Thursday, 08 December 2016

今年の目標と辞書

今年の目標のひとつに「できるだけ辞書を引く」といふのがあつた。
ひつそりとした目標だつた。
ひつそりとしたものなので、自分の中で「あ、辞書引かなきや」みたやうなきつかけのひとつとして機能する目標だつた。

そろそろ今年の総括をする時期だ。
「できるだけ辞書を引く」といふ目標は、まあまあ達成できたものと思つてゐる。
なにしろ曖昧な目標だ。
「できるだけ」だもの。
これを「必ず」に変へてしまふと絶対達成できない。
重荷になるだけだ。
辞書を引くなどといふ目標をなぜたてるのかと考へたときに、重荷になつてやらなくなるくらゐならやめた方がいい。
そこで「できるだけ」にした。

使用してゐる辞書は iPhone 版の「大辞林」と「リーダーズ英和辞典」とだ。
「大辞林」なのは、iPhone を遣ひはじめたときに安売りをしてゐたからだ。
iPhone を持ち歩いてゐると、辞書もよく引くやうになる。
今年の目標をたてたきつかけのひとつが iPhone だ。

草森紳一は、辞書など信じないと書いてゐる。
どちらかといふと草森紳一に組みしたい方だ。
辞書は人間の作つたものだ。
必ず誤りはある。
誤字脱字のレヴェルから解釈の違ひまで、いろいろあるはずだ。

ではなぜ辞書を引くのか。
あることばが世間一般でどう受け取られてゐてどう使用されてゐるのかを知るため、かな。

たとへば、やつがれはこれこれかういふときに「編纂」といふことばを遣ふ。
でもやつがれの遣ひ方で世のほかの人に通用するだらうか。
さういふときに辞書を引く。

問題は、かういふ辞書の引き方をするなら「大辞林」よりは「広辞苑」の方がよからうといふことだ。
橋本治の著書に「橋本治が大辞林を使う」といふ本がある。
中に、編集者に「このことばの遣ひ方は違ふのでは」といふ指摘を受けて「でも辞書にはかうあります」と返すと「ご使用の辞書はなんですか」と訊かれる、といふやうな話が出てくる。
編集者が使用してゐるのは「広辞苑」、橋本治が使用してゐるのは「大辞林」だ。
橋本治の例からいつて、世の人にとつて「辞書」といつたら「広辞苑」のことなのだらう。

でも最近は、Webの辞書サイトで検索する人も多からうし、必ずしも「広辞苑」のひとり勝ちといふことはないだらう。
さう考へると、辞書も存亡の秋を迎へてゐるんだらうなあ。

別に愛用してゐる辞書があつた。
「新潮現代国語辞典」だ。
この辞書は用例の豊富さが魅力だ。
二葉亭四迷からの引用が多いやうに思ふ。
山田俊雄の編んだものであるといふことも大きい。
柳瀬尚紀との対談集「ことば談義寐ても寤ても」で、柳瀬尚紀からの質問に山田俊雄は「ここまではわかつてゐます」といふ答へ方をする。そこから先はまだわからない、とも云つてゐる。
そこが好ましいと思つたからだ。
かういふ人の編集した国語辞典ならおもしろいだらう。
さう思つたのである。

「新潮現代国語辞典」は職場で使用してゐた。
当時は客先勤務が多く、職場が変はるたびに辞書も移動させてゐた。さうかうするうちいづこかへ消へてしまつた。
次の勤務地が即決まらぬので社に戻したり家に持ち帰つたりしてゐるうちにどこに行つたかわからなくなつてしまつたらしい。
なくなつたと思つてゐたその他の品々は社の物置の奥から出てきたのだが、この辞書たけは出てこなかつた。
新版が出てゐるといふので、それを買はうかと思つてゐる。

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Wednesday, 07 December 2016

片づけられない

家の中を片づけなければ。
さう思つて部屋を見回して、どこから手を着けていいか途方にくれて一日が終はる。

世の中に「見てときめかないものは捨てる」といふ方法がある。
だが、ときめかないものを捨てると生活が立ちゆかない。

スーツを見て心ときめくだらうか。
喪服は?
クレジットカードの明細なんて、いくら見たつてときめかない。

スーツがなければ客先には行けないし、喪服がなければ通夜葬儀にも出られない。
クレジットカードの明細は不要になれば即廃棄してもいいけれど、最低でも引き落とされるまでは取つておかないとなにがあるかわからない。

