Friday, 18 September 2020

楽しい索引作り

マルジナリアでつかまえて』を読んで、「さうか、索引は自分で作ればいいのか」と思ひ至つた。
それで、『泣き虫弱虫諸葛孔明』第伍部の文庫版を読みながら索引を作成した。
おほよその流れは知つてゐる話だし、単行本で出たときに読んでゐたからできたのかなとも思ふ。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』で作りたいと思つてゐたのは、引用元の作成だ。
たとへば第壱部には「残酷な天使のテーゼ」からの引用があるし、「徐庶の奇妙な冒険」は云はずと知れた『ジョジョの奇妙な冒険』だし、さうしたことをすべて拾つてみたいと思つてゐた。
正確には、「誰か拾つてくれないかなー」と思つてゐた。
だつて、やつがれ、ヲタクぢやないし。
そつちの方面の知識に自信がない。
自信のある知識なんてないのだが、酒見賢一のくりだすあれやこれやをすべて拾へる自信もまたない。

誰か詳しい人或は人々がさういふ索引を作つてくれたら。
ずつとさう思つてゐた。
コミックマーケットに行けばさうした薄い本があるのかな、といふ気もしないではない。
でも、有明とか行かないしなー。
さうかうするうちに『泣き虫弱虫諸葛孔明』は完結し、文庫版まで出てしまつた。
仕方がない、自分の乏しい知識を総動員して、少しでもひつかかることがあつたら索引にしやう。
さうして本を読み終はつて思つた。
否、読んでゐる最中から思つた。
索引作りつて、楽しい。

なぜ楽しいのか。
思ふに、索引を作らうといふ意図があるから、本の読み方が変はるのだ。
読書といふのは受け身なものだと思ふけれど、そして索引を作るからといつて受け身であることには変はりはないけれど、でも、やはり、どこか能動的になる。
ことばは悪いかもしれないが、鵜の目鷹の目で読むやうになる。
さうすると、いつもだつたら読み飛ばしてゐるやうなところ、大して大事だとは思はないやうな部分にも目が行き届く。
おもしろい本だからといふこともあるけれど、索引作りをしながら読むのはおもしろさ倍増だ。
自分がなにに興味があるのかもよくわかるしね。

この点については、つづく『銀河英雄伝説』で強く感じたことだ。
『銀河英雄伝説』の索引なんて、もう出てゐるだらうし、さうでなくても百科事典的な本があるはずだ。
#すまん、調べてなくて。
だから、索引を作るとしたらどうしたつて私的なものになる。
自分が作つて楽しくて、あとから見返してもおもしろいもの。
さう考へながら本を読み、「これは索引として項目を立てやう」と思つたことを書き出す。
楽しい。
なんでこんなに楽しいのだらう。
さうして読むと、自分がなにが好きでなにに興味があるのかとてもよくわかる。
そこにウソはつけない。
もちろん、なにに興味がないかもわかるのだが、銀英伝の場合は登場人物の名前や地名を逐一拾つていくと大変なことになるといふこともある。
勢ひいまは大したことをしてはゐないけれどあとでまた出てくる人とか、もの、土地の名前を拾つていくことになる。

他人には決して作れない、自分の自分による自分のための索引。
『泣き虫弱虫諸葛孔明』も『銀河英雄伝説』も一度読んでゐるから索引を作れたのだと思ふ。
初見で作ると、あとから「あ、あれは索引の項目にしておくのだつた」といふことが何度も起こるのぢやないかなあ。
まあ、それもまた楽しいのかもしれないけれど。

今回索引を作つた本はいづれも文庫本だ。
最終ベージにMIDORIのMDふせん紙方眼罫を貼つて、そこに書き出してゐる。
本と索引とがバラバラにならないやうにと考へたつもりだ。
いづれほかのノートに書き写すか、或はMacBookに打ち込むか、それはまたあとで考へることにしたい。
いまは、銀英伝の三巻を読みつつ索引を作つてゐる。
先はまだ長い。
だといふのに、もう「次はなにを読みながら索引を作らうか」とか考へてゐる。
まだ索引を作つてゐない『泣き虫弱虫諸葛孔明』の第壱部から四部にするか。
それともなにか別の本にするか。
これを考へるのもまた楽しい。

