Wednesday, 16 August 2017

筆文様の水玉罫

バイブルサイズのシステム手帳ようリフィルである筆文様の水玉罫を使ひはじめた。

筆文様のリフィルについては以前もちよこつと書いた
水玉罫の使ひ方については迷つてゐた。
店頭で使用例をいくつか見ることができたし、筆文様のWebサイトでも使用例が紹介されてゐる。
だから使い道に困ることはないだらうと思つて買つたものの、使ひあぐねることほぼ一ヶ月。

ふと思ひたつて、ぼんやりと頭に浮かんだことばを書き付けてみた。

筆文様

メモは役に立たないと書いてゐたのは森博嗣だつたらうか。
断片的な文は、あとで見ても役に立たないといふやうな内容だつたと思ふ。
一言メモのやうなものを残すくらゐだつたら、ある程度まとまつた文章を書いておく方がいい、と。

自分もノートになにか書くときは、たいていは一ページ丸々使って書き留めるたちだ。
一ページといつても、Moleskine のポケットサイズていどだから大した量にはならない。
大した量にはならないが、一行だけのメモよりはあとで見たときに役に立つ。
ずつとさう思つてきたけれど、でも、ちよつとだけ書きたいと思ふこともあるのだつた。
そこで、筆文様の水玉罫にちよこつと書きつけてみたといふわけだ。

Bullet Journal からシステム手帳にうつつてきたこともあつて、いまのところシステム手帳を綴じ手帳とおなじやうに使つてゐる。
リフィルの各ページにページ数を打てば、毎ページ全然違つた内容を書いてもかまはない。
Bullet Journal は Index Page が肝になるので、それで十分なのだ。

しかし、使つてゐるのはシステム手帳である。
もつと自由にページを展開してもいいのではないか。

今年はもうこのまま綴じ手帳のやうにシステム手帳を使つていくつもりだが、来年からは予定用のページと見た芝居や読んだ本などの感想メモのページとはわけやうと思つてゐる。

この水玉罫のリフィルは Bullet Journal の中に組み込んでしまつたけれど、これだけはづしてずつとシステム手帳にはさんでおくのもいいな。

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Tuesday, 15 August 2017

予備のシャトルを持ち歩く

予備のタティングシャトルを持ち歩いてゐる。

予備の、といふとをかしいか。
糸を巻いてあつて、なにかを作り始めることのできる状態にしたシャトルをがま口にしのばせてゐる。
さうして、なんだか手持ち無沙汰になつたときにタティングをする。
読書家が出かけるときにいま読んでゐる本を読み終はつたとき用に予備の本をも持ち歩いてゐるのと似たやうな状態かと思ふ。

それで「予備の」と書いたわけだが、「予備のタティングシャトル」といふと糸を巻いてゐないものを連想するかもしれないな、とも思ふ。
いま使つてゐるシャトルの糸が不意になくなつて、さういふときにぱつと糸を巻いて使へるシャトルを予備のシャトルといふのではあるまいか、とね。

出かけるのが苦手なのは、かういふところにあらはれるのかもしれないな。
とにかく出かけるのが苦手である。
徒歩三分と離れてゐないコンヴィニエンスストアに行くにも躊躇する。
ゆゑに無駄遣ひしなくて済んでゐる面があることも確かなんだけれどもね。

出かけたときに困るのは、なにもすることのない状態である。
車中はいい。
ぼんやりと車窓から外を眺めてゐるうちに目的地についてゐたりするからだ。
飯田に行くときがさうである。
ぼんやりと窓の外を流れていく山々や空、雲などを眺めてゐるうちに飯田に着く。
その間、眠つてしまふこともある。
それはそれでいい。
あまり時間の無駄をしたとも思はない。

問題は、待ち合はせの場所に早めについてしまつたときなどだ。
芝居や映画の開演時間までのあひだなども同様である。
最近ではスマートフォンを眺めるといふ手もある。
文庫本かKindleを大抵持ち歩いてもゐる。
さはさりながら、かういふときはタティングシャトルの出番だつたりもする。

また、車中でぼんやり車窓を眺めてゐるときなども、手はタティングをするといふのはありだ。

なんでこんなに手持ち無沙汰なことを厭ふのか。
もつとなにもせずにぼんやりできるやうになりたいものだ。

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Monday, 14 August 2017

パピーのピマデニムで Helix Scarf

パピーのピマデニムで編んでゐた Helix Scarf を編み終はつた。

Helix Scarf

ピマデニムの編み地は一見ごわごわして見えるが、触つてみるとやはらかい。
毛糸はチクチクして苦手だといふ人や羊毛アレルギーの人には綿の糸がいいんぢやあるまいか。
綿の糸で編んだものつて、結構一年中使へるし。真夏はものによつてはムリかと思ふが、この Helix Scarf は真夏でも冷房除けにはいいと思ふ。