我が家には一生かかつても遣ひ切れない量の毛糸がある。
見てときめかない毛糸はない。
そんな毛糸は最初から買はないからだ。

「断捨離」といふことばも人口に膾炙して久しい。
なんとなく宗教めいた感じがしてあまり好きになれない。
でも、好きになれないほんたうの理由はそれぢやあない。
ものを捨てるのがイヤなだけだ。
捨てるために労力をかけるのを厭ふてゐるだけのことだ。

家の片づけをする時間があつたらほかにしたいことがたくさんある。
芝居を見に行くのもそのひとつだ。
もつと睡眠時間がほしいとも思ふ。
さうかうするうちにものは減らずに家の中のエントロピーがどんどん増大していく。

いつそ、なにもかも捨ててしまつたらいいんぢやないか。
さう思ふこともある。
なぜものが片づけられないかといふと、最初にも書いたとほりどこから手を着けていいかわからないからだ。
なにもかも捨てるといふことにしたら、どこから手を着けてもいいことになる。

さう思つて、試してみた。
今度は「これは燃えるゴミ」「これは燃えないゴミ」「これは資源ゴミ」「これは資源ゴミだけど分けないとダメ」「これは……何ゴミ?」と、ゴミの分別に汲々としてしまひ、それだけで疲れ切つてしまつた。
しかも、ゴミとして分別したからといつて、すぐに捨てられるわけではない。
定められたゴミの日に捨てなければならない。
すなはち、その日までゴミはゴミとして家の中に居座りつづける。
さつきまでは、本であつたり衣服であつたりしたものだつた。
それがいまはゴミとなつてそこにある。
指定されたゴミの日まである。
さういふのに耐へられなかつたんだよね。

とはいへ、片づけられないまま放置されてゐるものはゴミとなんら変はるところはない。
年末に向けて、といつてもうすでに年末なのかもしれないが、ここはひとつなにか行動を起こさなければ。
正月の三が日をゴミとともに過ごすことになつても、だ。

昨日あたり、Twitter に十年以上前に買つてそのままになつてゐた資料がいまになつて役に立つた、といふやうなつぶやきが流れてきた。
それはさういふ仕事についてゐる人だから云へることだ。
「本が崩れ」ていいのはそれがなりはひの足しになつてゐる人だけなのだ。
やつがれのやうに、単なる横着で本をつんでゐるだけの人間には許されない贅沢なのである。

つまり、いまのままでは分不相応だといふことだ。
さうみづからを戒めることにして、なんとかしたいと思つてゐる。
いまのところは。

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Tuesday, 06 December 2016

基礎ができてゐない

Masquerade

タティングレースでは、Mary Konior の Masquerade の現在は四つ目をつないでゐる最中だ。
作つてゐて、案外糸を消費するモチーフだな、と思ふ。
いままでもいくつも作つてきたのだげと、糸の使用量は気にしたことはなかつたなあ。
今回は Lisbeth #40 一玉使ひ切りで何枚作れるかを確認するつもりでゐるので、気になるのかもしれない。

作つてゐて、タティングの基礎がまるでできてゐないのだなあと痛感する。

たとへばリングの締め具合ね。
きちんと締められないんだよねえ。
締めやうとするときつく引きすぎてしまふ。
ちやうどよい加減といふのがわからない。
途中まで引いて、ちよつと結び目を調整して、それから最後まで引いたりとか工夫してゐるんだがなあ。
一気に引く方がいいのか知らん。
などと、いまだに試行錯誤をくり返してゐる。

あと、チェインをピコにつないだときにうまくカーブが出ないことが多い。
つないだところがとがつてしまふのだ。
これも気をつけながらつないでゐるつもりなのだけれども、どういふときにとがつてしまふのかがよくわからない。
あるいはどういふときにうまいこと曲線になるのかがわからない。
ピコに通した芯糸の引き具合だと思ふんだけどね。

このあたりのことも考へつつモチーフをつないでいくつもりでゐる。
しかしまあ、できてゐないね。

レース糸を一玉使ひ切つたあかつきには、ほかの糸でおなじモチーフをいくつもつないで大きいものを作るつもりでゐるのだが。
なんとなく、一玉使ひ切つた時点でこのモチーフに飽きてしまふやうな気がして仕方がない。
Masquerade は好きなモチーフだからこれまでも何枚も作つたし、今後も作るだらうと思ふけれど、直後といふのはどうもね。