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Thursday, 17 September 2020

ソローの日記が気になる

ヘンリー・ディヴィッド・ソローの日記が気になつてゐる。
何年か前に翻訳版が出版されて、しかしハードカヴァで四巻と聞いて躊躇してゐた。

ソローといへば『ウォルデン』だ。
『森の生活』と訳されてゐることもある。
一年間働かずに暮らしていけるだけの費用を算出して、その分だけ稼いでソローはひとり森の中で暮らした。
これをその筋の人がとても気に入つてゐることは知つてゐる。
ちよつと時代遅れのことばでいふとロハス的な、いはゆる環境的に「意識高い系」の人々が好きな本だ。
残念ながらやつがれはちよつと違ふ。
ソローには、ラルフ・ウォルド・エマーソンのやうな超越主義の流れの中にゐる人で、考へたことを実際にやつてみちやふ人、そして無抵抗不服従の人、といふ印象を抱いてゐる。

『ウォルデン』についていふと、しかし、なんか、そんなにすごいことは書いてないんぢやないか、といふ気がしてゐた。
僭越とは思ひつつ、「え、そんなことが考へたくて森でひとりで暮らしてたの?」と思はないでもない。
どういふところが、と訊かれるとうまく云へないが、だつてわざわざ一年間の生活費を割り出して、その分働いて、それで森の中で暮らしはじめたわけですよ。
なんか、どえらいことを考へてゐるんぢやないかと思ふのが人情ぢやあるまいか。

ところが、ソローがすごいのは『ウォルデン』ではなくて、その日誌なのだといふ。
さういやエマーソンもなんだかすごい量の日誌を残してゐるといふ。読んだことないけど。
さうなのか、日誌なのか。なんだかおくゆかしいぢやあないか、ソロー(違。

といふわけで、ずつと気になつてはゐたが忘れてもゐて、ある日翻訳本が出てゐるよ、と聞いて、でも大部でお値段もはるときてゐたので、指をくはへて見送つてゐたのだつた。

昨日、本屋に行く機会があつたので、あらためてその日記を見てきた。
うーん、ほしい。
少なくとも読んでみたい。
なんとかならないだらうか。
部屋を片付けて、予算を組むしかないか。
それができたら苦労はしないんだがなあ。

いま、記録といふものがひどく軽視されてゐる。
ゆゑに、最低でも個人的に記録できるものはなんでも記録しておきたい。
たとへば新聞の記事は気になるものは残してゐる。
公の記録、信頼のおける記録とはいへないかもしれない。
しかし、記録がどんどんなくなつていく、そもそも記録することさへしない世の中だ。
自分で必要だと思ふ、のちになんらかの証拠になるだらう記録は残していく。
それが個人にできる最低限の抵抗だと思ふのだ。

日誌はさらに信頼のおけない記録だ。
でも残す。
だつてこの世が記録を軽視してゐるのだもの。
残さずにどうする。

そんなわけで、そのうちソローの日記を買つてゐるかもしれない。
片付けもしないし予算も組まないだらうがな。

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Wednesday, 16 September 2020

手帳の悩み

ほぼ日手帳Weeks MEGAが気になつてゐる。
実は去年も気になつてゐた。
ほぼ日手帳Weeksはその名の通り週間予定帳だ。
見開きの左側が一週間の予定表、右側が方眼用紙のメモになつてゐる。
先頭の方に月間予定表もあり、終はりの方にはメモページもある。
ほぼ日手帳Weeks MEGAはそのメモページが215ページある。いくらでもメモできるよ、といふ手帳だ。

