつかりなくす可能性があつたりするからだ。

マルチペンケースの大きめのポケットはiPhoneだけ入れるといふ用途にばつちりなところが気に入つてゐる。

以前は「七人の侍」ならぬ「七本のペン」について書いた。
現在のところ、マルチペンケースの中身は写真のとほりの布陣になつてゐる。

ナガサワ文具センターオリジナルマルチペンケースとその中身

Moleskine を使つてゐるので、Moleskine でも使へるペン、それと、Bullet Journal 用にちよつと太めのペンや赤や明るい青などのインキを入れたペンを選んでゐる。
ふたつきの大きめのポケットにはFRISKとFRISKフォン。いつのまにかFRISKの方がPHSより大きくなつてゐてびつくりだ。

買つた直後は「失敗したかも」と落ち込んでゐたが、日々便利に使へてゐるので、これはこれでいい買物だつたのかな。
さう思ふことにしたい。

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Wednesday, 18 January 2017

世界を狭める引用好き

先週の水曜日、新文芸坐で「ああ爆弾」を見た。

「ああ爆弾」は岡本喜八監督作品で、1964年の映画だ。
Wikipedia によると「ジャズからロック、浪曲に狂言、果ては題目までを駆使した和製ミュージカル映画である。」とある。

ほかにも、「猫の首に鈴をつけ」たあと能の「安宅」の最後の部分が流れるし、主人公・大名大作(伊藤雄之助)が「南無阿弥陀仏」、その妻・梅子(越路吹雪)が題目である「南無妙法蓮華経」と唱へつづけるうちに互いの唱へてゐるものが入れ替はるのは歌舞伎の「連獅子」だ。
大作が引つ込むときにお囃子めいたものが流れるのは噺家が高座を降りるときの感じに似てゐるし、義太夫もあつたやうに思ふ。

なんか、いろいろてんこ盛りな映画だつた。
引用とパロディとがわんさと詰め込まれてゐる。

かういふ作品に弱い。
考へてみれば、歌舞伎が好きなのも、とくにいはゆる「古典」といはれる作品が好きなのも、えうはそこだ。

「実盛物語」は、斎藤実盛が白髪を黒く染めてゐたといふ話と、手孕村のいはれとをうまく一緒にして作つた話だ。

「盟三五大切」は「仮名手本忠臣蔵」の世界に「五大力恋緘」をもつてきたといふ趣向。

「法界坊」の外題は「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」。
つまり隅田川もののひとつで、だから吉田家の若君とかが出てくる。

さういふ、「ああ、これ、知つてる」とか「さうきたか」といふのが芝居見物のひとつの醍醐味だと思ふんだよなあ。

最近だと、PNSPこと「ペンヌリサンポーサンポーペン」などは「ああ爆弾」における狂言がかりの部分と似たやうなものだと思つてゐる。
恥づかしながら、PPAPを見たことがないのだが、それでもPNSPがもともと芝居の中にあつたものではない、なにかを引用したものであることはわかる。

なんでこんな引用だらけのものが好きなのか。
だいたい、「この部分はかくかくしかじかのものからの引用である」つて、知らなきやわからないぢやない。
「ああ爆弾」にしても歌舞伎にしても、引用元を知らないものはたくさんある。
そもそも引用してゐることを知らないものが山とある。
知らないといふことは、それが引用であるかどうかはわからない。
わからなかつたら「好き」とはいへないやね。

つまり、自分は自分の知つてゐる極めて狭い範囲のものごとが引用されてゐるものが好きなのだ。
すなはち、好きなものが至極限られてゐるといふことだ。
自分の世界を狭めてゐるのである。

まあ、楽しいからいいけどね。

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Tuesday, 17 January 2017

大きいものをひとつか小さいものをいくつかか

タティングレースは九枚目のモチーフを再度作りなほした。

Masquerade

現在は写真のやうな感じである。
今週中には九枚つながるであらう。

これまでは、Masquerade (Mary Konior の Tatting with Visual Patterns といふ本に掲載されてゐるモチーフ) をつないで3×3のこの形になるとなんだか満足してしまひ、完成といふことにしてゐた。
今回は違ふ。
今回は、Lisbeth #40 一玉を使つて何枚 Masquerade が作れるかを確認するのが目的だ。
ここでやめるわけにはいかない。