ところで、次に編むものが決まらない。
編みたいものはある。
「毛糸だま」に掲載されてゐるやうなアラン模様のものを編んでみたいと思ふし、ショールも編んでみたい。
この秋冬に使ふつもりなら、いまはじめても早すぎるといふことはない。
問題は、編んでゐて暑いといふことだな。

半端にあまつた毛糸をあつめてきてネックウォーマでも編むかなあ。
それとも暑いあひだは家でもタティングレースをするか。
はたまたずーつとやりたいと思ひつつできてゐないマクラメをするか。

と、悩んでゐるうちに涼しくなつたりしないだらうか。
しないよなあ。

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Friday, 11 August 2017

山には行かぬそんな日に

夏の朝、マーラーの交響曲第五番を聞いてゐる。
先日とあるblogのエントリで「マーラーのどの曲が好きでどの演奏が好きか」といふのを読んだ。
そんなに長くはない記事で、かなり一生懸命に読んでしまつた。

さうか。
マーラー、好きだつたのか。

好きといつてもシノーポリの交響曲全集を持つてゐたことがあるくらゐでそれ以外はポツポツとしかCDは持つてゐないし、演奏会も第六番は何度か聞きに行つてゐるけれど聞いたことのない曲もある。
この一年くらゐはまつたく聞いてゐなかつた。

と、云ひ訳をするくらゐ好きなのらしい。

今朝、ふと今年の一月ごろ使つてゐた手帳をぱらぱらとめくつてみた。
「好きなことをすると疲れる」などと書いてあつたりする。
「好きなことをするとうしろめたい気分になる」とも。

そんなことをするくらゐなら、部屋の片付けをしろよ、みたやうな、ね。
ほかにするべきこと、しなければならないことがいくらもあるだらう。
お金と時間との無駄遣ひだ。

好きなことに対する障壁は巨大だ。
結構もろいものではあるけれど。

「人形劇三国志」のエンディングテーマにこんなくだりがある。

好きなら好きといえない心に人はいつも苦しむの
これを聞いて、「世の中さういふものだよな」と思ふこともある。
でもさうでもないと思ふこともある。
Twitter の TimeLine などを眺めてゐると、誰がなにが好きか如実にわかることがある。
もしかしたら、それはなにかのカムフラージュなのかもしれない。
ほんたうに好きなものはほかにあつて、それを隠すために別なものを好きと公言してゐるのかもしれない。
さう思ふこともある。
なんでそんな無駄にチャフをばらまくやうなことをしなければならないのか。

「好きなものごとを知られることは弱みを握られることと同義だ」と思つてゐるから、だらうな。
この話を書くときに必ず引き合ひに出す大和和紀の「KILLA」といふまんがにさういふくだりがある。
主人公は周囲の人々を次々と裏切つて大企業の社長になる。そして同業他社で業界一の社の総帥である実の父親と争ふ。
主人公には心を許せる相手がゐない。
唯一、こどものころからつきあつてゐる盲目のチェスプレイヤ以外には。
敵は主人公の弱点はそのチェスプレイヤであることに気づき、危害を加へやうとする。
主人公も敵の弱点はひとり娘であると見て、血を分けた妹であるその女の人と対峙したりする。

弱みを握られて強請られたり犯罪に加担させられたりしたら困るとは思ふ。
しかし、だ。
「きみはほんたうはマーラーが好きなんだらう? 知つてゐるよ。バラされたくなかつたら一千万円をいまから指定する駅のロッカーに入れてもらはうか」
などといふことがありうるだらうか。
かりにあつたとして、マーラーが好きだといふことが世間に知られて困ることがあるだらうか。
ナチス政権下のドイツだつたらいざ知らず。

と、これはもう一度IHIステージアラウンド東京で「髑髏城の七人」の鳥ステージを見に行くための云ひ訳だつたりはする。
なんで好きだといふことはかくもめんどくさいのか。
めんどくさいのはやつがれだけか。

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Thursday, 10 August 2017

対句と娯楽性

先日、池袋の新文芸坐で「激動の昭和史 沖縄決戦(以下「沖縄決戦」)を見てきた。
その後、Twitter でおもしろいつぶやきを見かけた。

https://twitter.com/TOKYOMEGAFORCE/status/894608388193001472

ギャルゲーかあ。
ところも池袋である。
駅にはいはゆる「乙女ゲーム(「ギャルゲー」といふことばは苦手なのでここではこれでゆきたい)」のポスターが何枚も貼られてゐる。