去年は一月から八月まではLEUCHTTRUMのA5サイズを使つてゐた。
LEUCHTTRUMはとてもいいのだけれどもA5サイズは時にかばんに入らないことがあるとはここにも何度も書いてゐる。
たまたまRollbahnのLサイズをもらつて、使つてみたらちやうどよかつた。
ロンドン旅行もこのRollbahnとともに行つた。
帰国後、10月はじまりのRollbahnの手帳が店頭に並んでゐたので、即使ひはじめた。
以降、いままでRollbahnの手帳を使つてゐる。

でも、去年もほぼ日手帳Weeks MEGAがいいかな、と思つてもゐた。
メモ用ページがたくさんついてゐるし、方眼罫だ。
年の途中で使ひきることを考へて予備を買つておくといふのもありだ。
Rollbahnの手帳だつて結局年に四冊使つてゐるのだし。
ただ、やはり、ほぼ日手帳Weeks MEGAはちよつと小さい気がしたんだな。
持ち歩くのには便利だし、さつと取り出してメモをするのにもよいと思ふ。
ただ、なにか突然書きたくなつたときには小さすぎる。
ほんたうはなにか突然書きたくなるやうな時は最低でもA5くらゐのサイズがほしい。
そこは妥協してB6なんだけどね。

もともとは新書サイズの手帳で Bullet Journal をはじめたので、ほぼ日手帳Weeks MEGAも十分使へるはずなんだがな。

うーん、買つてみる?
いまRollbahnの手帳に書いてゐるやうな読書メモは来年からは外出しにするつもりでゐる。
だからほぼ日手帳Weeks MEGAでもそれなりの期間使つていけるかもしれない。
しかし、すでに来年用に買つてあるRollbahnの手帳はどうする。

などと、手帳選びに悩みは尽きないのだつた。

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Tuesday, 15 September 2020

イヤな事実に目を向ける

あみものはちよこちよこ再開したものの、タティングレースは作りかけの栞をはふつたままだ。
思ふに、いまタティングで作りたいものがない。
作れば栞でもモチーフでもドイリーでも楽しいだらうとは思ふ。
だが、はじめる気にならない。
それは気分の波の問題、と、やる気にならないときにいつもここには書いてきた。
そのうち怒涛のやうに結ぶ日がやつてくる。

それはおそらく正しいのだが。
結局、いまだけでなく、タティングで作りたいものがないといふのがやる気の出ない理由なのではあるまいか。

タティングレースをはじめたきつかけは、これで人形用の服につけるレースが作れるやうにならないだらうかと思つたからだ。
そのころ毎週土日になるとせつせとリカちやんやジェニーの服を縫つてゐた。
もともと裁縫は苦手だし、服を縫つたりその他小物を縫つたりするやうな趣味がなかつたので、手元にはまつたく布地や材料になるやうなものがなかつた。
布地は、パッチワーク用の端切を買つてゐた。あとはちよつと華やか過ぎて使ひづらいやうなハンカチを使つたこともある。
スナップもないとどうにもならないので買つて、しかし、レースがなかなか手に入らなかつた。
これ、と思ふやうなものが店頭にないのだ。
あつたとしてもちよつと手が出ないやうな値段だつた。
あみものはできないことはないけれど、レース編みはしたことがなかつた。
自分には向かないものだと思つてゐたからだ。
レース編みをするやうになつたのは、人形の服を編むやうになつてからだ。
レース針でレース糸を編んでみたら編めた。
こんな細い針でこんな細い糸が自分にも編めるなんて。
我ながら驚きだつたよなあ。

しかし、あみもののレースではちよつと違ふんだよなあ。
自分で編めるやうなレースでは人形用には大きすぎる。
模様がざつくりし過ぎる。
さういふ服もおもしろいかもしれないが、毎度毎度さうなつてしまふのはどうよとも思ふ。