糸の使用量だけわかればいいかな。

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Monday, 05 December 2016

挫折するかと思つたけど

Striped Shawl が編み上がつた。

Striped Shawl

整形して糸端を切らねばならないが、できあがつたといつていいだらう。
なにしろここまでが長かつた。

Striped Shawl

このショールは、Domino Knitting を元に編んだ。
使用した針は3号。
使用した毛糸は Filtura di Crosa の Zara。主となる焦げ茶色は1663。ベージュが1963、緑が1943、朱色が816、黄色が1922、青が813だ。
去年の十月末に編み始めて、あたたかくなつたので一時中断して、昨日編みあがつた。
本に載つてゐるショールのメインの色は紺色だ。
色あはせは自分で考へた。

本では、Sports Weight の毛糸を遣つてゐる。Zara よりは Zarina の方がよかつたことに編み始めてから気がついた。後の祭りだ。
目数や段数も本よりも減らした。
本では細長い編み地を五枚つないだやうな形になつてゐるが、四枚しかつないでゐない。
四枚つないだところでサイズとしては十分だからだが、焦げ茶色の毛糸が足りないからといふのも理由のひとつだ。
ほんたうは縁にiコードを編みつけたりするのだけれど、それをする余裕もない。
でも端は裏目できれいに編んでゐるので、そのまま見せてもいいかな、といふ気もしてゐる。

編みながらたまに羽織つてみたりしたところ、どうやらこれはやつがれ史上もつともあたたかいショールだ。
自分で編んだものといふのは、なんとなくあたたかい。
セーターなどでも、ものすごくあたたかいといふのではなくて、着てみるとほのかにあたたかい。じんわりとあたたかい。
そんな感じがする。

それが、このショールは羽織つたとたんに「あつたかーい」といふ気分になるんだな。
目がつんでるから?
Zara は6号くらゐの針で編む毛糸だと思ふが、それを3号で編んでゐるからかなりしつかりと編めてゐる。
それが原因かなあ。
これだとコートの上に羽織るにしてはちよつと暑すぎるかもしれない。
かといつて、このショールだけで出かけるのもなんとなく心細い気もする。
一度休みの日にこのショールだけで外を歩いてみるかな。

Domino Knitting を買つたとき、「このショール、編んでみたい!」と思つて、しかしなかなか着手できずにゐた。
編んだいまは「多分、もう編まないだらう」と思つてゐる。
結構時間がかかるんだよね。
あまつた毛糸の有効活用にはいいデザインだと思ふが、延々とガーター編みをくり返すのが案外疲れる。
編み気の高まつてゐるときなら問題ないのかもしれないけれど、きつとあんまりさういふ気分でもなかつたのかもしれないな。
一番長い部分なんか、このまま普通にマフラーになるくらゐの長さを編んでゐるからね。そりや時間かかるよね。

ドミノ編みは時間のかかるもの、と、Domino Knitting にも書いてある。
わかつてゐて編み始めたつもりだつた。
同様に、Domino Knitting には、「でもドミノ編みには中毒性があるんだよね」とも書かれてゐる。
さうなんだよねえ。
一度編んで懲りたはずなのに、結局またドミノ編みをしてゐる。さういふことがある。
このショールを編むのにあまつた毛糸で Shrug といふかマーガレットを編まうか知らん、などと考へてゐるほどだしね。

これで、晴れて袖無し羽織に取りかかれることになつた。
袖無し羽織もこのショールとおなじやうに編むつもりでゐる。
毛糸は十分あるので、周囲にiコードを編みつける予定でゐる。

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Friday, 02 December 2016

思春期とは

「中二病」といふことばの遣はれ方を見てゐると、自分はそれなのだらうといふ気がする。
しかるに「中二病」といふのはほんたうにはどういふ意味なのだらうか。

Wikipedia を見てみた。
伊集院光がラジオの深夜番組で遣ひはじめたことばで、「思春期に見られる背伸びしがちな言動」を自虐する語、なのださうな。

小学生のころ、中学生になると両親と街を出歩くことや旅行に出かけることを避けるやうになる、といふ話を聞いた。
理由はいろいろあるが、かんたんに云ふと「気取つてゐるから」だ。
もう親となんか一緒に出歩きたくないんだよ。
さういふことなのださうな。
それはひどく様子の悪いことに思はれて、爾来世間的には大人と呼ばれるやうな年齢になつてからも親から誘はれたら一緒に旅行に行つてゐた。
親兄弟と街を歩き、旅をすることは全然恥づかしいことなんかぢやない。
親と連れ立つて歩くことを忌避することの方がよほど様子が悪い。
さう思つてゐたからだ。