先日、おなじく新文芸坐で「ゴジラ」を見たときに「これ、そのまま宝塚歌劇団で舞台になるぢやん」と思つたことは、間違つてゐなかつたのかもしれない。
このつぶやきを見てさう思つた。

「ゴジラ」を宝塚歌劇団で上演するとしたら、宝田明がトップ、平田昭彦が二番手、河内桃子が娘役だ。最近はあまり「三番手」とはいはないのかもしれないが、堺左千夫が三番手。
完璧ぢやあないか。
肝心のゴジラは、舞台で表現するなら音響とシルエットとで登場させてはどうか。

「ゴジラ」を見て「宝塚」を連想した所以は、河内桃子の佇まひにある。
宝塚歌劇団の娘役を彷彿とさせるやうないでたち、立ち居振る舞ひなのだ。
さう思ふやつがれの脳裡にある「宝塚の娘役」はたぶんに古いタイプなのだらうとは思ふ。
でもああいふ清楚で可憐でしつかりしてゐて、くるりとふり返つたときのスカートの裾のふんわりとした動きとか、なんかもう「宝塚の娘役」なのだつた。

平田昭彦演じる芹沢博士なんか、二番手時代の一路真輝で見てみたかつたなー、とかさ。

「沖縄決戦」についていふと、人物の対比がおもしろい。
丹波哲郎と仲代達矢とがさうだし。
浜村純と神山繁ともさう。一緒には出ないけどね。
加山雄三と岸田森。
天本英世と滝口裕介。
酒井和歌子と丘ゆり子。
比べる相手が間違つてゐる?
それもあるかもしれないけれど、やつがれはさう受け取つてゐる。

「ゴジラ」も宝田明と平田昭彦、志村喬と平田昭彦、といふ対比で見ることもある。

かういふ「対句」な感じが重たい内容でもエンターテインメント性を感じさせる作品にしてゐるのではあるまいか。
古くは六条御息所と夕顔とかさ。

自分の中でまだうまくまとまつてゐないな。
もうちよつと考へてみん。

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Wednesday, 09 August 2017

映画の予告は直前過ぎて

ここのところまたちよこちよこと映画を見に行つてゐる。

先月末に「パワーレンジャー」と「シン・ゴジラ」、「ゴジラ」を見て、今月に入つてから「化石の森」と「激動の昭和史 軍閥」、「激動の昭和史 沖縄決戦」を見た。

映画の予定といふのは上映日直前に発表になる、といふ印象がある。
コンテンポラリーだとさうでもないのか。
映画館に通つてゐれば予告篇が上映される。そこに上映開始予定日が出ることがある。
大抵忘れるけれどもね。

自分の感覚では映画の予定はかなり直前に発表されるものなので、すでに予定が埋まつてゐることが多い。
ホール落語や芝居の予定は半年ちかく前に発表されたりするもので、な。
そんなに極端でなくても、七月の段階で十一月の席を押さへてゐるなんてなことはよくあるし、現在IHIステージアラウンド東京で上演されてゐる「髑髏城の七人」などは初日の五ヶ月前に最速の前売り期間が終はつてゐたりする。
それで予定が埋まつてしまつて、映画に割く時間がない。
そんなんで行けないものがいくつもある。

「パワーレンジャー」は、ほんたうは「ジーサンズ」を見に行くつもりが行けずにゐるうちに最寄りの映画館での上映が終はつてしまつてをり、代はりに見た映画だつた。
「銀魂」とか「ジョジョの奇妙な冒険」とかも見に行きたい。夏休みのあひだは上映してゐるだらうかと思ひつつ、気がついたらがんばつて見に行かないと行けないやうな場所でしか上映してゐない気がする。

それなら自宅で見ればいいぢやないか。
さうなのかもしれないが、なんとなくそんな気にはならない。
「シン・ゴジラ」だつてわざわざ映画館に行つて見たくらゐだ。

ある時期から、映画は自宅でも見ることを前提に作られてゐるやうな気がしてゐる。
気がするだけで、実際はそんなことはないのかもしれない。
でもうつかり「アラビアのロレンス」とか見てしまふと、「ああ、これは自宅のTVでちまちま見ることなんかまつたく考慮に入れてゐない作品なのだなあ」としみじみ思ふ。

最近は自宅でもプロジェクタを所有してゐる人も多いのかもしれない。
でもやつがれはそれほど映画好きといふわけではない。
そもそも映画好きならこんなblogエントリを書いたりはしない。
万難を排しても見に行くだらうからだ。