だが待てよ。
別になにか大きいものを作る必要はないんぢやあるまいか。
3×3のドイリーのやうなものはそれとして完成品とし、残りの糸でまた Masquerade をつないだものを作ればいいのではないだらうか。

さういふ考へ方もあるなあ。

問題は、残りの糸で3×3のドイリーもどきを作れるかどうか不明だといふことだ。
3×3でなくてもいいのかもしれないけどね。
2×2でもいいかもしれない。
2×3だつて悪かない。

さう思ひつつ、これまで3×3を超えるサイズのものを作つたことがないので作つてみたい気もしてゐる。
使ひ道はない。
3×3にしたつて使ひ道はないのはおなじだ。
使ひ道のない大きいものをひとつ作るか、小さいものをいくつか作るかの違ひだ。

うーん、ここはやはり初志貫徹でいくかな。
初志、といふやうな大げさなことはないけれども。

別にちよこちよこと作つてゐる Chinese Coin Bookmark は、一カ所つなぎわすれてゐるところを見つけてちよつとショックを受けてゐる。
あとで昔ながらの方法でつなげばいいかな。
さう思つて、気にせず先を続けてゐる。
あんまし進んではゐないけれどね。

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Monday, 16 January 2017

寒すぎる

指無し手袋は片方の手の親指を編んでゐる。

Fingerless Mitts in Progress

ゴム編み止めをすればできあがり、といふところで止まつてゐる。
二目ゴム編み止めはすでに四本の指を通す部分で使つたので、できないわけぢやない。
ではなぜ止まつてゐるのかといふと、有り体に云つて、寒いからだな。
手先が冷える。
手先が冷えるから指無し手袋を編みはじめたのに、それが理由で進まないといふのは本末転倒といふかなにかが違ふ気がする。

でも、あみものつてさういふものなんだらう。
セーターは、本格的に寒くなる前に編みはじめるものだ。
完成にかかる時間を割り出して、寒くなつたら着られるやう考へて編みはじめる必要がある。

ただ、あまり早い時期にはじめるとまだ暑かったりして編み気を損ねることがある。
また予想外に暖冬だつたりするとこれまた編み気に影響する。

いままではさう思つてゐたんだけれど、寒すぎるといふのもダメなんだな。

羽織も滞つてゐるし、このままだと春が来てしまふ。
羽織は次の冬に持ち越しかなあ。

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Friday, 13 January 2017

演目が好きなのか役者が好きなのか

長いこと、「河庄」や「雁のたより」などは好きな芝居だと思つてゐた。
実際好きだつたし、かかると聞けばうれしい演目だつた。

どうやら「河庄」や「雁のたより」が好きなわけではないらしい、といふことに気がついたのはわりと最近のことである。

「河庄」自体が好きだつたわけではない。
中村鴈治郎(三代目。以下「3」)が紙屋治兵衛を演じるときの「河庄」が好きだつたのだ。
「雁のたより」も同様で、鴈治郎(3)の三二五郎七で見る「雁のたより」が好きだつた。
ほかの役者で見る「河庄」や「雁のたより」は別段好きでもなんでもない、むしろあまり好みではない方なのらしい。

さういへば、鴈治郎(3)襲名のあとだつたらうか、歌舞伎を通じて知り合つた人に「あなた、鴈治郎(3)のこと好きだものね」と云はれてびつくりしたことがある。
そ、そーかなあ。
考へたこともなかつた。
いま思へば、そのとほりだつたのかもしれない。
すくなくとも当時は。

政岡とかも好きだつたし、四月に中村吉右衛門の内蔵助の「南部坂雪の別れ」で見た瑤泉院も「四月に「南部坂雪の別れ」かよ」と見る前は思つてゐたものの、見たらものすごくよかつたし。
「時雨の炬燵」もよかつたなあ。片岡秀太郎のおさんで。
「雁のたより」のお玉どんも秀太郎だつたか。
「二月堂」の渚の方も忘れられない。
定高とかね。よかつたよねー。
「吉田屋」の伊左衛門も、鴈治郎(3)に限る。
それくらゐに思つてゐた。