そんなときに「かわいいタッチングレース」といふ本に出会つた、といふ話はここにも何度も書いてゐる。
しかし、タティングもまた人形向きの素材を作るにはチト向かないレースだつた。
タティングレースでバービーやジェニーの服を作つたものを見たことはあるけれど、自分が求めてゐたのはさういふものではない。

でもタティングは気に入つた。
なぜといつて、おそらくタティングをしてゐる自分が好きだからだらう。
こどものころから親にさんざん不器用だと云はれつづけ、学校の家庭科の授業でも努力点を超えることは決してなかつた自分でもレースが作れる。
つまりはさういふことだ。
タティング自体が好きといふよりは、タティングをしてゐる自分が好き。
なんてこと。

あみものもそんな気がするんだよな。
ちよつと自分より不器用な人間を見たことがない、そんな自分があみものをしてゐる。
自分にも編むことができる。
さう思ふことが好きなのだらう。

この点については、これまでできるだけ考へないやうにしてきた。
だつてさうしたらこれまで買ひ求めた毛糸やレース糸、お道具の数々の立場がないぢやない。
もつといふと、さういふものを買つた自分の立場がない。
これまであみものやタティングに費やした糸や時間も無駄になる。
まあ、無駄ではないかもしれないけれど、なんかそれつて違ふ気がするんだよね。

でもいま、この問題と向き合つた。
この先すこし違ふ展開になるといいのだが。

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Monday, 14 September 2020

涼しくなつてはきたけれど

涼しくなつてきた。
記録を見ても、この時期涼しくなつてくるやうだ。
「編む手が進む」といふやうなことを呟いてゐたりするからだ。

などと云ひながら、今日は全然編めてゐない。
腱鞘炎はすこしよくなつてゐるやうなんだけれどもね。
仕事中もあまり無理しないやうにしてゐるし、今日はなぜだか箸の持ち方がTwitterで取りざたされてゐたが、腱鞘炎に響かないやう持ち方をいろいろと工夫してゐる。
はさみも極力使はない。
掃除用のスポンジやブラシの柄などは握らざるを得ないが、可能な限り左手を使ふやうにしてゐる。

以前は左手の中指が腱鞘炎になつた。
なつたのが一月とか二月だつたらうか。
秋になつても痛かつたので、今回もそんな感じだらうと思つてはゐる。
今回は二月ごろ右手の薬指が痛くなつた。
利き手だし、もつと長くかかるかもしれないなとも思つてゐる。
なにせお箸を持つても痛いんですよ。
それで、変な持ち方だなとわかつてゐても腱鞘炎になるべく響かないやうな持ち方をしてゐる。
スプーンならもうちよつと楽なんだけどね。スプーンなら左手でもなんとかならないこともないし。

あみものはといふと、実はそんなに腱鞘炎には響かない。
単にメリヤス編みだけしてゐればとくにどうといふことはない。
模様編みにしても、裏メリヤス編みの二目一度とかがなければ大丈夫かなといつたところ。
ただ、不意の動きで痛くなることがあるので、それに気をつければいい。
でもその「不意の動き」に注意するのがむつかしいんだけどね。
だつて「不意」だから。
やらうと思つてやるわけではないし、それが痛いかどうかもやつてみないとわからないこともある。

さう考へると、痛いあひだは編まない方がいいのかなあと思はないでもない。

字を書く方もさうで、ペンを手にして普通に書いてゐる分には大丈夫だ。
ただ、何かの瞬間に力が入つたり、ちよつと変はつた動きをすると痛い。

そんなこと云つてゐたらなにもできないんだけれどもね。

いまは在宅勤務中でもあるし、仕事中も痛いときは無理しないやうにはしてゐる。
まつたくなにもしないわけにはいかないが。
しかし、あみものはできるのに仕事をしないといふのもどうかといふ話もある。
もしかしたら、単なる怠け病なのかもしれないしね。
働きたくないから指が痛いのかもしれない。