おそらく、思春期にさしかかる手前のやつがれは、思春期にまつはることどもがとにかく気にくはなかつた。
かつこ悪いと思つてゐた。
自分は絶対思春期の人間がするといふあれやこれやはしないのだと心に誓つてゐた。
あるいはそのころすでに思春期にさしかかつてゐたのかもしれない。
他人とは違つた自分でゐたい、自意識の過剰なるがゆゑに他と己とを分かたうとする。
思春期か。
中二病か。

思春期が文字通り「春を思ふ時期」をさすのなら、やつがれには思春期はなかつた。
思ふ季節があるとしたらそれは秋で、こどものころから変はらない。
これまたWikipediaにあるやうに「心身ともに子供から大人に変化する時期のこと」といふのなら、身はともかく、心はいまだに大人になつてはゐない。
やつがれには若いころといふ時期が存在しなかつた。
ただ未熟だつただけだ。
そして今でも未熟である。
どうやらこのまま大人にはなれさうにない。
思春期か。
中二病か。
さうなんだらうな。

最近どこかで「内面をさらけ出さずにうちに閉ぢ込めるのが思春期」といふ説を見かけた。
思春期を過ぎた人間は、内面をさらけ出し、うちに閉ぢこめたりはしないのだらうか。
え、さうなの?
さうは思へないけどな。
それとも世間的には「大人」と云はれるやうな年になつても「内面をさらけ出さずにうちに閉ぢ込め」てゐるやうな人は、思春期まつただ中なのだらうか。

むづかしいわ、思春期。
まちつと考へてみることにせむ。
まさかこの年になつて「思春期とは」とか考へるとはね。
本来思春期にあたる時期に肩肘張つて「自分は絶対そんなことはしないのだ」とか頑なに拒絶してゐたのがいけなかつたんだらう。
悔やんでも後の祭りとはこのことだ。

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Thursday, 01 December 2016

先代の幸四郎の「鬼平犯科帳」を見てゐる・裏

先代の松本幸四郎の「鬼平犯科帳」を毎回楽しみに見てゐる。
昨日もさう書いた。

これまで見た六十ばかりの話のうち、「これ!」と思つたものは四話。
それなりにいい確率だ。
いい確率ではあるものの、残りの五十六話はどう見てゐるのか。

「あんまり楽しくないな」と思つて見る話もあれば、昨日書いた四話とは違ふノリで見る話もある。

加東大介の演じる岸井左馬之助の出る回は、高麗屋の鬼平とのやりとりが楽しみだ。
やりとりが楽しみなのなら昨日書いた話とおなじぢやあないか、といふ向きもあるかもしれない。
違ふんだな。
左馬之助と話をしてゐるときの鬼平は、ふつと「本所の銕」に戻るときがある。
鬼平から本所の銕への変はりやうが実に自然だ。
そして、若いころはさうだつたのだらうやうなちよつとやんちやな感じだとか、ワルだつたころの雰囲気とかを見せるのがたまらない。
加東大介の左馬之助もいい。
可愛いんだよなあ。
ふつくらしてゐるからかもしれないし、鬼平がこども扱ひするからかもしれない。

あるいは平田昭彦の天野甚蔵だ。
佇まひがいい。
鬼平から書状を受け取るときの、

  • 畳の上に座る
  • 書状を受け取る
  • 開く
  • 読む
  • 閉ぢる
  • 返す
といふ一連の所作が一々落ち着いてゐる。
たしなみある侍はかくもあらんか、といつたやうすなのだ。
「たしなみある侍」が実際どういつたものなのかは知らない。
知らないけれど、「かうだつたんぢやないかなあ」と思はせるものが平田昭彦の天野さまにはあるのだ。
オープニングのキャストのところに名前があるとうきうきする。
「むかしの男」では駕籠かき姿も披露してくれる。