そんな鴈治郎(3)だつたが、山城屋を襲名する少し前からなんとなく以前ほど好きではない気がしてゐた。
芝居が長いのである。
くどい、といつてもいい。
最初にさう思つたのが葛の葉だつた。
や、もういいから、先に行かうぜ。
見てゐてさう思つた。

さういふ時期が続いて、でも歌舞伎座のさよなら公演の「藤娘」なんてのは実にすばらしくて、たぶん、そのあたりからまたちよつと「いいかも」と思ふやうになつたやうに思ふ。
三年前の九段目の戸無瀬とか、大絶賛してたしね、当時のやつがれは。

でも、ぢやあ、山城屋が好きか、と訊かれると、やつぱり別段好きぢやあないんだよな。

なんなんだらう。
演目と役者との組み合はせ、相性、さういつたものなのかもしれないな。

「義賢最期」も好きだと思つてゐたけれど、やつがれの好きな「義賢最期」は、「中二病」といはれるだらうことを覚悟でいへば、「滅びの美学」とか「敗者の覚悟」が感じられる芝居であつて、派手な立ち回りは添へものに過ぎない。
凄惨な敗者の最期を演出するもの、または敗者の云々などを解さない客向けのサーヴィスが、戸襖倒しであつたり仏倒しであつたりするのだ、と思つてゐる。
「義賢最期」を「立ち回りがすばらしい」と誉める人が多いときは、「あ、なんか違ふ芝居なんだな」と思ふやうになつた。
どうやら成長したのらしい。

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Thursday, 12 January 2017

箇条書きあれこれ

書くことに時間が割けてゐない。

読んだ本や見てきた芝居、映画、落語のことを書くのが精一杯で、それ以外のことがほとんど書けてゐない。
歌舞伎は通常三幕くらゐある。
落語はこれまた最低でも三つくらゐは噺をする。
映画は名画座系に行くと二つ見ることもある。
逐一書いてゐると、それだけで終はつてしまふ。

なにかもつとかんたんに書ける方法がないかと思つたのも Bullet Journal をはじめた理由のひとつだつた。
Bullet Journal は Rapid Logging を標榜するものだ。
素早く即座に記録を残すために箇条書きを使用する。

Instagram や Pinterest で見るかぎり、Bullet Journal を用ゐてゐる人々のうち、Rapid Logging に重点をおいてゐる人はそんなにゐないやうな気がするけどね。
写真に残すせゐかもしれないけれど、Rapid であるよりは Neat であれ、みたやうな感じがする。
デコラティヴな文字で書き込んでみたり、きれいに色分けしてみたり、見た目に楽しいものが多いからだ。

見た目は重要だ。
ぱつと見てわかるやうに書くことは大切なことである。
とくにあとで見返す可能性の高い手帳の場合はさうだ。

しかし、見返すにはまづ記録を残さなければならない。
それには上記 Bullet Journal の Webページで紹介されてゐるやうな極々シンプルな書き方の方がむいてゐる。

そんなわけで、去年の二月に Bullet Journal をはじめたときには芝居などの感想もすべて箇条書きで書いてゐた。

箇条書きのいいところは、一文一内容にしやすいことだ。
達意の文章を書くには「一文一内容」ははづせない、とものの本にはある。
だらだらと長く書くよりも、一文には内要はひとつにして書いた方がわかりやすくなる。
まれに、前後関係や因果関係があつてつないだ方がわかりやすくなる文もある。
でもそれだつたら箇条書きにして順番を振ればいいんぢやあるまいか。

ほかに箇条書きのいいところといふと、書き忘れたときに追記しやすい、といふことがある。
Aといふ内容のことを書いて、Bといふ内容のことを書く。
その後でAとBとのあひだには実はCがあつたことが判明したとする。
通常の文章だと、AとBとのあひだにCを入れるやうな工夫するだらう。
いまだつたら付箋でも貼るかな。
箇条書きだつたら、AとBとのあひだに「何ページ目に追記あり」みたやうなことだけ書いておいて、別のページにCを書いてもいい。Cのところにも「別のページのAとBとのあひだに入る」みたやうなことを書いておく。
Bullet Journal の手法を借りるなら、記号を決めておけば、ダラダラと文章で「別ページのどこ参照」などと書く必要はない。
普通の文章でもおなじことはできる。
箇条書きだと一文が短いので、入れやすいのだ。