まあ、痛いとろくなことを考へないね。
とにかく無理はよさう。
それくらゐかな、できることは。

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Friday, 11 September 2020

思うてたんと違ふ「ブックスマート」

昨日、「ブックスマート」を見てきた。
ロサンジェルスのとある高校三年生の物語だ。
生徒会長をつとめる主人公はいはゆるガリ勉(booksmart)だ。
高校生活を勉学に勤しんできた。おかげで九月からはイェール大学に行くことになつてゐる。
ところが明日は卒業式といふ日、これまで勉強もろくにせずフラフラ遊んでゐると思つてゐた同学年の生徒たちがみなアイヴィーリーグの大学やジョージタウン大学への進学、進学しないものはGoogleへの就職を決めてゐることを知る。
「勉強や試験なんてバカにしてきたくせに」と云ふ主人公に、フラフラ遊んでゐた(と主人公は思つてゐる)生徒のひとりが云ふ。
「勉強や試験だけぢやなくて、ほかのことも大切にしてきたんだよ」と。

そこで主人公は一念発起し、やはり勉強一筋でやつてきた親友を巻き込んで、高校生活最後の夜にいままで勉強の犠牲にしてきたことを全部やらう、卒業生の乱痴気パーティに参加しやう、ともちかけるのだつた。

ここまで見て、「なんか違ふな」と思つた。
主人公が、ほかのこと、高校生だつたらしたいやうな楽しいことをすべてあきらめて或は犠牲にして勉強してきた、といふのがなんだかひつかかつた。
そんなの、自業自得ぢやん。
好きでやつてたんぢやなかつたの?

親友の方はどうやら「高校生らしい楽しみ」にはそれほど興味はないらしく、ほかの生徒が遊んでゐてかつ一流大学に行くことについてもそんなに感慨はないし、別段パーティに行きたいとも思はない。
でも、大の親友の主人公の頼みだから、そこは行動を共にすることになる。

もし、主人公がいはゆる高校生らしい楽しみや遊びに興味がなく、遊んできたと自分は思つてゐる生徒たちが名の知れた大学に進学するといふ話を聞いても全然動じなかつたら、物語にならない。
つまらない映画になつてしまふ。

でもなー、別にいいぢやん、勉強三昧の高校生活だつて。
そもそも主人公には確たる将来の夢があるんだしさ。
それに邁進するつて、それだつてすばらしいことだと思ふんだがなあ。
なんか、結局、勉強だけつてつまらないよね、みたようなさ。
「だけ」はよくないのかもしれないけれど、でも、勉強楽しいぢやん、みたやうなさ。
それは親友の方が引き受けてくれてゐるのかもしれないけれども。

主人公は、高校生らしく遊んでゐる同学年の生徒たちを見下すやうにして勉強してきた。
それは自己評価が低いからといふ面もある。
この映画は、自己肯定感や自分らしくあることを描いたものでもある。
最近はさういふ映画が多いよね。

終はり方もきれいだし、かういふ映画だとわかつた上でもう一度見たらまた評価も変はるかな。

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Thursday, 10 September 2020

久々に出勤

久しぶりに出勤する。
10時出社を目指したところ、公共交通機関はなにもなにも混んでゐる。
五十日といふこともあるかもしれないが、「ああ、みんな通勤してるんだな」といつたところ。
しかし駅を降りて職場に向かふ途中、某大企業の建物に入つていく人はひとりだけだつた。
あとでもうひとり、コーヒーを買つて戻るといつた風情の人がゐたくらゐだ。
以前はこの時間帯にこの建物に入つていく人がたくさんゐた。
きつと、ほとんどの社員は在宅勤務になつてゐるんだらう。
或は契約社員はクビになつてしまつたのかもしれない。