竜崎勝にしてもさうだが、平田昭彦も健在だつたら播磨屋の鬼平にも出たのかな、出たとしたらどんな役だつたらう、と、つひつひ「たられば」を考へてしまふ。

そんな感じで、「うわ、すごい、中車(先代)(第一話)」とか、「林与一、よすぎる(第二話)」とか、「西村晃のこの目!(第四話)」とか「ああ、もう、アンヌ隊員(菱見百合子)つたらそんなに愛嬌振りまいて……(第五話)」とか、そんな見方をしてゐる。

山形勲もよかつたし、中村竹弥のときは話自体も引き込まれるやうだつた。
浪人姿の天本英世を見て、「背の高さによる怖さつて、やつぱりあるよなあ」としみじみ感じた。クリストファー・リーもその伝だ。
岸田森の出た回の次の回に勝呂誉が出てくれば、すは「怪奇大作戦」かと思ふしね。しかも勝呂誉の役名は源「助さん」だし。
天本英世が背の高さなら岸田森は小柄なところがよけいにあはれをもよほすのかもしれないなあと思つたりね。
鈴木瑞穂が悪役でなくて、しかもだまされる役で出てきてものすごく新鮮だつたなあ。

そんなわけで、日々「ミーハー」な感じで見てゐるのだつた。
第二シーズンになると平田昭彦は出なくなるんだよね。
ちよつとさみしい……。
クズ男を演じさせたら天下一品の河原崎三兄弟の次男の辰蔵も第一シーズンまで。第二シーズンは播磨屋になる。これはこれで楽しみだ。

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2016年11月の読書メーター

2016年11月の読書メーター
読んだ本の数:12冊
読んだページ数:1528ページ
ナイス数:13ナイス

無敵のソクラテス無敵のソクラテス感想
死といふものがどんなものだかわかつたと思つた試しはない。だが死は怖い。といふことは、自分は死がどんなものだかわかつてゐると思つてゐるのか。そんなことないんだけどなあ。つまり、この感情は「恐怖」ではないのだらう。「不安」。それだ。多分。この本で云つてゐることが正しいのであれば。「帰ってきたソクラテス」を勧められたのだが入手できず、この本を手に取つた。ありだと思ひます。
読了日:11月5日 著者:池田晶子
敵は海賊・短篇版敵は海賊・短篇版感想
神林長平は固有名詞の付け方が絶妙だ。人名にしろ地名にしろ、よくこんな名前をつけられるものだといつも思ふ。ここにおさめられてゐる四篇も例外ではない。雪風の出てくる短篇を過去に読んだ気がしてゐたのだが、これだつたのか。いまはなにもかもなつかしい。
読了日:11月8日 著者:神林長平
The Martian Chronicles (Voyager Classics)The Martian Chronicles (Voyager Classics)感想
最後のオチ(オチとは云はないのかもしれないが)がいま読み返しても好きだなあ。差別されてゐた人々は差別のない世の中を求めて火星に行つたのだらうが、おそらく地球に戻つたのだらう。戻つて、差別してゐた人々とともに滅んだのだらうか。時節柄、そんなことを考へてしまつた。
読了日:11月15日 著者:RayBradbury
言葉使い師言葉使い師感想
「スフィンクス・マシン」はNHKのラジオドラマで聞いた記憶がある。スフィンクス・マシンの組み上がるやうすの音はキャベツを刻む音だか葉をむしる音で作つた、とか、メイキングまで記憶してゐる。それで手にしてみた。今回は記憶を題材にした二作に興味を惹かれた。
読了日:11月17日 著者:神林長平
李陵李陵感想
「きみは悪くないんだよ」と誰か云うてやつてくれ。
読了日:11月18日 著者:中島敦
名人伝名人伝感想
これと「文字禍」とは笑ひ話だと信じてゐる。
読了日:11月18日 著者:中島敦
悟浄歎異 —沙門悟浄の手記—悟浄歎異 —沙門悟浄の手記—感想
「西遊記」が読みたかつたのだが、気力・体力ともに大冊を読める状態ではなかつたので。これもなんとなく微笑ましいと思ひながら読んでしまふ話だ。
読了日:11月18日 著者:中島敦
悟浄出世悟浄出世感想
昔初めて読んだときは自分のことが書いてあるのかと思うたこともある。「実は彼が微かすかな声で呟つぶやいているのである。「俺おれはばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、」とかのくだりね。さすがに自分が堕天使だと思うたことはないけどね。それつてつまり元は天使だつたつてことでせう。これはいまも変はらない。成長してゐないことが確認できたのでよしとしたい。
読了日:11月18日 著者:中島敦
山月記山月記感想
「李陵」に比べると文章がきゆつとしまつてゐる感じがする。ここのところ読んだものの流れの中でこれを読まないのはなんか違ふかなといふので読み返してみた。いつ読んでもイタい。
読了日:11月20日 著者:中島敦
文字禍文字禍感想
とりあへず、読んで笑ふ。まづはそこから。
読了日:11月20日 著者:中島敦
鏡花氏の文章鏡花氏の文章感想
中島敦が好きなのは多分、かういふところがあるから。
読了日:11月20日 著者:中島敦
覚えておきたい極めつけの名句1000 (角川ソフィア文庫)覚えておきたい極めつけの名句1000 (角川ソフィア文庫)感想
ひとまづ通読。今後はパラパラとめくりつつ読みたい。クイズ形式の難読季語や言葉遣ひ、文法の間違ひなどもあつておもしろい。おなじ句でも読んだときによつて感じ方が違ふのも楽しい。
読了日:11月28日 著者:

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Wednesday, 30 November 2016

先代の幸四郎の「鬼平犯科帳」を見てゐる

先代の松本幸四郎の「鬼平犯科帳」を毎回楽しみに見てゐる。

もうすぐ第一シーズンが終はる。
終はるまへになんだし録画できてゐなくて見てゐない回が2つほどあるが、いままで見た中で気に入つた話をまとめておきたい。
ベスト3と思つたが、4になつてしまつた。

順不同で以下のとほり。
第三十話 盗法秘伝
第四十話 かわうそ平内
第五十三話 おせん
第六十一話 あほうがらす
以上。

「鬼平犯科帳」を見ながら夕飯を食べてゐる。
そんなに一生懸命見てゐるわけではないのだが、「あれ?」と思ふ瞬間があつて、引き込まれるやうにして見たのがこの四話だ。

第三十話の「盗法秘伝」は、浜松から帰路についた鬼平が盗人(花澤徳衛)と出会ひ、盗人の心得を伝授されるといふ話だ。
第四十話の「かわうそ平内」は、みるからに乞食とおぼしき男(有島一郎)が実は大変な剣豪で、とても敵を討てないやうな兄弟を短期間で鍛えて敵をとらせる話だ。
第五十三話の「おせん」は、放蕩無頼の息子(草野大悟)を持つた老母(原ひさ子)と息子と関係のあつたおせん(堀井永子)との交流を描いた物語である。
第六十一話の「あほうがらす」は、妾を斡旋する女衒である「あほうがらす」の男(加藤武)が商家の主たる兄(江戸屋猫八)とその息子との仲をとりもちつつ、同業者で殺人犯の疑ひをかけられてゐるものを追ひつめる手助けをする、といつたところか。

「おせん」を除き、いづれも見てゐて楽しい気分になつてくる話ばかりだ。
「おせん」だつて、おせんと老女との仲を見てゐると、なんとも幸せな気分になつてくる。

「盗法秘伝」では、高麗屋と花澤徳衛との会話に引き込まれた。
なんとも間がいい。
相手が火付盗賊改方の長谷川平蔵と知らずして「自分の盗人としての技を伝へられるかもしれない」と期待しつつ鬼平に話しかける花澤徳衛と、仕事の上の興味もありつつ相手に惹かれて話を受ける幸四郎と、ふたりのやりとりの妙に思はず箸を止めた。
夕食を食べながらのTV鑑賞は、見てゐるやうで見てゐない。
耳から入つてきたせりふの端々に注意を引きつけられる。
そんな感じだつた。

「かわうそ平内」は、有島一郎の飄然としたやうすに参つてしまつた。
汚いんだよ、匂つてきさうなほど。
風呂には何日も入つてゐないだらう。忠吾(志ん朝)もそんなことを云つてゐた。
しかるに軽妙かつ自在。
この日は日中いろいろとおもしろくないことがかさなつてくさくさした気分でゐたのだが、「かわうそ平内」を見て、といふよりは自由自在融通無碍な有島一郎を見て、一気にご機嫌になつてしまつた。

「おせん」も、原ひさ子につきる。
第二シーズンで前後篇の「狐火」に出る草野大悟の出来や如何にと思つて見始めたはずが、原ひさ子のこのころからとにかく可愛いおばあさんぶりにやられてしまふ。
最初は老女を邪険にあつかつてゐたおせんがだんだん老女に惹かれてゆき、最後は自分のおつかさんのやうに思ふやうになるといふ話にもじんときてしまつた。
ダメなんだよ、可愛いおばあさんとか。
ずるいよ。