箇条書きはとてもいい。
でも、なんとなくやつがれには向かなかつたんだな。
なんでもかんでも箇条書きといふわけにはいかなかつた。
箇条書きのみにして以降、だんだん記録をとらなくなつてしまつた。
箇条書きだけが問題とは限らない。
当時ひさしぶりにシステム手帳を使ふやうになつて、まだ書くのになれてゐなかつたのかもしれない。
それで、綴じ手帳を「なんでも書く手帳」として使ふやうにして、システム手帳は基本的にはスケジュール管理のみにしたのだつた

ほんたうは最初に箇条書きであるていど書き出しておいて、そこから文章を組み立てた方がいいやうな気はしてゐる。
Bullet Journal をはじめたばかりのころは、さう考へてゐた。
でも清書をしてゐる時間がない。
おなじことを二度書くくらゐだつたら、いま書きたい別のことを書きたい。

これまたほんたうは清書はした方がいいんだけどね。
Bullet Journal なり「なんでも書く手帳」なりにとりあへず書き留めたことを、別のノートにあらためて書いたらいいのにな、とは思つてゐる。
そのために使へさうなノートもある。
でもいまはその時間がないんだよなあ。
「なんでも書く手帳」に書いてゐる時間だつていまなかなかとれないんだからさ。
無駄に過ごしてゐる時間をなんとかすればいいのかもしれないが。
それができたら苦労してゐないわけで。

その無駄な時間を有意義に過ごすために、スライド手帳なり Bullet Journal を使ふといいと、これまた思つてはゐる。
思はないよりいい。
さう思ふことにもしてゐる。

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Wednesday, 11 January 2017

チケットの半券を貼り込む

現在「なんでも書く手帳」には Moleskine のポケットサイズ無地を使用してゐる。

Moleskine だと、芝居や映画の感想などを書いたページにチケットの半券を貼り込みやすい。
Smythson の Panama だと躊躇してしまふんだよなあ、半券の貼り込み。

最初に半券の貼り込みをはじめたのは、二年前にトラベラーズノートを使用してゐたときのことだ。
展覧会や講演会でもらふ資料がA4サイズやA3サイズで、これを三つ折りにしたらトラベラーズノートに貼り込めるのではないか。
さう思つてやつてみたら、ことのほかよかつた。
情報の一元化だ。
さう思つたからだ。
そんなわけで、チケットの半券も一緒に貼つてみた。

もともとは、トラベラーズノートのクラフト用紙をスクラップブック代はりに使用してゐた。
でも長くは続かなかつた。
芝居や映画、展覧会のあとだけ取り出してきて貼り込むといふ作業が、やつがれにはむかなかつたからだ。

常用し持ち歩いてゐる手帳に貼るのが自分にはむいてゐる。
一昨年、さう思つた。

当時はトラベラーズノートを使つてゐたんだから、普通のノート(方眼罫を使用してゐた)と一緒にクラフト用紙のノートもはさんでおけばよかつたんだとは思ふ。
でも、かばんの小さいときはカヴァをはづして使つてゐたからやつぱりダメかな。

その後は、神戸手帳などはカヴァの見返しに袋がついてゐるのでそこに半券を入れておいたり、Panama の場合は使ひきつたときにその手帳を使用してゐる最中の半券をはさんだりとかしてゐる。
Moleskine のときはページに貼り込む。
残念ながら、展覧会や講演会でもらふやうな資料やチラシは貼り込めないので、「またトラベラーズノートに戻らうかな」と思ふこともある。

ところで、現在スケジュール管理にはバイブルサイズのシステム手帳を使用してゐる。
ここに貼り込むことはできないだらうか、といふのがもつかの検討事項だ。

システム手帳は可能な限り薄くしたいと思つてゐる。
過去にリフィルを詰め込みすぎて結局使へなくなつたことがあるからだ。
いまは月間予定表とスライド手帳、方眼用紙のリフィルのみをはさんでゐる。
これが快適だ。
方眼用紙は LIFE の NOBLE REFIL を使用してゐて、これの表紙がちよつとした下敷き代はりになるのもいい。