今後出勤するやうになるとしたら、いつたい何時に着くやうに出勤すればいいだらう。
会社からは電車やバスが混雑する時間帯は避けるやうにと云はれてゐる。
今日の感じだと10時出社はダメといふことだ。
しかし、これ以上遅くすると帰りの時間が遅くなる。
そして生活のリズムがくづれる。
それは避けたい。
それに、帰宅の時間が遅くなつたとして、それはまだ混んでゐる時間帯なのではないかといふ気もする。

では反対に早く出勤すればいいだらうか。
これはやつてみないとわからない。
ただ、新型コロナウィルスが流行する以前のことを考へると、早い時間は早い時間で混んでゐた。
早い時間帯には電車の本数も少なく、時に車両編成も短いからだ。
朝早く行けばその分早く帰れるわけで(職場の人と時間が合はないかもしれないといふ問題はあるが)、帰りは比較的電車も空いてゐるものと思はれるのだが。

いづれにしてもうまくいかない。
もう通勤するといふ考へを捨てた方がいいのぢやあるまいか。
さうしたら使つてゐる路線が運転見合はせ中だどうしやうだとか、何時に着かなければならないのに電車が遅れてゐるだとか、さうしたことを気にしなくて済む。
明日は朝から会議だから時間に余裕をもつて出勤しなければ、そのためには何時に家を出ないといけないから、何時には起きないといけない、それには何時には寝ないと……などと考へなくてもいい。
とにかく、電車情報を気にしなくていいといふのがこんなに楽なことだとは思はなかつたよなあ。

ちなみに今日は職場で周囲の人はみな在宅勤務か休みを取つてゐるといふことを確認して出勤することにした。
周囲に人がゐないといふのも楽だ。
他人の目など気にしないにこしたことはないのだが、どうもさううまくいかない。

在宅勤務は自分にはとても向いてゐるのだけれども、今後どうなるのかなあ。
無論、新型コロナウィルス感染については早く収束してくれたらと願つてやまないが、その後も在宅勤務ができるやうになつてゐるといいのにと、こちらも願つてやまない。

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Wednesday, 09 September 2020

苦手な歯みがき粉

子どものころ、歯みがきが嫌ひだつた。
歯みがき粉が好きになれなかつたからだ。

子ども用の歯みがき粉にはくだものの味がついてゐた。
イチゴ味やバナナ味などがあつたと思ふ。
これがどうにもイヤな味でね。
当時はイチゴもバナナも好きではなかつたし、いまでもバナナは食べられない。
だが、歯みがき粉の味はそのイチゴとバナナとも違ふ。
色だけは桃色だつたり黄色だつたりするけれど、そして匂ひはどことなくくだものに似せてゐるけれど、味はまるで別物だつた。
そして好きになれなかつた。

小学校に上がつたころだらうか、大人とおなじ歯みがき粉を使ふやうになつた。
これも苦手だつた。
なんだか、刺激が強いからだ。
ミント味の食べ物も苦手だつた。
いまもミントチョコレートはあまり好きではない。
どことなく薬臭いからだらう。

いつしか錠剤型のラムネなどは食べられるやうになつて、いまではFRISKも常時持ち歩いてゐる。
さうなると、歯みがき粉も悪くないと思ふやうになる。
いまでは朝起きると即歯をみがく。
風邪や流感にかからなくなると聞いたからだ。
実際のところ、朝起きて即歯をみがくやうになつてから風邪も引いたしインフルエンザにもかかつた。
でも続けてゐる。
しないよりマシだと思つてゐるからだ。

夜は湯舟の中でみがく。
口腔があたたまつてゐるときの方が効果があると聞いたからだ。

そんなわけで子どものころはあまり歯みがきに熱心ではなかつたけれど、歯医者にはそれほどお世話になつてゐない。
多分、小学校のときの歯医者通ひは片手で足りるくらゐだつたのではないかと思ふ。
近所に歯医者がなくてバスに乗つて行く必要があり、バスに乗ることなど滅多になかつたので、おそらくこの記憶は正しい。
中学のときは一度も行かなかつたし、高校の時は飛行機に乗るといふので診てもらつたくらゐだ。
大人になつてからもそんな感じで、ほんとは定期的に検診に行つた方がいいと思つてはゐるものの、行けてゐない。