「あほうがらす」は、加藤武が江戸屋猫八や堺左千夫、澤村いき雄とやりとりするときのせりふがいい。
江戸前つてかういふのを云ふんだよね、きつと。
鯔背でね。
猫八がちよつと野暮つたいのがコントラストになつてゐる。
澤村いき雄は七代目宗十郎のもとにゐたことがあるとweb検索で知つた。これがまた粋な爺さんでね。
これもせりふがまづ耳に入つてきて引き込まれるやうに見た回だ。

高麗屋の「鬼平犯科帳」には池波正太郎つぽさがあまり感じられない。
でもその点を気にしたことはほとんどない。
原作はあつても全然別物。
さう思つて見てゐる。
楽しければいいぢやん、みたやうな感じかな。

このあと、第二シーズンも引き続き再放送してもらへるのかな。
してもらへるとして、第一シーズン同様に楽しいのだらうか。
いま気になつてゐるのはそこである。

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Tuesday, 29 November 2016

日輪の輝きを受けて

Masquerade in Progress

タティングレースのモチーフの二枚目を作つて一枚目とつないだ。

Mary Konior の Tatting with Visual Patterns に掲載されてゐる Masquerade といふモチーフだ。
四枚つなぐと、モチーフにはない模様が浮かびあがつてくるのが楽しい。なかなかそこまでたどりつきさうにはないけどね。

タティングレースが進んでゐるのは、昼休みのあいた時間に結んでゐるからだ。
「この時間にはこれをする」と決めるとわづかながらでも進むものである。

Masquerade に使用してゐる Lisbeth #40 の Lavender Dk は何年も前に購入したものだ。
ずつと眠らせたままだつた。
どんな色なのか試しに買つてみたものの、さて、ではなにを作つたものか知らん、といふのでしまひ込んで幾星霜。
モチーフを作つてみてもいいけれど、さうすると中途半端に糸が減るのがイヤでね。

自分の好みからいふとちよつとどぎつい感じのする色かなと思ふ。
その一方で、日の光があたつたときにきらきらする感じは悪くない。
レース糸つて、ときどきさういふの、あるよね。
日光の下で見ると、輝いて見えるやうな糸。
この糸もそんな感じの糸だ。

そんなわけで、明るい時間帯に結んでゐるといふのも進む理由なのかもしれない。

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Monday, 28 November 2016

ラジオ講座とあみもの

あみものはまつたく進んでゐない。
もうこのまま編まなくなつてしまふのかと思ふくらゐである。

紡ぎもそれほど進んではゐない。
先週はいつになく眠れてゐた。
あみものが進まないのはそのせゐだと思ふ。

なぜ先週はよく眠れてゐたのか。
ラジオが壊れてしまつたからだ。
それで、NHKラジオ語学講座をまつたく聞けなくなつてしまつた。
Webページからでも聞けないことはないけれど、一週間遅れることになる。
その場合、ラジオを新たに買ふことにしたら、一週間分 catch up しなければならない。
どうやつて?

うまい手を考へつかなかつたので、ラジオの壊れてゐるあひだはラジオ講座を聞かずにゐたのだつた。

土曜日に新たなラジオがやつてきた。
SONY ポータブルラジオレコーダー ICZ-R100がそれである。
もともとはおなじ製品のICZ-R50といふのを遣つてゐた。
おなじものを買ふつもりでゐたが、R100の方が廉価だつた。
それに、R50とその後継機と比べると、R100の方が移動させやすい。

今日からまたラジオ講座を聞く生活に戻る。
聞かないあひだはまるまるとはいはないけれど、その分早く布団に入れてゐた。
また聞くやうになつて、睡眠時間が削られるのかなあ。削られるんだらうな。
だつたらほかのことをやめればいいのだが、なかなかうまくいかなくてね。

ところで、ラジオ講座を聞きながらあみものをすることがある。
することがある、といふよりは、ラジオ講座を聞きながら編むのがつねだつた。
これでまた編む時間がとれるやうになるのではあるまいか。

睡眠時間の確保には、先代の幸四郎の「鬼平犯科帳」を見るのをやめるといふ手もあるんだがなあ。
それもちよつとできさうにないんだよね。

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