そんなわけで、映画はできれば映画館で見たい。
「激動の昭和史 軍閥」とか「激動の昭和史 沖縄決戦」なんかはTVで見たら絶対途中でダレさうだしね。
コマーシャルも入るだらうし、そのあひだにちよこまか用事を済ませたりして、それはそれでいいのだけれど、やつぱり映画館で集中してみたい映画だと思ふ。すくなくともやつがれは。

さう思ひつつ、二週間前くらゐに「え、それ、上映するの?」と焦つて、結局見られず仕舞といふ映画がいくつもあるのが現状だ。

などといひながら、「シン・ゴジラ」「ゴジラ」「化石の森」「激動の昭和史 軍閥」「激動の昭和史 沖縄決戦」は文字通り万難を排して見に行つたわけなのだが。

こんなことをしてゐていいのか、と背徳感にひたりつつ見る映画も悪くない。
と、日記には書いておかう。

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Tuesday, 08 August 2017

Where I have never gone before

タティングレースのモチーフつなぎは、まち用のモチーフをつなぐところまでこぎつけた。
立体的になつてきたといふことでもある。

タティングレースで立体的なもの、かあ。
ミニチュアのトートバッグを作つたことがあるから二度めか。

立体的になつてくると、いよいよつなぎ方に注意が必要だ。
うつかり妙なところ同士をつないでしまつたら目も当てられない。
妙なところ同士をつないでしまつたときに目も当てられない状況になるのは平面的なものを作つてゐるときも同様だ。
でも平面的なものをつないでゐるときなら「うーん、これも、あり?」といふことにできることがある。
今回は箱型になるやうに作る予定なのでさうもいかないのだつた。

ここに来てまた進まない。
昼休みになると照明が落ちるからといふこともあるけれど、立体的につなぐことに本能が反抗してゐる。

もともと、タティングレースで立体的なものを作りたいとはあまり思はない。
ビー玉を包むやうに結ぶのはやつてみたいやうな気もするし、ビーズをあしらつたポーチのやうなものも作つてみたい気持ちはある。
でもポーチは平面と平面とをかさねたやうな形だしなあ。
今回のやうに底とまちとがあるやうなものをまさか自分が作るとは思つてゐなかつた。
だいたいできたとしても底もまちもよくわからないやうなものになるだらうしね。

そんなわけで、未知の領域に踏み出して、ちよつと恐れが先に立つてゐるのかもしれない。
モチーフつなぎ自体の終はりは見えてきている。
果敢にモチーフをつなぎつづけていきたい。

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Monday, 07 August 2017

編めない理由

パピーのピマデニムで編んでゐる Helix Scarf は先週編み終へるつもりでゐた。
遅くとも昨日には伏せ止めをするつもりだつた。
つまりできなかつたのである。

できなかつた理由は、次に編むものが決まつてゐなかつたから、だな。

残りの糸とあみものに割ける時間とから、先週中には編み終はるだらうと思つてゐた。
今週で終はりにしやうと思つたときには大抵終へることができる。
なのに終はらなかつた。

次に編むもの、決まらないよなあ。
いまの時期から夏ものを編むのはちよつとどうかと思ふ。
しかし、この暑さだ。
秋冬ものは編みたくない。
編むとしてもくつ下か手袋または帽子といつた、ちいさくて編んでゐて躰にくつつかないものだ。
でも編みたいのはヴェストとかなんだよなあ。
先の冬から持ち越してゐる袖なし羽織もあるし。
ヴェストも羽織もいま編んだら暑くてをかしくなりさうだ。

ヴェストの試し編みをするのはいいかもしれない。
編み地をどうするかまだ悩んでゐるからだ。
バイアスにしやうかな、とか。
かのこ編みがいいかな、とか。
ボタンはどうしやう、とか。

使ふ糸は決まつてゐて、デザインが決まらない。
それで次に編むものからはづれてゐたのだが、さうか、試し編みか。

あみもののblogを見てゐると、あれもいいな、これもいいなと思ふのだが。
この暑さではどうもなあ、とちよつとやる気が落ち込みがちだ。

Helix Scarf ができあがったらちよつとは気分が上向くかな。
この暑さでは使ふ場所もないけれど。

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Friday, 04 August 2017

消費なのか投資なのか

パイロットの万年筆カクノに透明軸が増えた。同時にEF(極細)のペン先も増えた。

カクノははじめて発売されたときに、灰色軸のキャップが青のF(細字)のペンと黄緑のM(中字)のペンとを買つた。
その後白い軸が発売されて、キャップが淡い桃色のFを買つた。
くまもんとコラボレーションしたペン二種類はどちらもFを買つた。
その後、LAMYのペトロールを入れたくて、軸もキャップも灰色のペンを買つた。
透明軸もEFを購入してゐる。