といふことを考へると、やはりシステム手帳には半券などは貼り込めないかなあ。

半券などを貼り込むと、ページをぱらぱらめくるといふことかができなくなる。
これがいまのところ唯一の問題点だ。
手帳が分厚くなることは、あまり問題とは思つてゐない。
Moleskine だからゴムのバンドがあるしね。
トラベラーズノートでもそれは同様だ。
情報の一元化といふ意味ではとてもいいんだけれどねえ。

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Tuesday, 10 January 2017

あさましき Tatter

大変ショックなことである。
タティングレースのモチーフをつなぎ間違へてしまつたのだつた。

間違へたところまでほどくのにかかる時間を考へた結果、「切らう」といふことに決めた。
人生は間違へたタティングのスティッチをほどくには短い。

だが、気落ちしてしまつたことは確かである。

時間もきてしまつたので、切るのも新たなモチーフを作るのもまた今度だ。

タティングレースは、基本的には職場で昼休みのあまつた時間にしてゐるのみなので、この年末年始はまつたくといつていいほど進んでゐない。

Chinese Coin Bookmark も、まだコインの半分をつなげてゐる最中だ。
作り方に掲載されてゐる写真ではコインを三枚作つてゐるけれど、五枚くらゐは作りたいと思つてゐる。
それとも三枚でやめておくべきか。
悩むところではある。

なぜ悩むのか。
Chinese Coin Bookmark はシャトルを二つ用ゐる。
作り始めはシャトルとシャトルとの糸がつながつてゐるので、糸をつなぐ必要がない。

これはシャトルと糸玉とで作る場合も同様だ。
シャトルの糸と糸玉の糸とがつながつてゐる状態から始めるのが一番楽だ。

めんどくさがり過ぎるかなあ。
過ぎるかもしれないなあ。

あみものでも、「糸端の始末まで含めてあみものだと思つてゐるから、全然苦にならない」、といふ人がゐる。
あみものもさうだし、タティングもさうだらう。
糸端の始末まで含めてタティング。
いや、整形するところまで含めてタティング。
さうでなければものは完成しない。

Chinese Coin Bookmark でコイン型のモチーフを五枚つなげやうと思つてゐる所以は、せつかく楽に作り始めることができたのだから、それを存分に享受したいから、だ。
我ながらあさましいことだ。

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Monday, 09 January 2017

指無し手袋を編む

指無し手袋が必要だ。

以前も書いたやうに、現在の職場は異様に冷える。
休み明けのせゐかもしれないけれど、先週はことに冷えた。
なにしろ、いつも暑がりで冬でも冷房をつけてゐた社員が「寒い」といつて上着を着るありさまである。

すでにある指無し手袋を使へばいいのだが。
実は指無し手袋つてあんまし編んだことがないのだつた。
現在はめてゐる Regia Silk-4Ply で編んだ Serpentine Mitts ぐらゐかなあ。
Rowan の Big Wool で編んだ、並の指有り手袋よりもあたたかいものもあるけれど、これはごつくて仕事をするときには向かない。
リストウォーマはいくつか編んだけれど、できれば親指を出すところがほしいんだよね。

そもそも手袋をあんまり編んだことがない。
指を編み出すのが面倒くさいからだ。
指自体はいいんだけれど、糸端の始末が、ね。めんどくさい。

くつ下はずいぶんと編んだしこの後もまだまだ編むつもりでゐる。
くつ下は糸端があまり出ないからだらうなあ。
なにしろトルコの人はくつ下を編んでも糸端はそのままにしてフェルト化するにまかせるといふ話もあるくらゐだ。
編み込みにしたら話は別だらうけど、編み込みのくつ下もほとんど編んだことがないしな。

手袋の方がくつ下よりいいのにね。
なにがいいといつて、「編んだんだー」と見せびらかせるではないか。
足を突き出して「編んだんだー」といふのはなんだかあまり様子がよくない。
手袋なら、顔の前にでも手を掲げて「編んだんだー」ができる。