これも歯みがきに熱心になれない理由のひとつなんだらうな。
このCOVID-19騒ぎがおさまつたあかつきには歯医者に行きたいと思つてゐる。
つまりはまだ行く気がないといふことか。

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Tuesday, 08 September 2020

涼しくなつたら

さて、あみものははじめたものの、タティングには手をつけられてゐない。
さうかうするうちに、マクラメの新刊が出るといふ話も聞いた。
マクラメ、いいよなあ。
好きなんだよなあ。
といふわりには、七宝結びもろくろく結べないけれど、好きなものは好きなのだつた。

何年前のことだらう。ここにも書いたことがある。
ファーストフードの店で、高校生とおぼしき人が、慣れた手つきでミサンガを結んでゐた。
うらやましくてなー。
自分もあんな風に結べるやうになりたい。
さらには、推定高校生への対抗心もあつた。
自分だつて、そんな風に結べるやうになるんだから。
結果、その時はおそらく高校生に勝るとも劣らない手つきで結べるやうになつた、と思ふ。
ただ、長くは続かなかつた。
マクラメ自体が続かなかつたからだ。
ミサンガなんてそんなに数必要ないしね。
考へてみれば腕時計のバンドを作ればよかつたのかもしれないが、その時はさういふ発想はなかつた。

そんな感じで、何年かに一度マクラメのマイブームがやつてくる。
今年も一度やつてきた。
ダルマの鴨川糸でモチーフを作つた。
腱鞘炎さえなければもつと結んでゐたと思ふ。

さう、すべては腱鞘炎のせゐでもある。

土日と働かなかつたら、多少よくはなつたんだけどね。
やはりPCを操作するのがよくないのだらう。
キーボードで打つたりマウスを使つたりするのがよくないやうだ。

マクラメの新刊は買ふことだらう。
結ぶかどうかはわからない。
タティングは作りかけになつてゐる栞-to-beをなんとか仕上げたい。
ちよつと涼しくなつてきたしな。

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Monday, 07 September 2020

Another Cowl

去年の今日、ショールを編み始めたのらしい。
記録によるとさうだ。
今日は無理だよなあ。
なにしろ蒸してゐるもの。

さう思つてゐたのに、編み始めてしまつた。


Kingswood Neckwarmer である。
毛糸は Puppy の New 4 Ply。
最寄駅のそばにある手芸屋の閉店セールで求めたものだ。
いづれショールでも編むかと三玉買つてある。
Kingswood Neckwarmer は中細毛糸50gを2玉使つてゐるから、まあなんとかなるだらう。
針は6号で編んでゐる。
指定だと3.75mmだから5号の方が手のゆるいやつがれにとつてはいいのだが、ぱつと目についたのが6号だつた。
さういうふこともある。

作り目は伸縮性のあるやり方でと書いてあるので、Twisted German Cast-on を用ゐてみた。
結果がどうかはもうちよつと編み進んでみないとわからない。

それにしても、cowlといつて、今年はすでに Don't Touch Your Face Cowl を編んでゐる。
さういやとつとと洗つて整形しておくんだつたな。
編みあがつたころはまだ梅雨も明けてゐなくて、なかなか乾きさうにないから整形せずにおいたままだ。
さうかうするうちに台風がやつてきて、また乾きづらい日々か戻つてきてしまつた。
どこかタイミングを見て整形しないとな。

整形したところで使ふ機会がないからといふこともあるのだが。
去年はショール、一昨年はLacy Baktusなどを編んだ。
今年はネックウォーマだな。
端が結ばなくていいといふのがいい。

いづれにしても、腱鞘炎もあるし、まだまだ暑くて蒸す日も多さうだ。
仕上がる日は遠いな。

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