おなじものをいくつも持たなくてもいいぢやあないか。
さういふ意見もあらう。
万年筆といふことでいへばカクノ以外にも何本も持つてゐるわけだし、ことさらに新しいペンなど必要ない。

最初に灰色軸のカクノが発売されたときにFとMと二本買つた、といふのがすべてのはじまりだつたのではないか。
おそらくおなじやうに複数本買つた人がたくさんゐたのぢやあるまいか。
企業はたぶんに手応へを感じて、次にもうちよつと可愛らしい感じのペンを市場に投入する。
最初からこの色を出してくれたらなあ、と思ひつつ、やはり一本買ふ。
白い軸にパステルカラーのキャップを見て、灰色ぢやちよつとねと買ひ控えてゐた人も買つたことだらう。
すでに買つた人も買つたかもしれない。
次は透明軸だな、と、企業は思つただらう。

個人の購買力がどれくらゐ影響をおよぼすのか、わからない。
わからないけれども、カクノの新作が発売されるのは売れ行きがいいからだらう。
商品購入は投資のひとつの形、といふかさ。

いまの状態ではフローがないと経済は成り立たない。
財布の紐をしめてかかるのなら、なにかほかに経済を成立させる手段が必要だ。
あるいはフローが少なくても(場合によつてはなくても)成り立つやうな経済が必要になつてくるのぢやあるまいか。

なんてなことは少子高齢化が危惧されはじめたころから専門家がいろいろ考へてゐることだらうとは思ふ。
思ふけど、だとしたら現在の状態はあまりにも無策なのではあるまいか。

とりあへず、やつがれには流通させて経済活動の足しにできるやうな阿堵物はない。

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Thursday, 03 August 2017

おなじことを書く

何度もおなじことを書いてもかまはないことを教へてくれたのは森茉莉だつた。

無論、森茉莉の力をもつてして可能なことだとは思ふ。
思ふけど、でもやつぱり森茉莉の随筆を読んでゐると、「この話、別の本でも読んだし」だとか「この逸話、別の回でも書いてたよね」だとか、つひ心の中で指摘してしまふ。

山本夏彦もおなじことを何度も書いてゐた。こちらは森茉莉にくらべたら手を変へ品を変へといふ雰囲気はあつたものの、「これ、前も書いてゐたよね」と思ふことがある。

たぶん、おなじことを書いてもいいのだ。
云つてもいい。
とくに手を変へ品を変へ書くのはかまはない。

といふことを今朝読み始めた本を読みつつ考へた。

ものは James W. Pennebakerの The Secret Life of Pronouns だ。
Pennebaker のことを知つたのは、オバマとクリントンとの大統領選のときだつたと思ふ。最初かその次のかは記憶にない。
演説やディベイトで両者の話したことばから単語の種類による使用率をわりだして心理学的に分析する Wordwathcersといふサイトをたまたま見つけた。
代名詞や冠詞、前置詞に注目する点がおもしろいと思つた。

著書である Opening Up by Writing It Down を読んで、心的外傷やそこまで深刻でなくても心にかかることは文章として書き出すといい、とあるのを受けて、自分でもちよつとやつてみたがダメだつた。
書けば書くほど気にかかる。
書きやうが悪いのだらうか、もつと正直にいろいろ書かねばダメなのか、と悩んだが、そのうちやめた。
書いても気が晴れることはなかつたからだ。
好きなことについて好きなやうに書いたときの方がよつぽどいい気分になる。

The Secret Life of Pronouns を読んだらこは如何に。
おなじことをくり返しおなじやうに書き語るのはダメなのださうである。
おなじことを異なる視点から語つたり、異なる文体で書いたりしないとよくならないのださうだ。
つらい体験を何度も何度もくり返しおなじやうに語るのは鬱症状でもあるのださうな。

さうだつたのか。
自分としてはおなじやうに書いてゐるつもりはなかつたけれど、他人から見たら「なにをおなじことをおなじやうに書き散らしてゐるのか」といふ感じに見えたんだらうな。

ではおなじことを違ふやうに書いてみやうかと思つたかといふと、さうでもない。
いまのやつがれの興味はそこにはないやうだ。

とはいへ、この blog におなじことをおなじやうに何度も書いてゐることは確かなのだつた。
一度見返しておなじやうな話は書かないことにしやうかと思つてみても、ちよつと見返すのには時間がかかる。

おなじことでも違ふやうに書けばいいかな。
ダメか。

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