そんなわけで、一時手袋を編まうと思つた時期がある。
実際はそんなに編まなかつた。
手袋つて、一対あれば事足りるんだよね。
色とか柄とかいろいろと考へて編めばいいのかもしれないけれど。
それに、上に書いたやうに糸端の問題もある。

しかし、ここに編む理由が生まれた。
寒い。
冷える。
手先をなんとかしなければ。

まづ毛糸を探してきた。
あると思つてゐた Jaeger の Matchmaker Merino 4Ply がない。
4Ply ではなくて DK だつたのだ。
ああー、なんといふことでせう。

考へて、なけなしの Matchmaker Merino 4Ply の中から紫色の最後の二玉をひつぱりだして来た。

For Fingerless Mitts

そして、結局 Matchmaker DK の深緑色で編みはじめた、と。

For Fingerless Mitts

編みはじめて思つたことは、仕事をするときにはめるのなら 4Ply で編んだものの方がいいかもしれないなあ、といふことだつた。
DK で編むと地が厚すぎる気がする。
まだできてないけど。

今回、久しぶりにマジックループで編んでみた。
といふのは、外出先でも編みたいと思つたからだ。
ほんたうは4本とか5本の針で編むのが好きなんだけどもね。
先端恐怖症の人もゐるだらうし、それに輪針の方がなくしづらい。

家で落ち着いてゐるときには袖無し羽織を編んで、外では指無し手袋を編む。
完璧ぢやあないか。

まあ、実際はそんなに完璧でもないのだけれどもね。

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Friday, 06 January 2017

規則正しい生活から落ちこぼれる

この年末年始の休みも「夜はその日のうちに布団に入り、朝は目が覚めて日が昇つてゐたら起きる」を励行した。

休みの日がつづくときにかういふきまりにしてからたぶん三年くらゐたつ。
年末年始の休みと五月の連休、うまく休みがつづくやうなら九月の連休にも適用してゐる。

なぜこんなきまりを作つたのか。
休み明けに出勤しづらくならないやうに、といふのが一番の理由だ。
休み明けに出勤しづらいのはなぜか。
それまで寝たいときに寝て起きねばならなくなつたときに起きるやうな生活をしてきたところ、いきなり決まつた時間に起きなければならなくなることに躯がついていかないのぢやあるまいか。
さう考へたのである。

もうひとつの理由は、睡眠時間の確保にある。
ほんたうは朝はもうちよつと早く起きた方がいいと思ひつつ、睡眠時間を十分取るために「日が昇つてゐたら」といふ条件をつけてゐる。
五月や九月だとわりと早い時間に夜が明けるのであまり眠れないこともあるが、正月休みには有効だ。

休みのあひだも規則正しい生活を送る。
休みのあひだこそ、規則正しい生活を送る。
これで体調などもよくなるはずだつた。
すくなくとも普通だな、と思ふくらゐにはなるはずだつた。

しかしダメだつた。
正月休みの最終日、目が覚めて最初に思つたことは、「やつがれに必要だつたのは規則正しい生活ぢやあない。目が覚めてからもごろごろと布団の中で過ごすことだつたのだ」といふことに突如気がついた。
気がついたときは遅かつた。
この日は出かける日だつたからだ。
布団の中でごろごろしてゐるわけにはいかない。

おそらく、規則正しい生活を送る前に睡眠不足を解消するべきだつたんだらうな、と、いまでは思ふ。
それを解消せずに規則正しい生活を送らうとしたものだから、睡眠不足のまま休みを過ごすことになつてしまつたのだらう。

と、無理やり理屈をつけてはみたものの。
さうぢやないんぢやないかな。
単に、自堕落なだけなのではあるまいか。
規則正しい生活のできない、なまけものだからなのではあるまいか。
その証拠に三連休はずるずると就寝時間が遅くなつてしまつたしね。
でも出かける予定があつたりして、朝はきちんと起きてはゐたけれど。

そんなわけで、なんとなく不完全燃焼な感じの新年を迎へてゐる。
やれやれ。

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